写真は3日の虹(妻撮影)。
台風が横っ面を通って行ったあと、風が涼しくなりました。
17時30分に二男ケンのショート迎えで車を走らせ、ちょっとだけリュウのリハビリセンターにも寄って一瞬顔を見て外に出ると、空はすっかり秋でした。
一日のうちで「秋」が占める時間帯が増えてきますね。
さて、今日9月8日は2年前に退院した日です。
その年の3月から本格的に治療が始まり8月は自家移植のための幹細胞採取と大量化学療法併用末梢血幹細胞自家移植の二つの入院がありました。
そのことについては別ブログにも記していますし、当ブログでも都度書いてきました。
でも、丸2年経ったということで、私の病歴についてあらためて振り返り、まとめておきたいと思ったわけです。
と言うことで、今回の内容は病気や病状、治療についてです。
おおかたの人にとっては、あまり読みたくない中身になりそうなことをお断りしておきます。
最近、小林麻央さんが病気治療中の姿や時々の想いなどをブログに綴り始められていて、それは私にはとても共感できるし、いいことだと思っています。
世の中に「闘病ブログ」はたくさんありますが、有名人、タレントと言われる人が、このように「日常」をオープンにしてくれることは、我々「一般人」がやっているのとは違ったいろんな意味での「力」があるかと思います。
今後も気負わず無理せず、雑音に惑わされずに続けていただければ嬉しいと思います。
「私の病歴まとめ」ですが、私の2度の癌治療についてまとめます。
今までにあちこちで書いたことと重複する記述がたくさんあることかと思いますがご容赦ください。
けっこう赤裸々(?)に具体的に書くつもりです。
例えばウンコや嘔吐物の描写とか、あるかも知れません。
今回は第1回ということで
大腸癌(直腸がん)編(2009年~2013年)
その1 予兆「それは2009年の夏に発覚した」
~そのころの我が家(覚書)~
長男は大学を一時休学して海外に。
二男ケンは特支援学校卒業後から通っていた障がい者福祉施設から訳あって現在通っている施設に変更してまだ間がなかった。そのへんのことはこちらに。
三男リュウは特支援学校の小学部。夏休みはたいへんだった。発作も多かった。
二男三男とも心身ともに不安定で、発作、嘔吐、不眠、不機嫌、パニック(みたいなもの)多かった。
私は仕事中心の生活。
なのでそれらのほとんどは妻が受け持っていた。もちろん家事も。
家庭のことは私もけっこうやっていた実感はあるのだが妻の実感とはかけ離れていたようだ。
そして、母との同居が始まって丸1年になろうとしていた。私も妻も、もちろん母も大変だった。
生まれて以来、こんなに親との距離を近くに感じる生活は初めてだった。
嫁姑の同居についても、母も妻も、ほとんど「初体験」みたいなもの。
7月?、いや8月かな?いつごろからか、排便時に血が混じるようになっていた。
「それ」に初めて気づいた正確な日は覚えていないし日記にも書いていないが、13日の人間ドッグの際「たぶんひっかかる」と思っていたのは憶えているので、7月頃から知っていたのかも知れない。
私は、はじめ「これは『痔』だ。きっとそうだ」と思っていた。いや、思おうとしていた。
だいたい、こういう時は「よくない方」には考えたくないものである。
だから、冷蔵庫の「ブリ○ード」だったか「ボラ○ノール」だったかを、せっせと挿入していた。
(ワタクシ痔歴ありました。手術後、すっかり治ったみたいですが・・・)
しかし、便の外観はネットで調べた「大腸癌」での便の様相と限りなく酷似していた。
とにかく血の色が(痔の時と)全然違う。
血液の出方や混じり方も様々で、あるときは排便後に、粘っこく(たぶん腸液と混じって)タラ~と糸を引くように水面に落ちたり、あるいは便に先立ってポタッ、ポタッと鈍く数滴落ちたり、またある時は、便の中に黒く塗り込まれ二色迷彩柄の便となって出てきたりと、いろいろだった。
なんにも血液の混じりが認められないときはうれしくて、「これで終わりかも?」と期待したりもした。
しかし、それで終息するわけはなく、出血は(様々な形態で)続いた。
13日は人間ドッグ。
結果は一週間後くらいには届いたのだったか?
大腸検査(検便)は二つともプラス。
8月末日には、こんな日もあったが、内心「こんなの食べてていいのかな」なんて危惧も少しはあった。
日記には便に関する記述はほとんどないが9月下旬頃からちらほら現われる。
9月28日(月)の日記・・・・便の様子から、やはり怪しいと思う。
午後、病院へTelし、検査に向けて動き出す。(以下略)
30日(火)の日記・・・・日ごとに「来たるべきもの」の実感がはっきりしてくる。
いろいろなケースを想像する。最悪のパターンから最良のパターンまで(以下略)。
先延ばしにしていた検査を受ける踏ん切りをつけてくれたのは中学校同窓会(9月21日)での仲間たちの言葉だった。
「お前!なにしとん!」
「はよ、診てもらわんか」
「ほっといたらあかんやろ」
・・・同級生の言葉が背中を押した。いや、言葉に背中を突かれた。
10月9日・・・内科受診。問診を受け、簡単な診察、そして検査の期日を決める。検査(内視鏡)は10月27日と決まる。
・・・今日はここまで。
続きは後日です。
連続アップにならない場合もあります。
9月9日am9:25 一部手直し
台風が横っ面を通って行ったあと、風が涼しくなりました。
17時30分に二男ケンのショート迎えで車を走らせ、ちょっとだけリュウのリハビリセンターにも寄って一瞬顔を見て外に出ると、空はすっかり秋でした。
一日のうちで「秋」が占める時間帯が増えてきますね。
さて、今日9月8日は2年前に退院した日です。
その年の3月から本格的に治療が始まり8月は自家移植のための幹細胞採取と大量化学療法併用末梢血幹細胞自家移植の二つの入院がありました。
そのことについては別ブログにも記していますし、当ブログでも都度書いてきました。
でも、丸2年経ったということで、私の病歴についてあらためて振り返り、まとめておきたいと思ったわけです。
と言うことで、今回の内容は病気や病状、治療についてです。
おおかたの人にとっては、あまり読みたくない中身になりそうなことをお断りしておきます。
最近、小林麻央さんが病気治療中の姿や時々の想いなどをブログに綴り始められていて、それは私にはとても共感できるし、いいことだと思っています。
世の中に「闘病ブログ」はたくさんありますが、有名人、タレントと言われる人が、このように「日常」をオープンにしてくれることは、我々「一般人」がやっているのとは違ったいろんな意味での「力」があるかと思います。
今後も気負わず無理せず、雑音に惑わされずに続けていただければ嬉しいと思います。
「私の病歴まとめ」ですが、私の2度の癌治療についてまとめます。
今までにあちこちで書いたことと重複する記述がたくさんあることかと思いますがご容赦ください。
けっこう赤裸々(?)に具体的に書くつもりです。
例えばウンコや嘔吐物の描写とか、あるかも知れません。
今回は第1回ということで
大腸癌(直腸がん)編(2009年~2013年)
その1 予兆「それは2009年の夏に発覚した」
~そのころの我が家(覚書)~
長男は大学を一時休学して海外に。
二男ケンは特支援学校卒業後から通っていた障がい者福祉施設から訳あって現在通っている施設に変更してまだ間がなかった。そのへんのことはこちらに。
三男リュウは特支援学校の小学部。夏休みはたいへんだった。発作も多かった。
二男三男とも心身ともに不安定で、発作、嘔吐、不眠、不機嫌、パニック(みたいなもの)多かった。
私は仕事中心の生活。
なのでそれらのほとんどは妻が受け持っていた。もちろん家事も。
家庭のことは私もけっこうやっていた実感はあるのだが妻の実感とはかけ離れていたようだ。
そして、母との同居が始まって丸1年になろうとしていた。私も妻も、もちろん母も大変だった。
生まれて以来、こんなに親との距離を近くに感じる生活は初めてだった。
嫁姑の同居についても、母も妻も、ほとんど「初体験」みたいなもの。
7月?、いや8月かな?いつごろからか、排便時に血が混じるようになっていた。
「それ」に初めて気づいた正確な日は覚えていないし日記にも書いていないが、13日の人間ドッグの際「たぶんひっかかる」と思っていたのは憶えているので、7月頃から知っていたのかも知れない。
私は、はじめ「これは『痔』だ。きっとそうだ」と思っていた。いや、思おうとしていた。
だいたい、こういう時は「よくない方」には考えたくないものである。
だから、冷蔵庫の「ブリ○ード」だったか「ボラ○ノール」だったかを、せっせと挿入していた。
(ワタクシ痔歴ありました。手術後、すっかり治ったみたいですが・・・)
しかし、便の外観はネットで調べた「大腸癌」での便の様相と限りなく酷似していた。
とにかく血の色が(痔の時と)全然違う。
血液の出方や混じり方も様々で、あるときは排便後に、粘っこく(たぶん腸液と混じって)タラ~と糸を引くように水面に落ちたり、あるいは便に先立ってポタッ、ポタッと鈍く数滴落ちたり、またある時は、便の中に黒く塗り込まれ二色迷彩柄の便となって出てきたりと、いろいろだった。
なんにも血液の混じりが認められないときはうれしくて、「これで終わりかも?」と期待したりもした。
しかし、それで終息するわけはなく、出血は(様々な形態で)続いた。
13日は人間ドッグ。
結果は一週間後くらいには届いたのだったか?
大腸検査(検便)は二つともプラス。
8月末日には、こんな日もあったが、内心「こんなの食べてていいのかな」なんて危惧も少しはあった。
日記には便に関する記述はほとんどないが9月下旬頃からちらほら現われる。
9月28日(月)の日記・・・・便の様子から、やはり怪しいと思う。
午後、病院へTelし、検査に向けて動き出す。(以下略)
30日(火)の日記・・・・日ごとに「来たるべきもの」の実感がはっきりしてくる。
いろいろなケースを想像する。最悪のパターンから最良のパターンまで(以下略)。
先延ばしにしていた検査を受ける踏ん切りをつけてくれたのは中学校同窓会(9月21日)での仲間たちの言葉だった。
「お前!なにしとん!」
「はよ、診てもらわんか」
「ほっといたらあかんやろ」
・・・同級生の言葉が背中を押した。いや、言葉に背中を突かれた。
10月9日・・・内科受診。問診を受け、簡単な診察、そして検査の期日を決める。検査(内視鏡)は10月27日と決まる。
・・・今日はここまで。
続きは後日です。
連続アップにならない場合もあります。
9月9日am9:25 一部手直し
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