静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

高橋真珠 ソロ・ヴァイオリン・コンサート(バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲)

2020年07月09日 20時29分05秒 | コンサート
久しぶりの更新です。

まあ、生存確認を兼ねて(笑)。


コンサートに行ってきました。
1月26日以来です。
1月26日?
それ、まだアップしていませんでしたよね。
だいたい、今まではコンサートに行ったら、ほぼ必ず、ここで書いていたのですが、昨年の9月以来、ずっと書いておりません。

その未公開記事後回しにして、つい先日、7月5日(日)の演奏会について、ざくっとした感想(のようなもの)です。




高橋真珠(またま)さんを初めて聴いたのは3年前でした。
「伊勢にすい星のごとく突然現れたヴァイオリニスト」と、勝手な印象を持っていましたが、実際のところはご自身のブログ等に書かれておられます
最初に聴いた時のイザイがとてもよくて、私の「機会があればなるべく聴きたい音楽家」の中に入りました。
伊勢だけでなく、当地の音楽家さんたちは、けっこう食事付きのコンサートをされますが、私はああいうのは苦手なので、純粋な(というか音楽だけの)コンサートから何度か聴かせてもらっています。

今回、バッハの無伴奏全6曲ということで、これは必聴!
ですが、このご時世。
ソーシャルディスタンス、「新しい生活様式」対応のコンサートということで限定30席は情報開示とほぼ同時に完売だったらしく、ひと足遅く知った私は「キャンセル待ち」に乗せていただき朗報を待ちました。
幸いにしてチケット確保為り、決して自身の都合で行けなくなることのないよう、数日前から体調管理に努めました。
当日、会場の前半分に十分に間を取って椅子は配置されており、私は前列ほぼ真ん中の席を確保。
みなさん、離れて座っているので、まるで私だけのために弾いてくださっているかのような、そんな雰囲気でした。

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、1975年、シェリングの旧録音のレコードを買って聴いたのが最初。
その後、シゲッティのレコード、CDではシェリングの新録(DG)、あとは順番は忘れましたが、パールマン、スーク、ミンツ、ミルシテイン新旧2種、ムローヴァ、ミドリ・・・と、ほかにも数種、全部で10数種買いましたが、結局繰り返し聴いているのはシェリングの2種とシゲッティ。
他は、どこがとうだったと思い出すほどには繰り返し聴いていません。
そして自宅では、全6曲を通して聴くことはほとんどなく、いくつか選んだり、1曲だけ聴いたり、その中の限られた数曲を聴いたり・・・という聴き方。
今回、全6曲を通して(生で)聴ける、という私にとってワクワクするような機会でありました。
そしてそれは期待を裏切らないどころか、期待以上の、新しい発見と気付きのある素晴らしい演奏会でした。

全6曲に先立ち「プロローグ」として「G線上のアリア」が演奏されました(無伴奏)。プログラムには「祈りの音楽」と副題が付けられていました。脳内に鳴るオルガン(またはピアノ)と共鳴した、実に味わい深い演奏でした。
斜め上を見上げて暫し瞑想されたかと思うと、すぐにソナタ第1番が始まりました。
高橋さんはいくつかの楽曲からなるソナタ、パルティータの各曲内は、ほぼアタッカ(または準アタッカ)で弾かれました。
「Bach無伴奏はライフワーク」と言われる高橋さんは、どの曲も細部に渡るまで確信を持って掌握されているようで、いささかの曖昧さも感じさせず、その多彩な表情と緩急の変化に(リピート省略もあって)どの曲も驚くほど短く感じられました。
全6曲をこのように通して並べると、バラバラで聴いていては気付かない、それなりのストーリーというか各曲の有機的なつながりも感じられました。前半4曲は短調で、パルティータ第2番の「シャコンヌ」で、その翳りと激性は頂点に達します。
そのあとは、一山超えた平穏さが感じられるハ長調(ソナタ第3番)、そして華やかで光が差すようなパルティータ第3番へと、聴き手に何かしら物語性を奇想させるものがありました。
曲調に連動したドレスの変更も、単なる表面的なお色直しではなく、もっと本質に繋がったものでありました。
それにしても、重ねて書きますが、各曲を細部まで明確に弾き切った素晴らしい演奏でした。
速いパッセージもいささかの不安定さもなく、むしろ、ここぞとばかりに凄い集中が感じられました。

「アンコール」として
「主よ、人の望みの喜びよ」が演奏されました。

ひさしぶり聴いた生コンサートは、本当に素晴らしかった。

ありがとうございました。



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