この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

漂流する普天間基地(Ⅱ)

2010-05-15 05:39:17 | 意見がありますけど
鳩山総理は「抑止力についてよく知らなかった」と言ったが、今頃そんなことを言うのはあまりにもおめでたい話である。本当は政権交代後に呼びつけられてアメリカから言われたことにあると思う。直接オバマ大統領から言われたかどうかは知らないが、「われわれは日米同盟を重視しているから、大きな犠牲を払って極東の地にわれわれの軍隊を送っている。決して我々が望んでいることではないのだ。日本政府が帰ってくれというのなら、いつでも米軍を引き上げる用意がある。日本政府が極東の安全に自らが努めてくれるならそれにこしたことはないから」というようなことだ。

歴代の自民党政権は軍備化を進めるには平和憲法の制限があるし、国民の反撥は相当なものになるだろうと思っている。もちろん、近隣諸国の反撥もある。
軍備力の維持には莫大なお金がかかるから、むしろアメリカに番犬の代わりをしてもらった方が八方まるく納まると考えて来たのである。
「駐留なき安保」がすぐに実効できると軽く考えていた鳩山総理は、今回アメリカで金玉をつかまれて、「おまえさんの好きなようにやったら、どうなるかわかってんだろうな」と脅かされてきたはずである。ことの重大さにそのとき気づいたんじゃないか。

徳之島はすぐに決着しない。5年、10年の話になるだろう。「理解」が得られたとしても辺野古がなくなるわけじゃなくて、さらに「抑止力」の犠牲者が増えるだけでしかない。現在の辺野古案以外にすぐ解決する方法はないだろう。少なくとも名護市や沖縄県はすでに毒まんじゅうを食べているのだから。
それとも、どこも引き受けたくないというのなら、いっそアメリカと手を切って米軍基地を撤去するか。そのとき日本の防衛はどうするのかを国民全体で徹底的に議論しなければならない。みずから軍備化を進めるのか。それとも一切の軍隊を持たないで世界で初めての平和国家を目指すのか。
アメリカにもの申すにはこの問題を解決しなければならないのである。5月決着などという簡単な問題ではない。戦後65年の集大成となる大問題である。

わたしはガンジーの非暴力・無抵抗主義は素晴らしい思想だと思っている。
いつのまにか闘争が目的化してしまうことを怖れたのだと思うが、なまじ武器を持つと、争いはエスカレートして被害は拡大する。中途半端な武力が大怪我を招くのだ。怪我をしたくなかったら、相手を圧倒するほどの武器を持つか、逆に一切の武器を持たないかである。

一切の軍備をもたないとすぐ侵略されてみんな八つ裂きにされてしまうという意見を声高に述べる者がいるが、心ない国家に侵略されることはこの時代に起こるとはとても思えない。北朝鮮による拉致事件のような不法進入による事件はあるかもしれないが、それは警察や海上保安庁の強化で片付く問題だと思っている。
国家を襲って地図を塗り替えるほどの侵略は、国際世論に耐えられず、まず絶対ありえないことだと思っている。
万が一隣国に侵略されることがあったとしても、独自の歴史観や民族意識を抱く国民を根絶やしにしない限り、いや、根絶やしにすることは絶対にできないから、侵略も一時的にしか成功しない。もちろん、その時失う人命はあるが、むしろ、武力を持って争ったときの方がずっとそれは甚大なものになるはずだ。

沖縄戦での教訓は、「軍隊は住民を守らない」だった。
政治家がよく口にする「国を守る」と言う「国」は、われわれのような国民ひとりひとりを指しているのではない。国体という抽象的な存在、もしくは国を動かしている一部上層部の人間のことである。彼らを守るためにわれわれひとりひとりの国民が犠牲になるのである。
無抵抗で争わなければ、一時国体は破られ、上層部のほとんどは抹殺されてしまうかもしれないが、われわれのような国民ひとりひとりは無事に生きながらえるのである。

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