
10月と言うのに、日中の暑さは、こりゃなんですか?
さすがに朝夕は「秋」で、車の窓を開けて心持ちひんやりした空気を受けながらの運転は快適なんですが・・・。
さて、写真は伊勢市の虎尾山、そのいただきにある石碑址。
私たちの、子どもの頃の遊び場のひとつでした。
私たちは「金とび」と呼んでいました。
なんでも、石碑の上に金の鳶の像があったとか、ここは戦時中は軍の高射砲が備え付けられていたとか、いろんな話を聞いています。
調べたら詳しく分かるのでしょう。興味のある方は、どうぞお願いします。
当時は周りの木も低く、石碑が頂にポンと飛び出して、市内の色んな所から望めましたが、今は、知らぬ間に周囲の木に背を抜かされています。

小説、ドラマ、そして映画にもなった「半分の月がのぼる空」の舞台になった「砲台山」のモデルでもある。
私の知人がエキストラでちょこっと出てるその映画は伊勢市内各地でロケがあったようで、虎尾山だけでなく、妻が通う病院や市内の商店街、私の母校の小学校や高校でもロケがありました。そして、なぜか、私が手術を受け今も定期的に通院している松阪市内の病院でのロケもあり、映画では「あれ、どこかで見たなぁ」っていう病室やナースステーションが映っていました。
「金とび」の話に戻りますが、小学生の私たちは、よく大挙してこの石の塔に集まっては、何をするということなくおしゃべりをしたり昆虫を追いかけたりしたものです。
私の遊びの本拠地は、伊勢会館(観光文化会館の前身)と、そこから明倫商店街を挟んで位置する神社でした。「金とび」のある尾上町は、今だったらなんでもない距離ですが、子どもだった当時の私たちの感覚では「ちょっと遠く」。
当時は、誰もが自分のホームグラウンドから出張しては集っていたのです。
さすがに朝夕は「秋」で、車の窓を開けて心持ちひんやりした空気を受けながらの運転は快適なんですが・・・。
さて、写真は伊勢市の虎尾山、そのいただきにある石碑址。
私たちの、子どもの頃の遊び場のひとつでした。
私たちは「金とび」と呼んでいました。
なんでも、石碑の上に金の鳶の像があったとか、ここは戦時中は軍の高射砲が備え付けられていたとか、いろんな話を聞いています。
調べたら詳しく分かるのでしょう。興味のある方は、どうぞお願いします。
当時は周りの木も低く、石碑が頂にポンと飛び出して、市内の色んな所から望めましたが、今は、知らぬ間に周囲の木に背を抜かされています。

小説、ドラマ、そして映画にもなった「半分の月がのぼる空」の舞台になった「砲台山」のモデルでもある。
私の知人がエキストラでちょこっと出てるその映画は伊勢市内各地でロケがあったようで、虎尾山だけでなく、妻が通う病院や市内の商店街、私の母校の小学校や高校でもロケがありました。そして、なぜか、私が手術を受け今も定期的に通院している松阪市内の病院でのロケもあり、映画では「あれ、どこかで見たなぁ」っていう病室やナースステーションが映っていました。
「金とび」の話に戻りますが、小学生の私たちは、よく大挙してこの石の塔に集まっては、何をするということなくおしゃべりをしたり昆虫を追いかけたりしたものです。
私の遊びの本拠地は、伊勢会館(観光文化会館の前身)と、そこから明倫商店街を挟んで位置する神社でした。「金とび」のある尾上町は、今だったらなんでもない距離ですが、子どもだった当時の私たちの感覚では「ちょっと遠く」。
当時は、誰もが自分のホームグラウンドから出張しては集っていたのです。
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