市川猿之助の自殺ほう助・自殺未遂の事件はまだ捜査の途中であるが、意外な展開になることはないだろう。猿之助が死ななかったのは、致死量についての知識不足か、自分の分が足りなくなってしまったのかのどちらかだと思う。父母を死なせて自分だけ生き残ろうというのはちょっと考えにくいからだ。
この事件の顛末よりわたしが気になっているのは、週刊誌の責任だ。
パワハラを告発した者がいて、週刊誌が乗ったという構図なのだろうが、そのことで二人が死んでいるのだ。
それに対する道義的責任はないのだろうか?
事実は事実だし、法的になんの瑕疵もない。死のうとした者が悪いと言うのかもしれないが、猿之助が、学校でいじめに遭い自殺した生徒のように見えるのだ。
パワハラはパワハラで償えばいいのだろうが、自殺するまでもないと言われるかもしれない。しかし、自殺した生徒も何も自殺まですることはないと言われる。当事者でなければわからないつらさがあるのだ。
この事件は、パワハラの被害者が逆に加害者になった気がする。週刊誌もその手助けをしたのだ。
法的には無罪であろうが、道義的に罪の意識を感じないのだろうか?
パワハラ被害者はさて置いたとしても、売らんかなの週刊誌に何の責任もないのだろうか?
この事件の顛末よりわたしが気になっているのは、週刊誌の責任だ。
パワハラを告発した者がいて、週刊誌が乗ったという構図なのだろうが、そのことで二人が死んでいるのだ。
それに対する道義的責任はないのだろうか?
事実は事実だし、法的になんの瑕疵もない。死のうとした者が悪いと言うのかもしれないが、猿之助が、学校でいじめに遭い自殺した生徒のように見えるのだ。
パワハラはパワハラで償えばいいのだろうが、自殺するまでもないと言われるかもしれない。しかし、自殺した生徒も何も自殺まですることはないと言われる。当事者でなければわからないつらさがあるのだ。
この事件は、パワハラの被害者が逆に加害者になった気がする。週刊誌もその手助けをしたのだ。
法的には無罪であろうが、道義的に罪の意識を感じないのだろうか?
パワハラ被害者はさて置いたとしても、売らんかなの週刊誌に何の責任もないのだろうか?
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