ちょっと前のコンサートですが・・・・忙しくて書くひまなかったです・・・。
メンデルスゾーン/オラトリオ「エリア」作品70
(日本語上演)
ソプラノ:松田奈緒美(寡婦、天使、セラピム)
ソプラノ:市原愛(天使)
アルト:寺谷千枝子(王妃、天使、セラピム)
アルト:金子美香(セラピム)
テノール:吉田浩之(オバディア、アハブ)
バス:石野繁生(エリア)
ボーイソプラノ:宮下和也(TOKYO FM 少年合唱団)
オルガン:室住素子
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:小澤征爾
2009.3.31(火) 17:30開演
三重県文化会館大ホール
昨年の5月、「悲愴」他のプログラムで来県の予定だったのが、小澤さんの体調不良のために中止になって、その 代替公演。
プログラムもがらりと変わって「エリア」全曲という、願ってもないものになったのでした。
いやはや、素晴らしいコンサートでした。
休憩をはさんで前後半70分ずつの、およそ3時間のコンサート。
終わった頃にはソリスト、オーケストラ、合唱、もちろん指揮者、そして客席までもが、いつの間にか生まれていた連帯感のようなものの心地良さに浸ったのでした。
「エリア」は、音源はいくつか持っていましたが、聴く回数少なく、ここ15年ほどは全く聴いてませんでしたので、当コンサートのチケットを購入して以来、デ・ブルゴス指揮のレコードやオーマンディのCDで「予習」の日々でした。
おかげで、当日のコンサートはしっかり堪能できました。
ホンマに旧約聖書の神様は恐ろしいと言うか、従わないものは抹殺あるのみ、というスタンスは、わが国の「神様、仏様~」的感覚とは程遠いものです。
でも、仕方ないのでしょう。世界が人間の煩悩全開で無茶苦茶になってしまうのを防ぐには、このような唯一絶対の神の存在が必要だったのでしょう。
「エリア」は、全てのテキストを(「列王記」を主としながら)パッチワークのように聖書のあちらこちらから引用し再構成した、というメンデルスゾーンこだわりの作品なのですね。
バッハの受難曲や他のオラトリオでよくあるように聖書以外のテキストを用いて物語性を明確にするということを敢えて避けていますから、ストーリーを追うにはやや難しさが伴います。
しかし、聴いていてそんなことは全然感じられないほどの劇性、緊迫感であります。昨年、小澤さんがオペラとしてこの曲をやったと聞きましたが、オペラにしても全然不自然でない楽曲構成だと思いました。
舞台では、エリア役の石野さんだけが一段高い台に立ち、他の歌手達との役処の違いを視覚的にも明らかにしていました。
冒頭のレチタティーヴォから続く序曲の緊迫感、そして、合唱の入り。
ああ、久しぶりに上手い合唱を聴きました。栗友会、素晴らしかったです。
文語調の古風な日本語歌詞でしたが、少々聴き取れなくても「予習」のおかげで十分判りました。
メンデルスゾーンの曲って、決まる時は決まるって言うか、なんかカッコいいんですよね。裏を返せば「スマート過ぎる」「毒気が足りない」なんてことも言えるのですが、でも、この曲は大部分を重苦しい曲調が支配してて、その意味ではメンデらしくない重さ暗さに満ちてます。メロディ志向が強くて、なんとなく演歌っぽいアリアや合唱もうれしいですね。
第1部は、それでもピンポイントで睡魔が襲ってきて困りました。
毎朝飲んでいる花粉症の薬をこの日は飲み忘れてて昼過ぎに服用してたので、そのせいかも知れません。
第1部終結前の雨雲を呼ぶエリアと、雲の様子を知らせる少年ソロとの対話(ここ、ホントウに良かったです!)あたりで思いっきり目覚めさせられて、休憩後の第2部は、それこそ息もつかせぬ展開に呪縛されたかのように聴き入りました。
松田奈緒美さんのソロもよかった!
三人の無伴奏重唱は、ここだけはレコードで聴いた少年合唱の響きがふさわしいかな?って感じでしたね。
最後の合唱を振る小澤さんの鬼気迫る集中力。その凄いこと!
全曲暗譜で、オケ、合唱、ソリストだけでなく全ての聴衆をも惹きつけ束ねてしまう、そのオーラに参りました。
カテコは先に書いたように、ホールが何とも言えない連帯感に包まれ、合唱界ではカリスマ的人気の栗山さんにも熱狂的な拍手がありました。
終演後は、「ミーハー親父」のお約束行動フル・メニュー敢行でありました。
メンデルスゾーン/オラトリオ「エリア」作品70
(日本語上演)
ソプラノ:松田奈緒美(寡婦、天使、セラピム)
ソプラノ:市原愛(天使)
アルト:寺谷千枝子(王妃、天使、セラピム)
アルト:金子美香(セラピム)
テノール:吉田浩之(オバディア、アハブ)
バス:石野繁生(エリア)
ボーイソプラノ:宮下和也(TOKYO FM 少年合唱団)
オルガン:室住素子
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:小澤征爾
2009.3.31(火) 17:30開演
三重県文化会館大ホール
昨年の5月、「悲愴」他のプログラムで来県の予定だったのが、小澤さんの体調不良のために中止になって、その 代替公演。
プログラムもがらりと変わって「エリア」全曲という、願ってもないものになったのでした。
いやはや、素晴らしいコンサートでした。
休憩をはさんで前後半70分ずつの、およそ3時間のコンサート。
終わった頃にはソリスト、オーケストラ、合唱、もちろん指揮者、そして客席までもが、いつの間にか生まれていた連帯感のようなものの心地良さに浸ったのでした。
「エリア」は、音源はいくつか持っていましたが、聴く回数少なく、ここ15年ほどは全く聴いてませんでしたので、当コンサートのチケットを購入して以来、デ・ブルゴス指揮のレコードやオーマンディのCDで「予習」の日々でした。
おかげで、当日のコンサートはしっかり堪能できました。
ホンマに旧約聖書の神様は恐ろしいと言うか、従わないものは抹殺あるのみ、というスタンスは、わが国の「神様、仏様~」的感覚とは程遠いものです。
でも、仕方ないのでしょう。世界が人間の煩悩全開で無茶苦茶になってしまうのを防ぐには、このような唯一絶対の神の存在が必要だったのでしょう。
「エリア」は、全てのテキストを(「列王記」を主としながら)パッチワークのように聖書のあちらこちらから引用し再構成した、というメンデルスゾーンこだわりの作品なのですね。
バッハの受難曲や他のオラトリオでよくあるように聖書以外のテキストを用いて物語性を明確にするということを敢えて避けていますから、ストーリーを追うにはやや難しさが伴います。
しかし、聴いていてそんなことは全然感じられないほどの劇性、緊迫感であります。昨年、小澤さんがオペラとしてこの曲をやったと聞きましたが、オペラにしても全然不自然でない楽曲構成だと思いました。
舞台では、エリア役の石野さんだけが一段高い台に立ち、他の歌手達との役処の違いを視覚的にも明らかにしていました。
冒頭のレチタティーヴォから続く序曲の緊迫感、そして、合唱の入り。
ああ、久しぶりに上手い合唱を聴きました。栗友会、素晴らしかったです。
文語調の古風な日本語歌詞でしたが、少々聴き取れなくても「予習」のおかげで十分判りました。
メンデルスゾーンの曲って、決まる時は決まるって言うか、なんかカッコいいんですよね。裏を返せば「スマート過ぎる」「毒気が足りない」なんてことも言えるのですが、でも、この曲は大部分を重苦しい曲調が支配してて、その意味ではメンデらしくない重さ暗さに満ちてます。メロディ志向が強くて、なんとなく演歌っぽいアリアや合唱もうれしいですね。
第1部は、それでもピンポイントで睡魔が襲ってきて困りました。
毎朝飲んでいる花粉症の薬をこの日は飲み忘れてて昼過ぎに服用してたので、そのせいかも知れません。
第1部終結前の雨雲を呼ぶエリアと、雲の様子を知らせる少年ソロとの対話(ここ、ホントウに良かったです!)あたりで思いっきり目覚めさせられて、休憩後の第2部は、それこそ息もつかせぬ展開に呪縛されたかのように聴き入りました。
松田奈緒美さんのソロもよかった!
三人の無伴奏重唱は、ここだけはレコードで聴いた少年合唱の響きがふさわしいかな?って感じでしたね。
最後の合唱を振る小澤さんの鬼気迫る集中力。その凄いこと!
全曲暗譜で、オケ、合唱、ソリストだけでなく全ての聴衆をも惹きつけ束ねてしまう、そのオーラに参りました。
カテコは先に書いたように、ホールが何とも言えない連帯感に包まれ、合唱界ではカリスマ的人気の栗山さんにも熱狂的な拍手がありました。
終演後は、「ミーハー親父」のお約束行動フル・メニュー敢行でありました。
私も、そんなにたくさんコンサートに行っている訳ではありませんが、年に数回のコンサートは何よりの楽しみであり喜びです。
やまざきさんも是非行かれることをお奨めいたします。
生の音楽は何よりですよ。
私も、小澤さんはめったに聴けないのですけどね・・・。
小澤征爾さんを聴くなんて本当に羨ましいです。
僕はコンサート自体行ったことがないので、家でCDやレコードを聴くだけです。
音の良さ以外に一体感だとかが感じられるのはコンサートならではですね。
サイトウキネンを聴きたいなぁと以前から思ってましたが遠いこともありで億劫になってました。
ですがこの記事を読んで刺激を受けました。
今年こそは聴かないと、小澤さんもお年ですものね。
また別のもじっくり読みたいと思います。