静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

和牛ステーキ

2010年06月14日 22時53分40秒 | Dialy
昨日から絵に描いたような「梅雨空」となった。

今日は薄寒いほど。

昼前に、いつものように義父母宅を訪れると、誰もいない。

いつのころからか住みついた野良猫だけがソファでくつろいでいた。

やがて義父母が帰宅。

なんと、私たちのためにステーキ肉を買いに行ってくれていたのだ。

ありがたいことだなあ。


さっそく、それを夕食で頂いた。

大きなステーキ肉で、フライパンに平らに収まらなかった。
厚さは、クロネコメール便80円と160円のちょうど中間くらいはあったろうか?

新婚当時に三松で食して以来の大きさかな?

昼に買っておいたステーキソースで食べた。

とろとろにとろける、柔らかいステーキだった。

一、二度噛むと、口中で、ふわぁぁぁ~と溶けてなくなるかのような・・・。

あんまりでっかくて、もったいなくて、他のものは何も食べなかった。ご飯も食べず、ビールだけで。

せっかく作った大根の煮物も一口も食べなかった。

カミさんは、「一枚は食べきれない」とのことで、あらかじめ三分の一ほどを切って冷蔵庫に入れていた。

あの残りは、誰が食べるのかな~?

子ども達は・・・・同じく義父母が買ってくれた牛コマと特大のウィンナーソーセージを焼いて食べた。

ステーキは・・・・・彼らには「まだ早い」との判断であった。


ということで、今夜は肉づくしの晩餐であった。

質素な我が家にしては、なんか、すっごい贅沢な感じがしたが、たまにはいいだろう。


私は、仕事の関係で、かつて肉牛の解体を三度見学している。
生きた牛が、スタンガンで脳死となり、張り詰めた流れ作業の中で製品としての「肉」になっていく過程を三度も見せてもらった。
そのうち1回は豚の方も見せてもらった。
「気持ち悪い」とか「怖い」などという印象は全くなかった。
失敗が許されない名人芸の連続と姿を変えて行く牛の姿に、なぜかは知らぬが畏敬の念さえ憶えた。
だから、あれ以来、肉を食べるときに「いい肉」「うまい肉」「まずい肉」なんていうつまらぬことは言わぬようにしよう、そう思ったのだが・・・・やはり美味いものは美味い。

でも、ちゃんと手を合わせていただいた。


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