この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

國母ファッション?

2010-02-19 09:37:18 | つれづれ記
バンクーバー五輪のスノーボードの國母選手は8位に終わってしまった。最後のランディングで手をついてしまい、惜しくもメダルを逃してしまった。
出発式の服装問題で非難を浴びて一時は出場停止の可能性もあったようが、そこまで大ごとにはならなくてすんだ。わたしも話題の選手だったので結果を知りたくてTVに噛り付いていた。ハーフパイプという競技もよくわかった。たしかローラーボードでもやっているのを見たことがある。縦2回転横3回転というムーンサルトみたいなC難度の技も知った。

國母選手の「下げパン」だか、「見せパン」だか知らないがズボンをずり下ろした格好に、キャスターの中には、競技自体が「ヒップホップ」系から来ているから、ああした扮装が定番なんだよと理解を示す者もいたが、個人的にはみっともないと思うし美的なセンスを一切感じなかった。しかし、このくらいのことで棄権はないだろうと思ったし、注意ぐらいのもので目くじら立てるほどのこととは思えなかった。
むしろこういう異端児が歴史を造って行くのではないか。彼が造り出すとまでは言わないが彼に続く者たちが既成概念を変えていくのではないだろうか。良きにつけ悪しきにつけ、と思った。

今でこそ重要無形文化財に指定されている「歌舞伎」は、かつて変ちくりんな格好をした者たちから始まっている。
ウィキペディアによると、<歌舞伎の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。戦国時代のおわり頃から江戸時代のはじめ初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることをさした語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った>

だいたい、非難したり、目くじらを立てたりする者は、時代に取り残されていく者なのだ。これまで培ってきた価値観に変動があっては生きていられない。変わらないものにすがりついてしまうのだ。
國母の服装から何を大げさなと言われそうだが、歴史はそれを語っている。
先端のモードも大衆まで降りてきたら陳腐なものになっている。大衆化した頃には終わりなのだ。
かつてバブルの最盛期には猫も杓子も主婦も株に走った。NTT株がひと騒動起こした後だ。どうでも良さそうな政府系金融機関の上場に株購入の整理券をもらうために夜中から長蛇の列ができていた。あぶく銭を求めて人々が殺到したのだ。
その後ほどなくバブルは弾けたが、市場は既に飽和状態だったのである。結局ババをつかまされたのは最後にやってきた庶民であった。


女子のハーフパイプを見ていたら、19歳のノルウェーだったか、失敗してもにこにこして気持ちいい。みんな遊び感覚で楽しんでいる様子が伝わる。オリンピックだ!日本代表だ!という悲壮感がないのが清清しい。こんなスポーツ競技ならいいんじゃないか。
國母選手はへんてこりんな服装を主張したんじゃない。「オリンピック、オリンピックってよぉー、ブルってんじゃねぇよー」と、極限まで肉体を痛めつけて必死こいているオリンピックに棹差し、観客も演技者も、みんなが楽しめるオリンピックを気づかせてくれたんじゃない?
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