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今朝は、「題名のない音楽会」でベルリン・フィルを振る佐渡さんを観る。曲の終わりごろから、指揮しながら感極まってたように見受けられた。そうだろうな。子どもの頃からの夢だったらしいし、実際、指揮台に届いてきた音は、さぞや凄かったのだろう。佐渡さんが今後もBPOの指揮台に呼ばれるかどうか、それはまだ分からない。小澤さんは早いうちから何度も呼ばれたがウィーン・フィルでは時間がかかった。大植さんもバイロイトに一度呼ばれたきり、その後は(いまのところ)無い。佐渡さんが「最初で最後」にならぬことを祈る。しかし、ショスタコ5のエンディングで泣きながら指揮をする指揮者で演奏したのはベルリン・フィルも初めてではないだろうか?なんか、いい「絵」だったなぁ。
さて、梅雨のベートーヴェン・チクルス、今日も行こう。今日は5番。
ベートーヴェン/交響曲第5番
管弦楽:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:レオポルド・ストコフスキー
我が家には、父が子どもの頃から聴いてた(らしい)ストコフスキーのSP盤がある。シューベルトの「未完成」とハンガリー狂詩曲第2番。私も、子どもの頃に、それらをよく聴いた。特に「未完成」は、ちょうど第2主題の再現の面から聴いてばかりいて、後に渡辺暁雄のLPを聴いて、「なぁんだ、ここからが本当の開始やったんや」と納得したのだった。小学生の自分には「未完成」の、時に甘美であったり時にほの暗く不気味であったりする音楽は、他の「子ども向け」のレコードに入っている曲とは違って、「大人の世界」を垣間見るようなゾクゾクするような感じがあった。そのSP盤の指揮者がストコフスキーであることは、ちょっと後で知った。両曲とも、ビダルフの復刻盤も持っているが、針音をカットした分、音は腑抜け気味になっている。
デッカへのストコフスキー録音は、パラパラと持っていたが、箱もの2セットで買い直した。特徴的な録音のものが多い。演奏での味付けとは別に(たぶん)ミキシング・ルームでの操作による演出が(そういうことは他のディスクでも当然為されているものだろうけど)けっこう多いのてはないだろうか。不自然な音像のふくらみや強弱、左右の極端な振り分けなどがそうだが、でも、私は嫌いじゃない。最近の、巧みに編集された「全く分からない繋ぎ目」や「ピッチ操作」まで施されたディスクよりも「正直」で、むしろ好感が持てる。
それよりなにより、演奏そのものは、そういう小手先の諸々手段とは関係ない正々堂々たるもの。全体は弦主体のおおらかで柔らかい響きに統一され、フォルテでも決して絶叫しないカッコ良さは一貫しており、そのダンディで気高い居方に惹かれる。フレンチホルンのこくのある美しいソロも見事。細部の弄りやデフォルメは全くないとは言えないけど、演奏の本質には何の影響もない。お洒落と悪趣味の境界線を絶妙に渡り歩くストコフスキーの独壇場といえよう(???)。
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ベートーヴェンへのアプローチもいろいろあって、それぞれの味があって面白い。
さて、次回の「田園」は誰のを聴こうかな?
さて、梅雨のベートーヴェン・チクルス、今日も行こう。今日は5番。
ベートーヴェン/交響曲第5番
管弦楽:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:レオポルド・ストコフスキー
我が家には、父が子どもの頃から聴いてた(らしい)ストコフスキーのSP盤がある。シューベルトの「未完成」とハンガリー狂詩曲第2番。私も、子どもの頃に、それらをよく聴いた。特に「未完成」は、ちょうど第2主題の再現の面から聴いてばかりいて、後に渡辺暁雄のLPを聴いて、「なぁんだ、ここからが本当の開始やったんや」と納得したのだった。小学生の自分には「未完成」の、時に甘美であったり時にほの暗く不気味であったりする音楽は、他の「子ども向け」のレコードに入っている曲とは違って、「大人の世界」を垣間見るようなゾクゾクするような感じがあった。そのSP盤の指揮者がストコフスキーであることは、ちょっと後で知った。両曲とも、ビダルフの復刻盤も持っているが、針音をカットした分、音は腑抜け気味になっている。
デッカへのストコフスキー録音は、パラパラと持っていたが、箱もの2セットで買い直した。特徴的な録音のものが多い。演奏での味付けとは別に(たぶん)ミキシング・ルームでの操作による演出が(そういうことは他のディスクでも当然為されているものだろうけど)けっこう多いのてはないだろうか。不自然な音像のふくらみや強弱、左右の極端な振り分けなどがそうだが、でも、私は嫌いじゃない。最近の、巧みに編集された「全く分からない繋ぎ目」や「ピッチ操作」まで施されたディスクよりも「正直」で、むしろ好感が持てる。
それよりなにより、演奏そのものは、そういう小手先の諸々手段とは関係ない正々堂々たるもの。全体は弦主体のおおらかで柔らかい響きに統一され、フォルテでも決して絶叫しないカッコ良さは一貫しており、そのダンディで気高い居方に惹かれる。フレンチホルンのこくのある美しいソロも見事。細部の弄りやデフォルメは全くないとは言えないけど、演奏の本質には何の影響もない。お洒落と悪趣味の境界線を絶妙に渡り歩くストコフスキーの独壇場といえよう(???)。
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ベートーヴェンへのアプローチもいろいろあって、それぞれの味があって面白い。
さて、次回の「田園」は誰のを聴こうかな?
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