
いやはや、いまだにベートーヴェン「運命」の魅力から離れられない音楽オヤジですよ。
何しろ、子どもの頃に父親が時々鳴らすフルトヴェングラーのSP盤から始まって、70年万博公演でのバーンスタインNYPのTVオンエア(71年元旦の再放送)、その日の夜に買ったドラティ盤(17㎝盤)、初めて買ったクラシックLPがスタインバーグの「運命/田園」と、その頃読んでいた諸井三郎の「ベートーヴェン」に感化されていたとは言え、あまりにベートーヴェン追従の「私のクラシック音楽入門期」でした。
その頃から、あまり進歩していないです。
音盤聴きは結構重ねてきましたが、レバートリーかなり狭い。
同じ曲を何度聴いても、それほど飽きない。
「運命」だって、毎日とは聴きませんが、週一・・・も聴かないか?
でも、月イチくらいなら全然大丈夫ですよ。
もちろん、見捨てた(いや、手放した盤も数多くあります・・・ノリントン2種、ホグウッド、アーノンクール、クリヴィヌ、飯守、ムーティ、ケンぺ、朝比奈85年チクルス、ブリュッヘン、マズア、ヨッフムRCO、マッケラス、マゼールなどなど、みんなオサラバしました。)
でもまだ、全9曲そろっているので55種ほど、全9曲そろっていないのも入れると110種くらいあるのかな?
正確には分かりません・・・。
ベトSym.はあまり手放したくないアイテム。
自然と溜まっていくみたいです。
さて、昨夜はBD療法の日ということで、不眠の夜でした。
この演奏のDVDをじっくり鑑賞し感激しておりました。
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:クラウディオ・アバド
録音:2001年2月
DVD
アバドが2000年の胃癌の手術から復帰して間もない時の演奏です。
痩せこけて、いっそう細くなったアバドをイタリアの聴衆が温かく迎えています。
CDでも出ていますが、私はDVDしか持っていません。
演奏は素晴らしかった。
彼は、だいたいが冒頭から聴衆をあっと驚かすような音はめったに出さない人と思っていました。
この「第5」の冒頭も、かなり気合いは入っているものの、音量的には(編成上のこともあるのでしょう)「なるほど、これくらいからね」と感じさせました。
ところが、この第5交響曲の構成からしてそうなっているのですが、提示部→展開部→再現部→コーダと進むにつれて、その激烈さ、過酷さが段階的に大きくアップしていく、その様をこれほどに強烈に描いた演奏は、そんなにないかと思わされた、これは凄い演奏でした。
楽章単位でも、全体を通してでも、「もう後戻りはしない」と言っているかのような、ガンガンに密度を増していく恐ろしい「運命」でした。
第1楽章のあと、ひょっとしたらアタッカで次楽章に行きたかったのかも知れませんが、聴衆の「一段落の咳やさざめき」と誰かのチューニングらしき音で、苦笑いで待つアバド。
そして始まった第2楽章も、艶やかに歌っているものの、速い目テンポの効果もあって、どこか殺気を感じさせる直向きなものでした。
第3楽章の、今はすっかり普通となった「反復」も、ほとんどそのことを意識させないような自然さで、と言うか、「そんなこと、いつまで言ってるんや?」って言われそうなくらい必然性を感じさせる楽章冒頭への回帰。
そして、終楽章の鬼気迫る音楽。
自宅のTV画面を前に、まるで実際のコンサートを聴いているかに匹敵するインパクト、そして感動でした。
これ見よがしの解釈とは対極のような正攻法の連続ですが、中に込められたものの濃さと、それが「普通」の表面を突き破って噴き出てくるエネルギーに圧倒されました。
時にはくどい、しつこいと感じられる第4楽章ですが、そのくどさは、まさに「過酷な運命」に対して「お前の負けだ」と執拗に印籠を突きだしているベートーヴェンであり、そこには病から立ち直ったアバドの共感が満ち溢れている、と勝手に思われ、何か本当に感動してしまった昨夜でした。
彼の病後の活動への強固な意志を暗示するかのような力強く厳しい音楽でした。
そして、最後のすさまじいティンパニの豪打を振り切る彼の指揮を観て、45年以上聴いてきた「運命」で、まだこんなにも没頭し感動できるんだと不思議な喜びがありました。
何しろ、子どもの頃に父親が時々鳴らすフルトヴェングラーのSP盤から始まって、70年万博公演でのバーンスタインNYPのTVオンエア(71年元旦の再放送)、その日の夜に買ったドラティ盤(17㎝盤)、初めて買ったクラシックLPがスタインバーグの「運命/田園」と、その頃読んでいた諸井三郎の「ベートーヴェン」に感化されていたとは言え、あまりにベートーヴェン追従の「私のクラシック音楽入門期」でした。
その頃から、あまり進歩していないです。
音盤聴きは結構重ねてきましたが、レバートリーかなり狭い。
同じ曲を何度聴いても、それほど飽きない。
「運命」だって、毎日とは聴きませんが、週一・・・も聴かないか?
でも、月イチくらいなら全然大丈夫ですよ。
もちろん、見捨てた(いや、手放した盤も数多くあります・・・ノリントン2種、ホグウッド、アーノンクール、クリヴィヌ、飯守、ムーティ、ケンぺ、朝比奈85年チクルス、ブリュッヘン、マズア、ヨッフムRCO、マッケラス、マゼールなどなど、みんなオサラバしました。)
でもまだ、全9曲そろっているので55種ほど、全9曲そろっていないのも入れると110種くらいあるのかな?
正確には分かりません・・・。
ベトSym.はあまり手放したくないアイテム。
自然と溜まっていくみたいです。
さて、昨夜はBD療法の日ということで、不眠の夜でした。
この演奏のDVDをじっくり鑑賞し感激しておりました。
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:クラウディオ・アバド
録音:2001年2月
DVD
アバドが2000年の胃癌の手術から復帰して間もない時の演奏です。
痩せこけて、いっそう細くなったアバドをイタリアの聴衆が温かく迎えています。
CDでも出ていますが、私はDVDしか持っていません。
演奏は素晴らしかった。
彼は、だいたいが冒頭から聴衆をあっと驚かすような音はめったに出さない人と思っていました。
この「第5」の冒頭も、かなり気合いは入っているものの、音量的には(編成上のこともあるのでしょう)「なるほど、これくらいからね」と感じさせました。
ところが、この第5交響曲の構成からしてそうなっているのですが、提示部→展開部→再現部→コーダと進むにつれて、その激烈さ、過酷さが段階的に大きくアップしていく、その様をこれほどに強烈に描いた演奏は、そんなにないかと思わされた、これは凄い演奏でした。
楽章単位でも、全体を通してでも、「もう後戻りはしない」と言っているかのような、ガンガンに密度を増していく恐ろしい「運命」でした。
第1楽章のあと、ひょっとしたらアタッカで次楽章に行きたかったのかも知れませんが、聴衆の「一段落の咳やさざめき」と誰かのチューニングらしき音で、苦笑いで待つアバド。
そして始まった第2楽章も、艶やかに歌っているものの、速い目テンポの効果もあって、どこか殺気を感じさせる直向きなものでした。
第3楽章の、今はすっかり普通となった「反復」も、ほとんどそのことを意識させないような自然さで、と言うか、「そんなこと、いつまで言ってるんや?」って言われそうなくらい必然性を感じさせる楽章冒頭への回帰。
そして、終楽章の鬼気迫る音楽。
自宅のTV画面を前に、まるで実際のコンサートを聴いているかに匹敵するインパクト、そして感動でした。
これ見よがしの解釈とは対極のような正攻法の連続ですが、中に込められたものの濃さと、それが「普通」の表面を突き破って噴き出てくるエネルギーに圧倒されました。
時にはくどい、しつこいと感じられる第4楽章ですが、そのくどさは、まさに「過酷な運命」に対して「お前の負けだ」と執拗に印籠を突きだしているベートーヴェンであり、そこには病から立ち直ったアバドの共感が満ち溢れている、と勝手に思われ、何か本当に感動してしまった昨夜でした。
彼の病後の活動への強固な意志を暗示するかのような力強く厳しい音楽でした。
そして、最後のすさまじいティンパニの豪打を振り切る彼の指揮を観て、45年以上聴いてきた「運命」で、まだこんなにも没頭し感動できるんだと不思議な喜びがありました。
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これはDVDです。 | |
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こっちはブルーレイです。 | |
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