静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

小学生のとき、父と「人物いろはカルタ」を作ったこと(父の命日に寄せて)

2016年06月10日 21時23分44秒 | 履歴書(昔話、音楽など)
 昨日(6月9日)は亡父の命日でした。
 2003年でしたから、もう13年前になります。
 その日のことや父の思い出については、ここでも何度か綴っていて、もうそろそろネタ切れな感じもしているところですが、やはり、この日を迎えるといろいろと思い出されるものなのです。

 親父は(前にも書いたと思いますが)書籍購入には大変理解(?)があって、漫画は別として「児童図書」の類や所謂「普通の本」ならば「買って」と言うと、ふたつ返事で「ああ」とOKをくれました。
 で、私は当時の我が家と背中合わせだったM宅書店に走ったものでした。
 商店街に住んでいましたので、書店とは狭い路地を挟んで背中合わせだったのです。
 書店ではよく立ち読みをしましたが、店主さんの奥様にはよく叱られました。
 あまりに長い間立ち読みをしていたからか、あるいは夢中になって読んでいる私の本の扱いが、大人の目から見るとやはりぞんざいであったのかも知れません。
 店主さんにはさほど注意された記憶はありませんが、いつも着物をお召しになってカウンターのところに凛と立っておられた奥様の姿は脳裏に焼き付いています。

 そんなことで私は恵まれた(?)読書環境にありながら、小学校中学年からはもっぱらマンガ本に熱中し、読書と言っても純文学などはほとんど読まず、怪奇もの、江戸川乱歩の少年探偵団もの、戦争記録ものばかり読んでいました。

 いつだったか、親父はどこかへの外出の土産に「阿Q正伝」(魯迅)を買ってきました。
 その本は、読まれないまま、今も本棚にあります。

 父は自分の考えを押し付けるようなことはあまりしませんでしたが、いろんな会話の端々に、その思想というか考えをちらつかせていました(当たり前か!)。

 3年生~5年生のいずれかの夏休み、宿題の自由課題みたいなので何をしようか相談したら、
「人物いろはカルタ」を作ってみては、と父が提案しました。
 宿題は面倒だし何より早く済ませたい私は「そうしよう、そうしよう」とすぐその話に乗り、父主導でカルタ作りが始まりました。
 カード状にはせず、文具店で枚数売りの模造紙(上質紙)を買ってきて、袋とじにし、1ページに2枚分ずつ上段と下段に分けて書いていきました。
 (当時は、マンガを描くのに更紙を枚数売りで買っていましたが、真っ白な上質紙は、たまにしか買いませんでした)

 主に参照したのは、当時、買ってもらっていた「人物事典」みたいな分厚い本。
 カルタの内容はほとんど忘れてしまいましたが、でも、いくつかは覚えています。
 だいたいは私の選んだ人(エジソンとかキュリー夫人とか豊臣秀吉とか、つまりはオーソドックスな「偉人」たち)を採り上げていきましたが、「誰にしようかな?」と迷った時に父が提案したのが魯迅であり塙保己一でした。
 いずれも全然知らない人ばかり。
 ほかにも、そういうパターンがあったと思います。
 もう忘れてしまいましたが・・・。


  ろじんのかいた「あきゅうせいでん」

  はなわほきいち めくらのがくしゃ
(問題のある表現ですが、当時書いたままを記しました)

 それにしても、ここでも魯迅が出てきました。
 本も買ってきているし、魯迅あるいは阿Q正伝に何らかの思い入れがあったのかも知れません。
 それはいまだに私の心の隅っこに引っかかっている「?」のひとつです。

 残念ながら、その後、私が魯迅(や塙保己一)について詳しく調べる、なんてことは、今のところ、ないのですけどね・・・・。  




 まことに、人の心に何が残り何が忘れ去られるのか分からないものです。

写真はウィキペディア・サイトより拝借しました。



今までの父(命日)関係の記事↓

父のアルバムより
父の命日だったが・・・
年忌
命日
父の手紙~1945年5月~



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