高田三郎/混声合唱のための「啄木短歌集」
合唱:豊中混声合唱団
ピアノ:高田江里
指揮:高田三郎
合唱:豊中混声合唱団
ピアノ:高田江里
指揮:高田三郎
前の 「水のいのち」と同じCDに収められています。
高田三郎の「啄木短歌集」は、最初は独唱曲として出合いました。
高校3年の時、知人に借りた柳兼子女史による演奏でした。
信時潔の「沙羅」を知ったのも、そのレコードでした。
収録曲の中で、当時から「啄木短歌集」が最も好きで、録音したカセットを何度も何度も聴き返していました。
大学の声楽(副専攻)の試験曲に1曲目の「やわらかに」を歌ったりもしました。
それくらい惚れ込んでいた曲です。
しかし、あの当時の自分は、この曲この詩(短歌)の素晴らしさを、一体どれくらい「分かっていた」のだろうか?
今ごろになって、そんな気持ちがしています。
「今は分かっている」という意味ではなく、今、この曲を聴けば聴くほど、啄木の詩歌を詠めば詠むほどに、その奥深さに驚き、感覚の鋭さや味わいの多様性に開眼させられているからです。
「これはいい」「この作品の良さはこういうことだ」と、分かっていた「つもり」だったものが次第に「分からなくなる」、そういう実感にとらわれ、何度も触れたくなっているのです。
もちろん、この作品に限らず、日頃聴いている音楽のほとんどにこういう感覚を持ち、そして、自分の中に入ってきたものの何であるかを言い表す言葉が見つからない・・・ということの繰り返しなのです。
さて、これは混声合唱版です。
東海メールクワイヤーの男声版も以前から持っていますが、混声版は今回が初めてでした。
八編の短歌が歌われています。
いずれも1分から2分程度の、本当に短い、けれども無駄のない結晶のような楽曲ばかりです。
私が、強烈に惹かれる一編は・・・・
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし 十五の心
これです。
不来方(こずかた)の城跡に寝転んで空を見上げている十五の自分がそこに居ます。
余計な説明は不要だし、また説明のしようがありません。
ただただ、涙がこぼれそうになるほどの切実さを伴った過ぎた日への憧憬の念があるだけです。
高田さんの曲調は、ここでますます簡素に、まるで讃美歌かバッハのコラールのように表面はさらりと、しかし内には、聴き手の心象に奥底まで寄り添う抒情味をたたえています。
そして思うのは、私などが言うのもおこがましいのですが、短歌という芸術にも本当に心を揺り動かされることがあるのたどいうことです。
今日
今日は「初夏の陽気」とテレビが報じていましたが家の中は肌寒い感じでした。
まだまだファンヒーターは必要です。
しかし、裏ではアマガエルの鳴き声がしていました。
地中から出てきたのでしょうか?
私たち家族には、ちょっと重くしんどい一日でした。
いろんな日があります。
明日、妻は髪切りに出かけるそうです。
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