静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

バイロイトの「第9」(オルフェオ盤)

2008年11月30日 19時46分56秒 | ベートーヴェン
今日は、朝から我が家にとってはけっこう大きな出来事があった。
家族のテンションは一気に急降下。
気を取り直して、いつもの小ドライヴに出て、いつもの広場で車を停めて、いつもの昼食を摂る。
そして、夕食の食材を買って帰宅。
そのスーパーの入り口で、人だかりがしていると思ったら、どこかのご老人が血を流して倒れており、程なく救急車が到着した。
・・・・ホントに・・・今日は、なんか嫌なことばかり起こるなぁ・・・なんて言いながら車を走らせた。晩飯はキムチ鍋だ!体内からも熱いものを取り戻さないとね!

その出来事については、またあらためて書こう。
今日はやめておく。


エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)
エリーザベト・ヘンゲン(A)
ハンス・ホップ(T)
オットー・エーデルマン(Bs)

バイロイト祝祭合唱団(合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ)
バイロイト祝祭管弦楽団
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

録音:1951年7月29日、バイロイト祝祭劇場





11月30日は巨匠フルトヴェングラーの命日。
と、いうワケでもないが、少しはそういうワケでもあって、夕方、「第9」を聴いていた。
棚に、彼の振った「第9」だけで7、8種あるけども、どれも好きだ。
今日は
「51年、バイロイトの第9」
前にも一度書いている
もう、「今さら」という人も多いだろうけど、でも、聴いていると、やっぱりこれはスゴイ。
それに「聴き飽きた」と言うほど聴き込んできたわけでもない。
まだまだ新鮮である。
今日聴いたオルフェオ盤は、EMI盤とは別録り(一部、共通部分有り)で、この盤が出たときに「どっちが真性ライヴ?」との議論があったのは、もう1年以上も前のこと。
あのころから、ずっと棚に眠ってて、ようやく今日、我が家で鳴り響いたというわけ(正確には「鳴り響いてません」ヘッドホン鑑賞でしたから)。
「どっちが本番?」論議は、今は下に引用したHMVレビューのようなことなんだろう。
今日はそんなことより、このスケール大きい「第9」を純粋に楽しんだ。
今日みたいな心持ちの日には、こういう音楽が多少なりとも、そのモヤモヤを払拭してくれるかのようである。
大きい音楽だなぁ。
日ごろは「無茶苦茶な音楽や。でも、これが『第9』さ。」って思って聴いている第4楽章だが、本当にこれはこれでいいのである。
この大いなるムチャクチャさに「ちっぽけなことでくよくよするな!」って言われているようで、「また、がんばるべぇ~」と立ち上がれそうな気にさせてくれるのである。

やっぱりフルヴェンの音楽はおっきいな。

第1、第2楽章は、概ねEMI盤と同じに思えた(細かなノイズチェックなどはしてません・・・)。
第3楽章の弦の入りは神がかり的なフライングしてて、これは、はっきりと別物と分かる。
エンディングも「あれっ、けっこう合ってる???」。

さあ、また明日から一日一日、清々粛々とやっていこまいか。


↓参考にどうぞ。HMVよりコピペしました

「レコード芸術」2007年9月号(P.70~74、P.211~214)で大きく取り上げられ、同じく「レコード芸術」10月号と11月号などでもとりあげられたバイエルン放送が録音し、同局倉庫に眠っていた「バイロイトの第九」は、先にフルトヴェングラー・センターから会員向け頒布という形でCD化されましたが、同センターへの入会が必須条件という特殊なものでした。しかし今回キングインターナショナルとORFEOレーベルが粘り強く交渉し、ORFEOからのCD化も実現、通常の形で市販されることとなりました。リマスタリングはクリストフ・シュティッケルがおこなっています。
 第二次世界大戦後、6年を経てようやく再開されることとなったバイロイト音楽祭のオープニングを飾ったこの歴史的な演奏は、そのライヴ録音と記されたEMI盤によって、これまで半世紀以上に渡り、音楽好きの人々の間で広く鑑賞されてきたのですが、今回登場するバイエルン放送音源は、同じ日のライヴという記載条件ながら、なぜかそれとは異なる演奏となっているのです。
 おそらくどちらかがゲネプロ録音で、どちらかが本番録音ということにでもなるのでしょうが、当時の演奏に関わった人の明確な証言が得られない以上は、どのような意見も推測の域を出ないというのが実際のところでしょうか。
 ただはっきりしているのは、終楽章コーダのアンサンブルはEMI音源が崩壊しているのに対し、バイエルン放送音源では何とか持ちこたえていたり、第3楽章のヴァイオリンの出が違ったり、トランペットやトロンボーンのバランスが大きく異なるなど、演奏そのものの差異が認められる部分が多いにも関わらず、部分的には両者が完全に一致するところも存在するということです。
 この事実は、どちらかが2種のテープの継ぎはぎをしたということを示すことにほかならないため、1955年に商品として発売されたEMI盤が、「より良い状態にするための編集」というレコード会社がよく採用する方法論を反映したものであるという仮説が有力とも思われます(ブルックナー8番の例も)。しかし、明確な証拠が無い以上はやはり断定は難しいところですし、しかもバイエルン放送のテープの箱には、「放送に使用することは禁止」という文言も記載されているということなので、さらに事情はややこしくなります。
 有名な終楽章330小節のクレッシェンドや、オーディエンス・ノイズなど、すでに活発な推論が繰り広げられているこのバイロイト51年問題。これまで「バイロイトの第九」というと、EMI音源使用盤の復刻状態ばかりが話題にされていましたが、こうして明らかに別なソースによる音源が存在したという衝撃は、これまでの音質相違を巡る論争が実は瑣末なものに過ぎなかったとさえ思えてしまうほど強烈なものであり、フルトヴェングラーに関心のある音楽ファンなら一度は聴いておきたい大注目盤の登場といえるのではないかと思われます。



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2 コメント

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まだ出るよ。 (謙一)
2008-12-01 22:58:17
この盤でまた1つヴァージョンが増えたと思ったら、また、新しいヴァージョンが出るようですね。
楽しみです。

フルトヴェングラーの第九は、どこの復刻がいいとかの議論も今でも続いているのがすごいですし、演奏もラストの怒涛の終わらせ方がいつも楽しみです。

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>謙一さん (親父りゅう)
2008-12-01 23:20:56
いつまでも出続けますね、彼のいろんな復刻が。
とても全部は聴けませんが、いい音を追求してくれるのはありがたいことですね。

フルヴェンの指揮には、いつも不思議な新鮮さを感じます。天才指揮者ですね。


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