順番にアップしてきた「そのとき、マーラーを聴いた」シリーズですが、予定を変更して6番。
若杉さんを偲んで・・・・。
マーラー/交響曲第6番《悲劇的》
管弦楽:東京都交響楽団
指揮:若杉 弘
録音:1989年1月26日、サントリー・ホール(ライヴ)
若杉さん、小澤さん、岩城さんが三人笑顔で並んでいる写真があったのだが、探せなかった。
あれは「音楽の友」誌だったかな?
「次代を担う指揮界のホープ」みたいなタイトルがついてたと記憶しているが・・・。
もう、ずいぶん前の・・・・。
その中で若杉さんは中央に位置し、二人を脇から抱えているようにも見えた。
その若杉さんが亡くなられた。
実は、私はあまり聴いていない指揮者であるけども、でも「同時代」。淋しさを禁じえない。
子ども音楽館のカバレフスキー、テレビで見た「眠れる森の美女」(N響)あたりが最初かな。
高校の音楽準備室にあった「水のいのち」や「岬の墓」の指揮は若杉さんだったはず。
あの、耽美的な「雨」は妖しい魅力があった。
1974年、チェリビダッケのシュトゥットガルト放送響ライヴの放送で、福原信夫、園田高広両氏と鼎談。
翌75年の、同じくチェリのライヴ放送では、3日間、解説を担当された。
1980年、ケルン放送響との来日公演の数々(上の写真はその時のもの・・・「音楽現代」誌より)。
SKDとのマーラー4番他・・・・。
実演は聴いていない。
手元にある若杉さんの音盤は少なく、ドレスデンとのマーラー1番と、この6番。あとは武満作品の何曲か、というところ。
都響とのマーラー全集は、全部ライヴでかなり話題になったものだが、私は、この1曲しか知らない。
若杉さんの6番は、ふだん、私がよく聴いている演奏たちとはずいぶん違う。
最初は「おとなしく」「パンチに欠ける」印象で始まる。
ライヴなので、ひょっとすると最初は調子が出ていないのかも知れない、とも思える。
第1楽章は、提示部の反復が済んで展開部に入った頃から、なにやら各パートの自己主張がこちらに届き始め、次第に演奏のペースに引き込まれていく。
打楽器の控え目な打音も、物足りなさは感じられず、むしろ、その音量は響きを構築しようとする厳しさの現れとして伝わってくる。
第3楽章では、その叙情味の表出というか、濃い表情にぐっと引き込まれた。
あまり表情を前面に出さない淡白な女形の踊りを間近で見ていたら、突如、大胆に近寄って来て誘われたような危うさ。
これが若杉氏の「凄さ」なのだろうか?
その「凄味」は終楽章で全開となり、曲の開始とは別人みたいなうねりとダイナミックスで30分間を一気に聴かされてしまう。
ほんに、演奏行為とは人間味だな。
でも、本当に、若杉さんを聴く(聴ける)頻度は少なかった。
東京に住んでいて何度も実演に触れた人たちが羨ましい。
ご冥福をお祈りいたします。
マーラーの6番との出会い・・・・それは、たぶん、FMで放送されたバーンスタインのNYP盤。
しかし、その時はカセットの手配が間に合わず、結局、バーンスタイン盤は前半の2つの楽章を録音しただけ。
その時は、メリハリのある曲趣に、けっこうエンタな魅力を感じていた。
そして、74年に放送されたウリ・セガル指揮シュトゥットガルト放送響のライヴが私のマラ6デフォルトとなった。
レコードで買ったのはセルとバルビローリ、いずれも2枚組だった。
特にセル盤はよく聴いた。第3楽章は、悶々とした日々を過ごした時期のテーマ・ミュージックみたいだった。今でも聞いているといろいろと思い出す。
CD、オンエア音源はいろいろ。
実演は、1979年の朝比奈隆指揮大阪フィルと、1989年のインバル指揮フランクフルト放送響の2回。
不謹慎な話・・・・若杉さん&都響のマーラー全集は現在廃盤ですが、追悼盤として復活するのだろうか。
若杉さんを偲んで・・・・。
マーラー/交響曲第6番《悲劇的》
管弦楽:東京都交響楽団
指揮:若杉 弘
録音:1989年1月26日、サントリー・ホール(ライヴ)
若杉さん、小澤さん、岩城さんが三人笑顔で並んでいる写真があったのだが、探せなかった。
あれは「音楽の友」誌だったかな?
「次代を担う指揮界のホープ」みたいなタイトルがついてたと記憶しているが・・・。
もう、ずいぶん前の・・・・。
その中で若杉さんは中央に位置し、二人を脇から抱えているようにも見えた。
その若杉さんが亡くなられた。
実は、私はあまり聴いていない指揮者であるけども、でも「同時代」。淋しさを禁じえない。
子ども音楽館のカバレフスキー、テレビで見た「眠れる森の美女」(N響)あたりが最初かな。
高校の音楽準備室にあった「水のいのち」や「岬の墓」の指揮は若杉さんだったはず。
あの、耽美的な「雨」は妖しい魅力があった。
1974年、チェリビダッケのシュトゥットガルト放送響ライヴの放送で、福原信夫、園田高広両氏と鼎談。
翌75年の、同じくチェリのライヴ放送では、3日間、解説を担当された。
1980年、ケルン放送響との来日公演の数々(上の写真はその時のもの・・・「音楽現代」誌より)。
SKDとのマーラー4番他・・・・。
実演は聴いていない。
手元にある若杉さんの音盤は少なく、ドレスデンとのマーラー1番と、この6番。あとは武満作品の何曲か、というところ。
都響とのマーラー全集は、全部ライヴでかなり話題になったものだが、私は、この1曲しか知らない。
若杉さんの6番は、ふだん、私がよく聴いている演奏たちとはずいぶん違う。
最初は「おとなしく」「パンチに欠ける」印象で始まる。
ライヴなので、ひょっとすると最初は調子が出ていないのかも知れない、とも思える。
第1楽章は、提示部の反復が済んで展開部に入った頃から、なにやら各パートの自己主張がこちらに届き始め、次第に演奏のペースに引き込まれていく。
打楽器の控え目な打音も、物足りなさは感じられず、むしろ、その音量は響きを構築しようとする厳しさの現れとして伝わってくる。
第3楽章では、その叙情味の表出というか、濃い表情にぐっと引き込まれた。
あまり表情を前面に出さない淡白な女形の踊りを間近で見ていたら、突如、大胆に近寄って来て誘われたような危うさ。
これが若杉氏の「凄さ」なのだろうか?
その「凄味」は終楽章で全開となり、曲の開始とは別人みたいなうねりとダイナミックスで30分間を一気に聴かされてしまう。
ほんに、演奏行為とは人間味だな。
でも、本当に、若杉さんを聴く(聴ける)頻度は少なかった。
東京に住んでいて何度も実演に触れた人たちが羨ましい。
ご冥福をお祈りいたします。
マーラーの6番との出会い・・・・それは、たぶん、FMで放送されたバーンスタインのNYP盤。
しかし、その時はカセットの手配が間に合わず、結局、バーンスタイン盤は前半の2つの楽章を録音しただけ。
その時は、メリハリのある曲趣に、けっこうエンタな魅力を感じていた。
そして、74年に放送されたウリ・セガル指揮シュトゥットガルト放送響のライヴが私のマラ6デフォルトとなった。
レコードで買ったのはセルとバルビローリ、いずれも2枚組だった。
特にセル盤はよく聴いた。第3楽章は、悶々とした日々を過ごした時期のテーマ・ミュージックみたいだった。今でも聞いているといろいろと思い出す。
CD、オンエア音源はいろいろ。
実演は、1979年の朝比奈隆指揮大阪フィルと、1989年のインバル指揮フランクフルト放送響の2回。
不謹慎な話・・・・若杉さん&都響のマーラー全集は現在廃盤ですが、追悼盤として復活するのだろうか。
昨年来体調がすぐれないことは報道されてましたが、まさか亡くなってしまうとは・・・。
私も思い出はだいたい同じです。
若手3羽カラスです。
それとマーラー6番体験も、バーンスタインのFMを録音し、セガルのライブも録音しました。
若杉さんとN響の演奏で実演で初めて聴き、ハンマーに度肝抜かれました・・・。
都響とのマーラーは復活して欲しいですね。
私は8番のみ持ってます。
それとN響とのブルクッナーも・・・・。
亡くなってみて、音源をおねだりするのもなんですが、若杉さんの芸術はしっかり残しておいていただきたいと思います。
ご冥福をお祈りします。
先ほど、貴ブログにコメントいたしましたが、まことに、yokochanさんの若杉さんへの想いとそのお付き合いの歴史の深さに驚きました。
一度も実演を聴かず、さして大きな関心も抱き得なかった私とは大違いですね。
逝ってしまった今となって、その偉大さを実感しております。