演奏会備忘録。
アリス=紗良・オットが三重県に来てくれるということで楽しみにしていたコンサートだった。
正直、インバルのマーラーよりも、そっちがお目当てだった。
アリス=紗良・オットの演奏を実際に聴くのはもちろん初めて。
実は私、DGから出ているアルバム9枚中7枚持っている、そこそこのファン(ベスト盤除く)。
インバルは、もう30年ほど前にフランクフルト放送響でマーラーの6番を聴いた。
今回2度目の実演。
さて、アリス=紗良とのモーツァルトは「音楽する愉悦」に満ち、生気と即興感と美しさに彩られた演奏だった。
特に第1楽章の第2主題が(これはもともと美しいメロディだが)今まで感じたことがないほどの慈しみと「天上から降り注ぐ感」(?)で、金縛りに遭ったみたいになってしまった。
病の報もあり、たぶん治療もしているのだろうが、ステージ上での彼女を見る限りは微塵もそんなことは感じさせなかった。
彼女の健康状態が長く続きますように・・・。
アンコールはショパンのワルツイ短調(遺作)。
次第に沈潜していく曲調に会場が耳をそばだて、最後の音が消え行く様をみんなが見守った。
アリス=紗良・オットは、名前は以前から知っていたものの、注目して聴きだしたのは、何年か前のTV放送(読響とのべトーヴェン/ピアノ協奏曲第1番)を観てから。
国内CDメーカーの売り方として、若いアーティストは所謂「Jクラシック」的なコンセプトでジャケットも作られ売り出されることが多い。 オットのディスクもそうだと思われるが、彼女の演奏は、そういうイメージとはちょっと違っていて、驚くほど淡々としていて無骨な面もある、と感じている。
このコンサートの前夜、家で彼女の弾く「展覧会の絵」とシューベルトの17番のソナタを聴いていたのだが、やはり、そういう印象だった。
内向的であり、派手さよりも凝縮され丁寧に響く音である。
別のディスクでの「エリーゼのために」は陰鬱さが際立つ。
見た目の爛漫さとすぐには結び付かない大変な集中力だと思った。
この日のモーツァルトもそういうアプローチで聴き応え十分であり、バックのインバル指揮のオーケストラが「大味」に感じられたほどである(実際に、やや大味だったと思う)。
ただ、このホールで聴くピアノは、私はめったにベストな状態で聴いた覚えがなく、今回も、座席によってはさらに美しく聴けたのではないかと思った。
去年の夏にリーズ・ドゥ・ラ・サールを聴いた3階壁面ゴンドラ席が、今までのベスト音響だったが・・・。
休憩後はマーラーの5番。
さすがに、こちらは「大味」という感じは無く、コンサート体験の少ない私から見れば、自家薬籠中の物という感じだった。
マーラーの5番の実演は、これが4回目になる。
私は、実は第2楽章がたいへん好きで、逆に第5楽章はやや苦手であるが、インバルの5番は、以前から全楽章とも弛緩せずに聴ける。
1987年の来日でやった5番はTVで放送され、その録画は繰り返し観たものだが、終楽章に関しては、あの演奏がマイ・ベストだと思っている。
今回も、たぶん同様のアプローチで、例の、加速して一気に盛り上がるエンディングは素晴らしかった。
インバルもバーンスタインみたいにジャンプしていて驚いた。
オーケストラの上手さは、比較材料に乏しいのでなんだけども、冒頭のトランペットの見事なこと。そして、もちろん各管楽器それぞれ「穴のない」素晴らしいレベルだと感じた。活躍するホルンも、もちろん・・・。
存在感大きい打楽器も痛快で、伊勢管の6番のときは席が前過ぎて管のほとんどと打楽器が「バイロイト劇場」状態だったが、今回は全て見渡せて、視覚的にも楽しめた。
インバルは83歳とのことだが、まあ元気元気。
あやかりたいものである。
久しぶりに「出待ち」などしたが、残念ながら空振りに終わった。
帰りの運転は目が見にくい上に雨降りということで、かなり怖かった。
やはり夜間の雨降り時の運転は、まだ無理だと分かった。
アリス=紗良・オットが三重県に来てくれるということで楽しみにしていたコンサートだった。
正直、インバルのマーラーよりも、そっちがお目当てだった。
アリス=紗良・オットの演奏を実際に聴くのはもちろん初めて。
実は私、DGから出ているアルバム9枚中7枚持っている、そこそこのファン(ベスト盤除く)。
インバルは、もう30年ほど前にフランクフルト放送響でマーラーの6番を聴いた。
今回2度目の実演。
さて、アリス=紗良とのモーツァルトは「音楽する愉悦」に満ち、生気と即興感と美しさに彩られた演奏だった。
特に第1楽章の第2主題が(これはもともと美しいメロディだが)今まで感じたことがないほどの慈しみと「天上から降り注ぐ感」(?)で、金縛りに遭ったみたいになってしまった。
病の報もあり、たぶん治療もしているのだろうが、ステージ上での彼女を見る限りは微塵もそんなことは感じさせなかった。
彼女の健康状態が長く続きますように・・・。
アンコールはショパンのワルツイ短調(遺作)。
次第に沈潜していく曲調に会場が耳をそばだて、最後の音が消え行く様をみんなが見守った。
アリス=紗良・オットは、名前は以前から知っていたものの、注目して聴きだしたのは、何年か前のTV放送(読響とのべトーヴェン/ピアノ協奏曲第1番)を観てから。
国内CDメーカーの売り方として、若いアーティストは所謂「Jクラシック」的なコンセプトでジャケットも作られ売り出されることが多い。 オットのディスクもそうだと思われるが、彼女の演奏は、そういうイメージとはちょっと違っていて、驚くほど淡々としていて無骨な面もある、と感じている。
このコンサートの前夜、家で彼女の弾く「展覧会の絵」とシューベルトの17番のソナタを聴いていたのだが、やはり、そういう印象だった。
内向的であり、派手さよりも凝縮され丁寧に響く音である。
別のディスクでの「エリーゼのために」は陰鬱さが際立つ。
見た目の爛漫さとすぐには結び付かない大変な集中力だと思った。
この日のモーツァルトもそういうアプローチで聴き応え十分であり、バックのインバル指揮のオーケストラが「大味」に感じられたほどである(実際に、やや大味だったと思う)。
ただ、このホールで聴くピアノは、私はめったにベストな状態で聴いた覚えがなく、今回も、座席によってはさらに美しく聴けたのではないかと思った。
去年の夏にリーズ・ドゥ・ラ・サールを聴いた3階壁面ゴンドラ席が、今までのベスト音響だったが・・・。
休憩後はマーラーの5番。
さすがに、こちらは「大味」という感じは無く、コンサート体験の少ない私から見れば、自家薬籠中の物という感じだった。
マーラーの5番の実演は、これが4回目になる。
私は、実は第2楽章がたいへん好きで、逆に第5楽章はやや苦手であるが、インバルの5番は、以前から全楽章とも弛緩せずに聴ける。
1987年の来日でやった5番はTVで放送され、その録画は繰り返し観たものだが、終楽章に関しては、あの演奏がマイ・ベストだと思っている。
今回も、たぶん同様のアプローチで、例の、加速して一気に盛り上がるエンディングは素晴らしかった。
インバルもバーンスタインみたいにジャンプしていて驚いた。
オーケストラの上手さは、比較材料に乏しいのでなんだけども、冒頭のトランペットの見事なこと。そして、もちろん各管楽器それぞれ「穴のない」素晴らしいレベルだと感じた。活躍するホルンも、もちろん・・・。
存在感大きい打楽器も痛快で、伊勢管の6番のときは席が前過ぎて管のほとんどと打楽器が「バイロイト劇場」状態だったが、今回は全て見渡せて、視覚的にも楽しめた。
インバルは83歳とのことだが、まあ元気元気。
あやかりたいものである。
久しぶりに「出待ち」などしたが、残念ながら空振りに終わった。
帰りの運転は目が見にくい上に雨降りということで、かなり怖かった。
やはり夜間の雨降り時の運転は、まだ無理だと分かった。
インバルさんも、まだまだ元気なようですね。
コンツェル管のコンミスは、日下さんという日本人女性でしたか。
同管は、エッシェンバッハが音楽監督に就任しました。
週末に、札幌PMFでエッシェンバッハのマーラー千人の交響曲を聴く予定です。
近くで見た人の話によると絶妙のぺダリングだったそうです。
コンミスはもちろん日下さん。
本文で書いたように、珍しく出待ちしたのにインバルにもアリスにも会えませんでしたが、日下さんは、私たちの真ん前を通って出て行かれました。
思わず拍手でお見送りしました。
ところで「一千人」の実演、いいですね。
あの曲の実演、私もまた経験したいものです。
3・5楽章はなんだか。
でも若い頃はよく聴きましたが。
海外オケは金管がいいですね、
聴いててイライラしなくてすみます(笑)
4楽章はどうでしたか?
インバルの6番、コンサートに行きました。
当時はまだまだ駆け出しで勉強不足…
アリス=紗良・オット、僕も好きです!
すいません、何の意味もなく書き込んで。
何だか共通項があるとついつい・・・
第4楽章は、実はあまり印象に残っていないのですが、退屈ではありせんでした。かといって、どこかに連れて行かれる程の陶酔もなかったです(私の感じ方です)。やはり起伏の激しい第2楽章が一番「引っ張り回される」感じで、いいです。それと、インバルの解釈だと終楽章もかなり惹きこまれますね。
アリス=紗良・オットは実演は初めてでしたが、TVでの印象がよかったので、ぼつぼつディスクを集めています。病気のこともありますが、いつまでもがんばってほしいと願わずにはいられせんね。