32年前の今日はバーンスタインが逝ってしまった日。
1990年10月14日。
彼の「ミサ」をケント・ナガノの指揮で。
レナード・バーンスタイン作曲/「ミサ」
(歌い手、演奏家、そしてダンサーのための劇場用作品)
ジェリー・ハドリー(T)
ユリアン・フリシュリング(S)
ベルリン放送合唱団
ベルリン大聖堂合唱団
パシフィック・モーツァルト・アンサンブル
ジグールト・ブラウンス(Org) 他
ベルリン・ドイツ交響楽団
ケント・ナガノ(指揮)
録音:2003年11月18‐22日,ベルリン、フィルハーモニー大ホール
この曲を聴くのは、なんと7年ぶり。 前に自演盤を聴いてから7年も経ってた!
車とかでは聴いているはずだけど、やっぱりそんな聴き方では記憶に残らないなぁ。
ナガノ盤を聴くのは、実は初めて。。。一体、何年間、棚で寝かせていたのだろう???
まあ、済んでしまったことは仕方がない。とにかく、心して聴くべし。
・・・・やはり、素晴らしい曲だ。
晩年の作品も悪くはないけど、曲によっては、ちょっと「贔屓の引き倒し聴き」的でもあったりする。しかし、71年に作曲されたこの「ミサ」への意気込みはどうだろう。
当時の音楽雑誌では、けっこう採りあげられていて、バーンスタインの楽曲完成に向けての入れ込みようが伝えられていた。
70年代初頭のアメリカ・・・閉塞感、様々な反戦活動、なげやりかと思えるような「自由主義」みたいなものが綯い交ぜだったような印象を、当時中学生だった自分も覚えている。世界の情勢や政治のことに、さほど心が向いていなかった自分でも(今でもだけど)。
決して弛緩せずに、たたみ掛ける展開に100分超の長さでも一気に聴き通してしまう。
これは「ミサ曲」または「ミサ」と名づけられたシアター・ピースであり、所謂「ミサ曲」ではない。
しかし、舞台上での司祭の動きやミサのプログラムは、実際のミサとほぼ同じであり、聴衆は舞台上で執り行われる「ミサ」に参加しているような思いとらわれながら曲を聴くことになる。
その設定が、後に繰り広げられるショッキングな出来事を、ことさらにインパクトの強いものにしている。「ミサ」というカトリックの儀式の形に、その教義に相反する「本音」みたいなものや疑問、侮蔑の言葉が挿まれている。
中学生当時、カトリック信徒となった私は毎週のミサに参加していたが、入信して間もなく迷いと戸惑いが増大していき、結局は高校に入学して暫くの後カトリックと訣別した。どんな宗教でも、若い人の掘り起こしには力を入れており、高校に入学した私は「カトリックを学ぶ高校生の集い」みたいな会に誘われ、何度か参加した。しかし、その時間帯は高校の部活(合唱)の時間と完全にパッティングしていた。私は合唱(音楽)を選び(って言うより、もう信仰心は薄れに薄れていた)、その会には行かなくなり、時を同じくしてミサへの参加も途絶えた。毎週ミサに通っていた頃は、「侍者」(ミサや礼拝で決められた服装で神父様のアシスタントを行う)を何度もさせてもらっていた。礼拝中、聖書の一部を朗読する場面では、父がその役割をしていたことも何度かあった。しかし、祈りのとき、沈黙のとき、いつしか頭の中では不遜なことばかり考えるようになっていた。告解(告白、所謂「懺悔」のこと)は一度だけしかしたことがない。
「罰当たり」な信者の典型であった(と思う)。
まあ、洗礼名が「パウロ」だから仕方ないか。
パウロは、最初、キリスト教を迫害していたが、ある日、神の声を聞いて、突然目が見えなくなって馬から落ちてから(どっちが先だったかな?)というもの、熱心な布教徒に転じ「聖人」の仲間入りをした人である。
そんなわけもあってか、私はこの曲の「宗教の儀式的な部分や教義そのものを否定しているような面」に共感してしまう。この曲が、だだ信仰を否定するだけの曲ではないことは、分かっているけども・・・。
繰り返すが、すごい曲だと思う。
特に後半、「クレド」から終幕に向けてのたたみ掛ける展開。
熱心なカトリック信徒が聴いたら「吐き気を催す」ようなテキストがスリリングで最高にカッコイイ音楽に乗って、ガンガンに迫ってくる。
そして、本来のミサでも中心部分である「聖体拝領」の場面での神父の長くメチャクチャなモノローグ!
最後には、ラテン語と英語の言葉が次第に区別がつかなくなり、混合して言葉遊びのようなギャグ一歩手前みたいなところまで「狂って」しまう神父。
この部分で終わってもよかったかも知れない。レニーはなぜ、最後に「シークレット・ソング」を持ってきたのだろうか?
本音を吐き出し、狂って、倒れて、それで幕でよかったのではないか?・・・最初はそんなことも思ったが、やっぱり、この終曲は必要だった。
最後の場面は、単に感動的で美しいコーラスで「昇華」するように終えるためにあるのではない。
もし、その前で終わってたら、この曲は、スキャンダラスなただの宗教否定音楽として終わってしまう。
それはバーンスタインの本意ではない。
宗教の力や縛りを超えた「人間の力」を信じたバーンスタインだから、このエンディングが必要だった。
人間が作り出した混沌や不条理は、人間が人間の繋がりの力でなんとかできると信じる(信じたい)バーンスタインの思いがそこにある。
「『ミサ』は終わりました。平和のうちに進みましょう」
・・・という、テープから聞こえる最後のセリフは、聴衆にそのことを促しているのではないか。
「ミサ」(宗教)という形式的で形骸化した殻の中に留まっていては、何も変わらないのだ。
このセリフは、後に彼が広島の原爆記念館に記した「言葉は十分だ。行動は不十分だ。」という言葉にも繋がっている。
演奏については、自演盤と、このナガノ盤しか知らないが、自然な録音と十分な緊迫感を持った名演だと思う。
今回、自演盤のLPに付いていた対訳とナガノ盤に記載された元詞を見比べながら聴いていたが、歌詞の変更が為されている部分がいくつかあった。
漠然と見ていたので見落としもあるだろうが、第4曲「CONFESSION」(告解)の中で登場する3人のブルース歌手の歌詞の一部が、自演盤と違っていた。
それと、クライマックスでもある第16曲「Things Get Broken」(みんな崩れていく)で、15分余り続く神父の独白の中で、彼が祭壇の布を引きちぎり振り回そうとする、その少し前の部分の言葉が、やはり変更されている。
歌詞(台詞)の変更の理由は知らない。
オケも合唱もソリストも熱演だが、中でも、登場シーンの荘厳な佇まいから最後の「狂気」の独白まで、「神父」を壮絶に歌いきったジェリー・ハドレー(ハドリー)が素晴らしい。
レニー晩年のいくつかのディスクには欠かさず参加していたハドレーが、レニー亡き後もこんな名唱を遺していたのだ。彼が自ら命を絶つ4年前の録音。
【アマゾン・サイトのレビューより】
作曲家としてのレナード・バーンスタインは、「ウェスト・サイド・ストーリー」をはじめとして傑作を多数残しています。その中でも最も野心的な作品として挙げられるのが、このミサ。ベトナム戦争真只中の混迷極める時代、ジャクリーン・ケネディからワシントンDCのケネディ・センターの柿落としのためにケネディ追悼の作品を依頼されて作曲されたもの。1971年の初演当事は賛否に割れたこの作品も、30年を経た今では、バースタインのユニークな才能が最も複雑に高度に結晶した傑作として、アメリカはもちろん、ヨーロッパでもしばしば取り上げられる人気作となっています。通常の管弦楽、合唱に加え、ロックやブルース、ゴスペル調の合唱、ブラスバンド、さらにダンサーなどなどの様々な要素が多様に入り組んだ巨大で複雑な音楽は、並の指揮者ではとても太刀打ちできない代物。今日、このミサを指揮するに、ケント・ナガノ以上にうってつけの人はいません。この愛弟子は、バーンスタインの熱いスピリットはそのままに、完璧な統率力で巨大な編成を見事にさばき、1970年代の混沌とした時代の叫びと平和への祈りを21世紀の今に伝えています。これはナガノとしても快心の傑作でしょう。
1990年10月14日。
彼の「ミサ」をケント・ナガノの指揮で。
レナード・バーンスタイン作曲/「ミサ」
(歌い手、演奏家、そしてダンサーのための劇場用作品)
ジェリー・ハドリー(T)
ユリアン・フリシュリング(S)
ベルリン放送合唱団
ベルリン大聖堂合唱団
パシフィック・モーツァルト・アンサンブル
ジグールト・ブラウンス(Org) 他
ベルリン・ドイツ交響楽団
ケント・ナガノ(指揮)
録音:2003年11月18‐22日,ベルリン、フィルハーモニー大ホール
この曲を聴くのは、なんと7年ぶり。 前に自演盤を聴いてから7年も経ってた!
車とかでは聴いているはずだけど、やっぱりそんな聴き方では記憶に残らないなぁ。
ナガノ盤を聴くのは、実は初めて。。。一体、何年間、棚で寝かせていたのだろう???
まあ、済んでしまったことは仕方がない。とにかく、心して聴くべし。
・・・・やはり、素晴らしい曲だ。
晩年の作品も悪くはないけど、曲によっては、ちょっと「贔屓の引き倒し聴き」的でもあったりする。しかし、71年に作曲されたこの「ミサ」への意気込みはどうだろう。
当時の音楽雑誌では、けっこう採りあげられていて、バーンスタインの楽曲完成に向けての入れ込みようが伝えられていた。
70年代初頭のアメリカ・・・閉塞感、様々な反戦活動、なげやりかと思えるような「自由主義」みたいなものが綯い交ぜだったような印象を、当時中学生だった自分も覚えている。世界の情勢や政治のことに、さほど心が向いていなかった自分でも(今でもだけど)。
決して弛緩せずに、たたみ掛ける展開に100分超の長さでも一気に聴き通してしまう。
これは「ミサ曲」または「ミサ」と名づけられたシアター・ピースであり、所謂「ミサ曲」ではない。
しかし、舞台上での司祭の動きやミサのプログラムは、実際のミサとほぼ同じであり、聴衆は舞台上で執り行われる「ミサ」に参加しているような思いとらわれながら曲を聴くことになる。
その設定が、後に繰り広げられるショッキングな出来事を、ことさらにインパクトの強いものにしている。「ミサ」というカトリックの儀式の形に、その教義に相反する「本音」みたいなものや疑問、侮蔑の言葉が挿まれている。
中学生当時、カトリック信徒となった私は毎週のミサに参加していたが、入信して間もなく迷いと戸惑いが増大していき、結局は高校に入学して暫くの後カトリックと訣別した。どんな宗教でも、若い人の掘り起こしには力を入れており、高校に入学した私は「カトリックを学ぶ高校生の集い」みたいな会に誘われ、何度か参加した。しかし、その時間帯は高校の部活(合唱)の時間と完全にパッティングしていた。私は合唱(音楽)を選び(って言うより、もう信仰心は薄れに薄れていた)、その会には行かなくなり、時を同じくしてミサへの参加も途絶えた。毎週ミサに通っていた頃は、「侍者」(ミサや礼拝で決められた服装で神父様のアシスタントを行う)を何度もさせてもらっていた。礼拝中、聖書の一部を朗読する場面では、父がその役割をしていたことも何度かあった。しかし、祈りのとき、沈黙のとき、いつしか頭の中では不遜なことばかり考えるようになっていた。告解(告白、所謂「懺悔」のこと)は一度だけしかしたことがない。
「罰当たり」な信者の典型であった(と思う)。
まあ、洗礼名が「パウロ」だから仕方ないか。
パウロは、最初、キリスト教を迫害していたが、ある日、神の声を聞いて、突然目が見えなくなって馬から落ちてから(どっちが先だったかな?)というもの、熱心な布教徒に転じ「聖人」の仲間入りをした人である。
そんなわけもあってか、私はこの曲の「宗教の儀式的な部分や教義そのものを否定しているような面」に共感してしまう。この曲が、だだ信仰を否定するだけの曲ではないことは、分かっているけども・・・。
繰り返すが、すごい曲だと思う。
特に後半、「クレド」から終幕に向けてのたたみ掛ける展開。
熱心なカトリック信徒が聴いたら「吐き気を催す」ようなテキストがスリリングで最高にカッコイイ音楽に乗って、ガンガンに迫ってくる。
そして、本来のミサでも中心部分である「聖体拝領」の場面での神父の長くメチャクチャなモノローグ!
最後には、ラテン語と英語の言葉が次第に区別がつかなくなり、混合して言葉遊びのようなギャグ一歩手前みたいなところまで「狂って」しまう神父。
この部分で終わってもよかったかも知れない。レニーはなぜ、最後に「シークレット・ソング」を持ってきたのだろうか?
本音を吐き出し、狂って、倒れて、それで幕でよかったのではないか?・・・最初はそんなことも思ったが、やっぱり、この終曲は必要だった。
最後の場面は、単に感動的で美しいコーラスで「昇華」するように終えるためにあるのではない。
もし、その前で終わってたら、この曲は、スキャンダラスなただの宗教否定音楽として終わってしまう。
それはバーンスタインの本意ではない。
宗教の力や縛りを超えた「人間の力」を信じたバーンスタインだから、このエンディングが必要だった。
人間が作り出した混沌や不条理は、人間が人間の繋がりの力でなんとかできると信じる(信じたい)バーンスタインの思いがそこにある。
「『ミサ』は終わりました。平和のうちに進みましょう」
・・・という、テープから聞こえる最後のセリフは、聴衆にそのことを促しているのではないか。
「ミサ」(宗教)という形式的で形骸化した殻の中に留まっていては、何も変わらないのだ。
このセリフは、後に彼が広島の原爆記念館に記した「言葉は十分だ。行動は不十分だ。」という言葉にも繋がっている。
演奏については、自演盤と、このナガノ盤しか知らないが、自然な録音と十分な緊迫感を持った名演だと思う。
今回、自演盤のLPに付いていた対訳とナガノ盤に記載された元詞を見比べながら聴いていたが、歌詞の変更が為されている部分がいくつかあった。
漠然と見ていたので見落としもあるだろうが、第4曲「CONFESSION」(告解)の中で登場する3人のブルース歌手の歌詞の一部が、自演盤と違っていた。
それと、クライマックスでもある第16曲「Things Get Broken」(みんな崩れていく)で、15分余り続く神父の独白の中で、彼が祭壇の布を引きちぎり振り回そうとする、その少し前の部分の言葉が、やはり変更されている。
歌詞(台詞)の変更の理由は知らない。
オケも合唱もソリストも熱演だが、中でも、登場シーンの荘厳な佇まいから最後の「狂気」の独白まで、「神父」を壮絶に歌いきったジェリー・ハドレー(ハドリー)が素晴らしい。
レニー晩年のいくつかのディスクには欠かさず参加していたハドレーが、レニー亡き後もこんな名唱を遺していたのだ。彼が自ら命を絶つ4年前の録音。
【アマゾン・サイトのレビューより】
作曲家としてのレナード・バーンスタインは、「ウェスト・サイド・ストーリー」をはじめとして傑作を多数残しています。その中でも最も野心的な作品として挙げられるのが、このミサ。ベトナム戦争真只中の混迷極める時代、ジャクリーン・ケネディからワシントンDCのケネディ・センターの柿落としのためにケネディ追悼の作品を依頼されて作曲されたもの。1971年の初演当事は賛否に割れたこの作品も、30年を経た今では、バースタインのユニークな才能が最も複雑に高度に結晶した傑作として、アメリカはもちろん、ヨーロッパでもしばしば取り上げられる人気作となっています。通常の管弦楽、合唱に加え、ロックやブルース、ゴスペル調の合唱、ブラスバンド、さらにダンサーなどなどの様々な要素が多様に入り組んだ巨大で複雑な音楽は、並の指揮者ではとても太刀打ちできない代物。今日、このミサを指揮するに、ケント・ナガノ以上にうってつけの人はいません。この愛弟子は、バーンスタインの熱いスピリットはそのままに、完璧な統率力で巨大な編成を見事にさばき、1970年代の混沌とした時代の叫びと平和への祈りを21世紀の今に伝えています。これはナガノとしても快心の傑作でしょう。
マニィフィカトの映像は、ちょっと後の1977年ということですね。未視聴ですが、いずれ購入したいと思っています。
ブリテンの影響は詳しく知りませんが、「無調」の方へ行くことを選ばなかったという点で共通していますから、大いにあるでしょうね。またいろいろな点で親近感もあったと思います。「ミサ」の典礼文に他のテキストを加えるという形も「戦争レクィエム」に似ていると言えば言えなくも無いですし・・・。
「マニフィカト」は、その当時の映像(LSO?)が発売されていませんでしたか。
「ミサ」は、初演当時、音楽的にも、内容的(聖書冒涜)にも、相当な批判を受けたようですね。
自演盤、ナガノ盤以外に、私は、マリン・オールソップ盤(ナクソス廉価)を持っています。(他に、もう1種くらい、出ていたかしら)
私は、あまり歌詞にこだわらず聴いてしまうのですが、最近、ブリテンのオペラを聴いていて、LBは作曲面で影響を受けたのではないかと感じました。
奇しくも、最後の演奏会となった曲目の前半が、ブリテンの「4つの海の間奏曲」でしたね。