この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

ニライ・カナイ

2010-05-07 14:37:00 | 意見がありますけど
「唐(とぅ)の世(ゆー)から大和(やまとぅ)の世(ゆー)、大和(やまとぅ)の世(ゆー)からアメリカ世(ゆー)、ひるまさ替わりたるこの沖縄」(嘉手苅林昌作詞・花口説作曲)という歌がある。
かつて沖縄が琉球と呼ばれ明(中国)の冊封を受けていた時代から、明治になって日本の一県に組み込まれた時代、その後太平洋戦争の敗北によりサンフランシスコ講和条約で沖縄が切り捨てられ米国軍政下の統治を受けた時代、これらの変遷を「なんと珍しくも治世者が変わった沖縄であろうか」と嘆きとも諦めともつかない思いで歌い上げられている。
それから28年が経ち、祖国復帰(1972年)により沖縄は、また、アメリカ世(ゆー)から大和(やまとぅ)の世(ゆー)となった。
くるくると為政者が変わってきたのは小国ゆえの悲哀なのだろうか。

沖縄(琉球)にはニライ・カナイ信仰がある。
学者たちのなかでいろいろな説があるようだが、一般的には、はるか海の彼方に理想郷があって、そこから恵み(豊穣)がもたらされるという信仰とされている。太古から、多くの人間が海をわたって通り過ぎ、また住み着いてきた。同時に、稲や鉄器などの様々な文明や言葉や文字などの文化がもたらされている。
とは言え、海の向こうからはただ恵みだけでなく、災禍も同じようにもたらされてくるようだった。

これまで沖縄は三度大きな災禍に襲われている。まず、薩摩による琉球侵攻、そして明治維新による琉球処分(琉球王国の廃止と県制への施行)、そして第二次世界大戦で日本本国の防波堤となった最後の地上戦。県民の四分の一が亡くなった傷も癒えぬままサンフランシスコ講和条約で、日本本国から切り離され米国に身売り(米軍統治下)された。
このような災禍は必ず海の向こうから否応なくやってきたのである。

そして先日(2010年5月4日)、「最低でも県外移設」と言っていた鳩山総理が海を越えてやって来て「基地はやっぱり沖縄に置きます」と一旦預かったものを戻してきた。
「言葉が軽かったと言われても仕方ありません」と、しゃあしゃあと語っているが、本当に言葉の軽い男である。本人は誠意をもって当たっているつもりかもしれないが、深慮の足りない言葉は軽く、周囲を混乱に陥れている。いずれその言葉によって退陣せざるを得なくなるだろう。

それは自業自得だから一向に構わないが、しかし、これまで沖縄は海を越えてきた災禍には、いつもあらがう術を持たず、否応なくすべて受容せざるを得なかった。
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