静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

私のがん治療歴(大腸がん編)その2

2016年09月12日 17時20分24秒 | 健康や病気の話
写真は近所の花(妻撮影)




 今回のブログ記事をまとめるのに日記を読み返して思い出したのですが、大腸の内視鏡検査が近づいてくると同時に、三男リュウも調子が悪くなっていました。癲癇の薬が合わなくて嘔吐を繰り返し、食事そのものを受け付けないようになりつつありました。結局、入院していたんですね。
そのあたりのことは以下の記事に。

10月16日「二重フーガ」
10月22日「久しぶりの休日・夜間診療所」
10月23日「リュウ入院」
10月26日「退院」


さて、続きです。
主に日記から抜き書きしました。


 大腸癌(直腸がん)編(2009年~2013年) 

その2 診断確定、そして手術、退院まで 



10月27日(火)・・・大腸内視鏡検査を受ける。初めての「腸カメラ」だったが、特に痛みや苦しさもなく楽だった。モニターに映し出された病変部にドキリとした。
それは腸管の内壁にもりあがった山のようであり、血液にまみれた姿は、まるで溶岩が流れる火山のようだった。
翌日のブログ記事→10月28日「検査後に家で聴いた音楽」


11月6日(金)・・・検査結果を聞く。「進行性の大腸がん・ステージ2」と聞かされる。週明けより検査を受けることなど決まる。職場、親族等あちこちに連絡。


11月9日(月)・・・検査。腹部エコー、CT、胃カメラ。明日の検査の関係で一日検査食のみ。夜に下剤をのむ。


11月10日(火)・・・検査二日目。昨日の検査を見る限り「転移は認められず」ということで少し安心する。この日は午後から注腸(腸にバリウムを注入して撮影)。特に辛くはなかったが長時間に渡り、また検査後も「腸が動き出すまで絶食」ということでかなり腹が減った。


11月17日(火)・・・外科受診。妻も同行。手術の日程等決まる。

この日以降、妻は、私が入院している間の子どもたちのケアについて、障がい児の保護者仲間に相談したり市役所の福祉課に出向いたりしていた。


11月27日(金)・・・病休前の最後の勤務。


12月1日(火)・・・10時に入院。昼前に病室へ。同室のTさんは食道がんで食道のほとんどと胃の全てを摘出しており入院40日目とのこと。午後、勤務1年目の新人看護師さんに剃毛をしてもらう。下剤を飲み17時以降は何度もトイレに行く。執刀医から説明あり。腹腔鏡下手術にて行うとのこと。18時に点滴(栄養)入る。


12月2日(水)・・・手術当日。昼前に手術衣に着替え。リラックスさせられる薬を注射。ベッドのまま手術室へ。手術室前の廊下で何やら大きな声で話した記憶あり(薬で気が大きくなっていた)。
手術室に入り、背中の真ん中あたりにズキッと何か刺され(あとで聞いたところ、「痛み止め」の薬容器とのこと)、麻酔が入る。そのあとは回復室(ICU)に入る頃まで憶え無し。回復室の一夜は長かった。


12月3日(木)・・・長い長い回復室の夜が明けて、いくつかの管を抜いてもらい、口を拭いてもらい、うがいをした。腹に力を入れると無茶苦茶痛い。昼前、車いすを押してもらって病室に戻る。妻が廊下で待っているのが見えた。
看護師さんたち「さあ、すぐにでも歩く練習よ」とのこと。しかし、トイレまで歩くのがやっと。昼間うとうとする。


12月4日(金)・・・廊下の行き来少しする。ガス、便、出る。水分OKということでジュース飲む。


12月5日(土)・・・しだいに楽になる。ガスもよく出るようになった。


12月6日(日)・・・食事始まる。「三分粥」からスタート。昼から夕方にかけて7~8回トイレに行く。便の色は黒っぽい茶色。回を追うごとに色は薄くなっているようだ。


12月7日(月)・・・昼食から「五分粥」になる。ずっと続けていた尿採取もしなくていいとのこと。


12月8日(火)・・・ずっとお腹に繋がれていた管(袋)を外してもらう。病理検査の結果は「問題無し(リンパへの浸潤は認められず)」とのこと。


12月9日(水)・・・半抜糸。かなり身軽になる。食事は全粥になる。


12月10日(木)・・・残りの抜糸(抜糸した瞬間、表面の皮がびろ~んと広がって、結局、また絆創膏を貼ってもらった)。昼から「通常食」。


12月12日(土)・・・退院


腹腔鏡手術だったので回復は早かったようです。
家の方では二男ケンに微妙な変化があったようですが、なんとか乗り切りました。
この入院を機に、我が家にヘルパーさんが入ることになります。






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