白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

誤読の可能性 (前)

2006-03-04 | 哲学・評論的に、思うこと
「こんにゃく問答」という落語がある。 久しく無人となっていた寺に、 ある流れ者が住み込むことになった。 寺に住むということは当然、住職をつとめる、と いうことなのだが、 この男は道楽者の成れの果て、お経のひとつも 読むことができない、インチキ坊主である。 なぜこんな男が住職を勤められるのかというと、 誰も住むものがいないのでは寺は荒れるばかり、 これではいけない、体面上、住職は . . . 本文を読む

誤読の可能性 (後)

2006-03-04 | 哲学・評論的に、思うこと
京都龍安寺の庭は、日本が誇るべき、日本の精神文化の 象徴として世界に広く知られているが、 これはかつて、彫刻家イサム・ノグチが、 「無を表現するにはこれだけの石が必要なのです」 という、ある仏教哲学者の言葉に感銘を受け、 この庭を外国(特にアメリカ)に広く紹介したためである。 実は、この仏教哲学者は、 西洋哲学に非常に大きな影響を受けていた。 西洋の思想を「有」の思想、東洋の思想を「無」 . . . 本文を読む