今日は二つの悲しい報せが相次ぎました。
詩人の吉野弘、そしてクラウディオ・アバドです。
2人について、いろいろと書きたいことはありますが、多忙な今週にそれが叶うかどうか分かりません。
暮れの大滝さんに続いて、またも・・・・という感じです。
自分も歳とっているのだし、時間は止まらないし、人はいつかは死ぬのだから、仕方のないこと。ある意味では「当然」でもあるのですが、それでも、そうあってほしくないと願うのも、これもまた「当然」な人の心理です。
吉野さんの詩との出会いは高校1年、合唱部に入ってすぐに歌った「心の四季」(高田三郎作曲)でした。
その詩に魅了され、その後、詩集を4,5冊購入しました。
当ブログでも採りあげたことはあります。
ぶつかりつつ・・・
心の四季
アバドが1973年にウィーン・フィルと来日した頃は「アバド・オザワ・メータ」を三羽烏などと称する記事もありました。
彼の指揮はいつも誠実で慎ましく、時には物足りないと思うほどに理知的な感じがしました。
聴き手をどう仰け反らすか、なんてことは彼の心にはなかったようです。
楽曲と自分との対話には、絶えず理性的で先を見通した誰かを同席させている、そんな感じでした。
でも、表層は本当に控えめながらも、その穏やかで抑制された表情の奥の奥に熱い熱い溶岩のようなパッションが感じられることがあり、演奏に染み出たその人間味の魅力が素晴らしかったです。
まだまた私はアバドの聴き手としてはビギナーの部類。
残されたたくさんの録音で、まだ知らないアバドと出会っていくのが寂しいながらも楽しみです。
一度だけ接した実演は、ベルリン・フィルとのマーラー「復活」(大阪)。彼の厳しく真摯な指揮をほとんど目の前で観たのでした。
合掌。。。。
詩人の吉野弘、そしてクラウディオ・アバドです。
2人について、いろいろと書きたいことはありますが、多忙な今週にそれが叶うかどうか分かりません。
暮れの大滝さんに続いて、またも・・・・という感じです。
自分も歳とっているのだし、時間は止まらないし、人はいつかは死ぬのだから、仕方のないこと。ある意味では「当然」でもあるのですが、それでも、そうあってほしくないと願うのも、これもまた「当然」な人の心理です。
吉野さんの詩との出会いは高校1年、合唱部に入ってすぐに歌った「心の四季」(高田三郎作曲)でした。
その詩に魅了され、その後、詩集を4,5冊購入しました。
当ブログでも採りあげたことはあります。
ぶつかりつつ・・・
心の四季
アバドが1973年にウィーン・フィルと来日した頃は「アバド・オザワ・メータ」を三羽烏などと称する記事もありました。
彼の指揮はいつも誠実で慎ましく、時には物足りないと思うほどに理知的な感じがしました。
聴き手をどう仰け反らすか、なんてことは彼の心にはなかったようです。
楽曲と自分との対話には、絶えず理性的で先を見通した誰かを同席させている、そんな感じでした。
でも、表層は本当に控えめながらも、その穏やかで抑制された表情の奥の奥に熱い熱い溶岩のようなパッションが感じられることがあり、演奏に染み出たその人間味の魅力が素晴らしかったです。
まだまた私はアバドの聴き手としてはビギナーの部類。
残されたたくさんの録音で、まだ知らないアバドと出会っていくのが寂しいながらも楽しみです。
一度だけ接した実演は、ベルリン・フィルとのマーラー「復活」(大阪)。彼の厳しく真摯な指揮をほとんど目の前で観たのでした。
合掌。。。。
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