もう10年以上前になるが鹿児島に出張したとき、鹿児島空港から天文館まで空港バスに乗った。約一時間の道中だったが、道路の整備が遅れているように感じた。中心街に入るあたりでも片道一車線の狭い道幅なのである。沖縄では考えられない。農道ですら舗装されているし、空港に至る道は三車線が当たり前である。おそらく宮古・石垣でも同じだろう。
この差はじつは、基地あるがゆえのインフラ整備であったのだ。よその県に行くまではその特権をわたしは知らなかった。
沖縄には第三次振興開発計画までに約五兆円の国費が投入されたという。(平成11年第145国会)
道路という道路は整備され、空港も立派になっている。また、名護市は普天間基地の辺野古移設の引き換えに、毎年百億円、10年間で一千億円のお金を政府から引き出した(進行中)。
このように沖縄の政治家は、そして住民は、基地の押し付けに対してお金をせびる知恵を身に着けてきたのである。おかげで沖縄の公共施設は立派になり、とうちゃん・かあちゃん規模の建築屋が乱立することになった。
「食を与える者は我が御主(ものくゐすどわーうしゅ)」という俚諺が沖縄には昔からある。ものを食わしてくれる者こそが主人である。その人に付き随うのが道理であるという沖縄人の性質を的確に突いている。
くるくると為政者が変わっても、なんら紛争が起こることもなく、従順に従ってきたのはこの沖縄の性情のおかげだったのかもしれない。
名護市の住民投票で過半数が基地移設反対に投じたが、市長選では受け入れ派を選んだ。これは県のレベルでも同じことが起こっている。96年の県民投票では基地建設NOの結果が出たが、98年の知事選挙では、代理署名を拒否して段階的基地の縮減を提起した大田昌秀現職知事が敗れ、日本政府の巨大な物量投入の応援を受けた、基地受け入れを表明する自公推薦の稲嶺惠一新知事が誕生した。
ここへ来て、にわかに徳之島の町議団が平野官房長官の話を聞くという新展開があった。どうも徳之島に誘致の仕掛け人がいたようだ。「二度と会うことはありません」と言った三町長ではあるが、鳩山総理の秘密裏に話した振興策がボディーブローのように効いて来ているのかもしれない。
徳之島もまた、経済振興か平和かで、まっぷたつに割れて大騒ぎになってしまうのだろう。
名護市を見ればよく分かるが、どうでもいいような施設を造っただけで、むしろその維持に自治体のお金が食われていってしまうだけで、地域が活性化することは全くないことを知るべきだろう。
一度経済振興策としてお金をつぎ込んだら、麻薬に手を出した人間のように中毒に陥り、さらに資金の投入を求めるようになってしまう。
かつての貧しくとも日々の生活にお金の要らなかった均衡安定経済生活が崩れ、お金がなくてはならない消費生活中心になってしまうのである。
振興策は毒である。毒まんじゅうなのである。ご用心、ご用心。
<つづく>
この差はじつは、基地あるがゆえのインフラ整備であったのだ。よその県に行くまではその特権をわたしは知らなかった。
沖縄には第三次振興開発計画までに約五兆円の国費が投入されたという。(平成11年第145国会)
道路という道路は整備され、空港も立派になっている。また、名護市は普天間基地の辺野古移設の引き換えに、毎年百億円、10年間で一千億円のお金を政府から引き出した(進行中)。
このように沖縄の政治家は、そして住民は、基地の押し付けに対してお金をせびる知恵を身に着けてきたのである。おかげで沖縄の公共施設は立派になり、とうちゃん・かあちゃん規模の建築屋が乱立することになった。
「食を与える者は我が御主(ものくゐすどわーうしゅ)」という俚諺が沖縄には昔からある。ものを食わしてくれる者こそが主人である。その人に付き随うのが道理であるという沖縄人の性質を的確に突いている。
くるくると為政者が変わっても、なんら紛争が起こることもなく、従順に従ってきたのはこの沖縄の性情のおかげだったのかもしれない。
名護市の住民投票で過半数が基地移設反対に投じたが、市長選では受け入れ派を選んだ。これは県のレベルでも同じことが起こっている。96年の県民投票では基地建設NOの結果が出たが、98年の知事選挙では、代理署名を拒否して段階的基地の縮減を提起した大田昌秀現職知事が敗れ、日本政府の巨大な物量投入の応援を受けた、基地受け入れを表明する自公推薦の稲嶺惠一新知事が誕生した。
ここへ来て、にわかに徳之島の町議団が平野官房長官の話を聞くという新展開があった。どうも徳之島に誘致の仕掛け人がいたようだ。「二度と会うことはありません」と言った三町長ではあるが、鳩山総理の秘密裏に話した振興策がボディーブローのように効いて来ているのかもしれない。
徳之島もまた、経済振興か平和かで、まっぷたつに割れて大騒ぎになってしまうのだろう。
名護市を見ればよく分かるが、どうでもいいような施設を造っただけで、むしろその維持に自治体のお金が食われていってしまうだけで、地域が活性化することは全くないことを知るべきだろう。
一度経済振興策としてお金をつぎ込んだら、麻薬に手を出した人間のように中毒に陥り、さらに資金の投入を求めるようになってしまう。
かつての貧しくとも日々の生活にお金の要らなかった均衡安定経済生活が崩れ、お金がなくてはならない消費生活中心になってしまうのである。
振興策は毒である。毒まんじゅうなのである。ご用心、ご用心。
<つづく>
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