本当か???「東海地方も梅雨明け」だって。
今朝の新聞では「東海の梅雨明け、無しか?」なんて見出しがあったのに・・・・。
まあ、ええわ(伊勢弁)。本日、久しぶりの夏空でした。
心の梅雨は明けなくとも自然は移ろいゆく。
そして、また、愛しき大地に春が来て
ここかしこに百花咲く
緑は木々を覆い尽くし 永遠にはるか彼方まで
青々と輝き渡らん
永遠に 永遠に……
・・・ということで、「そのときマーラーを聴いた」シリーズ、今回は「大地の歌」です。
マーラー/交響曲『大地の歌』
ナン・メリマン(メッゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
管弦楽:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム
録音:1956年12月
「大地の歌」を初めて聴いたのは、1972年、中学2年のときだった。
前に「復活」の記事にも書いた友人Mにバーンスタイン盤を借りて聴いたのだ。
彼は、ご両親の寵愛めでたく、私などがなかなか手に入れられないレギュラー盤を、ばんばん買ってもらってた。
で、当時、キングレコードが出した「決定盤=ウィーン・フィルによる交響曲大全集」(LP11枚組、1万5千円也)を買ってもらった彼は、数枚、学校へ持ってきて「今日の弁当の時間に、ハイドンの『ロンドン』の冒頭を流してもらうように頼んだよ」とか言って悦に入ってたりした。
そして、我々「貧乏人」に気前よく買ったばかりのLPを貸してくれたりもした。
ベルリオーズ「幻想」、ブラームス1番などは、この時に貸してもらった演奏で出会った。
ブラ1は、同じ演奏(カラヤン盤)が欲しくて、翌年の正月に買っちゃった。
「大地の歌」は、このセットの特典盤で付いてた11枚目。
それを借りて聴いた。
当時は、よく分かんなかったなぁ。
でも、解説はけっこうしっかり読んで、最後の未解決の6度音による効果などは、このとき知った。
あの解説は宇野さんだった。
自分がレコードで買ったのは高校入学も決まった春休みだった。
ワルター指揮ウィーン・フィルの1200円盤。
廉価盤にしては、別冊解説(バーンスタイン盤と同じ宇野さんの解説だった)も付いてた。
その後、LP時代には、ショルティ、ライナー、バーンスタイン(音の良くないミュージック・カセット)の3種を買って、時折聴いていた。
本格的に好きになったのは、CDでバーンスタイン盤を買い直して聴いた時だった。
実演は伊勢管が二度。伊勢管はこの曲を年一回の定演で過去に2回やっている。
第1楽章が最初好きだったけど、年を重ねる毎に他楽章の魅力にも開眼。
オーケストレーションの妙と旋律の美しさにも毎度ひきつけられる。
テキストも好きだ。
かつて誰でも持っていた(今でも持っている?)決して表に出さない心の揺らぎ、ためらいの青春(第4楽章)。
「一日中、酒に浸って過ごしてどうこうなるのかい?ええじゃないか」っていう胸のすくような達観のような投げ出したような境地(第5楽章)。
(元々は「陶さんの家」だったのが誤訳で「陶器の東屋」になった※)第3楽章は「すべて 逆さまに映り立たないものはない」と偉そうなモンも歌い笑い飛ばしている様が痛快。でも、開き直った達観ぶりの下に、実は見え隠れする未練と諦めがなんともいじらしく共感を呼ぶ。
へとへとになった時に聴く第2楽章は怪しい薬の点滴のように体中の毛細血管の隅々まで染透っていくようだ。
終楽章は・・・・・ちょっと、うまく言えないなぁ、この楽章は。でも、あの、ドゥアに転じて第6音止まりの中を「エィヴィッヒ」が繰り返されるあたりでは、いつもながら慰められるのだな。
※この部分、諸説あり随時「勉強中」です・・・2015.06.11追記
さて、今回、取り出したのはベイヌム指揮で。
メリマンは、ちょっとあれだけど、でも4楽章の早口が明瞭に聴き取れて気もちよかった。
なんと言っても、この盤ではオーケストラの音の魅力が第一だ。
次いで、ヘフリガーのひた向きな歌唱。
・・・・ということで、肝心の演奏についてはほとんど触れないのですが、このシリーズは、そういうシリーズなんで御免。
文中引用した歌詞はウィキペディアから拝借しました。
HMVサイト
今朝の新聞では「東海の梅雨明け、無しか?」なんて見出しがあったのに・・・・。
まあ、ええわ(伊勢弁)。本日、久しぶりの夏空でした。
心の梅雨は明けなくとも自然は移ろいゆく。
そして、また、愛しき大地に春が来て
ここかしこに百花咲く
緑は木々を覆い尽くし 永遠にはるか彼方まで
青々と輝き渡らん
永遠に 永遠に……
・・・ということで、「そのときマーラーを聴いた」シリーズ、今回は「大地の歌」です。
マーラー/交響曲『大地の歌』
ナン・メリマン(メッゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
管弦楽:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム
録音:1956年12月
「大地の歌」を初めて聴いたのは、1972年、中学2年のときだった。
前に「復活」の記事にも書いた友人Mにバーンスタイン盤を借りて聴いたのだ。
彼は、ご両親の寵愛めでたく、私などがなかなか手に入れられないレギュラー盤を、ばんばん買ってもらってた。
で、当時、キングレコードが出した「決定盤=ウィーン・フィルによる交響曲大全集」(LP11枚組、1万5千円也)を買ってもらった彼は、数枚、学校へ持ってきて「今日の弁当の時間に、ハイドンの『ロンドン』の冒頭を流してもらうように頼んだよ」とか言って悦に入ってたりした。
そして、我々「貧乏人」に気前よく買ったばかりのLPを貸してくれたりもした。
ベルリオーズ「幻想」、ブラームス1番などは、この時に貸してもらった演奏で出会った。
ブラ1は、同じ演奏(カラヤン盤)が欲しくて、翌年の正月に買っちゃった。
「大地の歌」は、このセットの特典盤で付いてた11枚目。
それを借りて聴いた。
当時は、よく分かんなかったなぁ。
でも、解説はけっこうしっかり読んで、最後の未解決の6度音による効果などは、このとき知った。
あの解説は宇野さんだった。
自分がレコードで買ったのは高校入学も決まった春休みだった。
ワルター指揮ウィーン・フィルの1200円盤。
廉価盤にしては、別冊解説(バーンスタイン盤と同じ宇野さんの解説だった)も付いてた。
その後、LP時代には、ショルティ、ライナー、バーンスタイン(音の良くないミュージック・カセット)の3種を買って、時折聴いていた。
本格的に好きになったのは、CDでバーンスタイン盤を買い直して聴いた時だった。
実演は伊勢管が二度。伊勢管はこの曲を年一回の定演で過去に2回やっている。
第1楽章が最初好きだったけど、年を重ねる毎に他楽章の魅力にも開眼。
オーケストレーションの妙と旋律の美しさにも毎度ひきつけられる。
テキストも好きだ。
かつて誰でも持っていた(今でも持っている?)決して表に出さない心の揺らぎ、ためらいの青春(第4楽章)。
「一日中、酒に浸って過ごしてどうこうなるのかい?ええじゃないか」っていう胸のすくような達観のような投げ出したような境地(第5楽章)。
(
へとへとになった時に聴く第2楽章は怪しい薬の点滴のように体中の毛細血管の隅々まで染透っていくようだ。
終楽章は・・・・・ちょっと、うまく言えないなぁ、この楽章は。でも、あの、ドゥアに転じて第6音止まりの中を「エィヴィッヒ」が繰り返されるあたりでは、いつもながら慰められるのだな。
※この部分、諸説あり随時「勉強中」です・・・2015.06.11追記
さて、今回、取り出したのはベイヌム指揮で。
メリマンは、ちょっとあれだけど、でも4楽章の早口が明瞭に聴き取れて気もちよかった。
なんと言っても、この盤ではオーケストラの音の魅力が第一だ。
次いで、ヘフリガーのひた向きな歌唱。
・・・・ということで、肝心の演奏についてはほとんど触れないのですが、このシリーズは、そういうシリーズなんで御免。
文中引用した歌詞はウィキペディアから拝借しました。
HMVサイト
マーラー:大地の歌ベイヌム(エドゥアルト・ヴァン),メリマン(ナン),ヘフリガー(エルンスト)ユニバーサル ミュージック クラシックアマゾン・サイト |
そうそう、誰もが持って表に出さない(最近は平気で出す人も多いですが)こころの揺らぎ、諦観の下に見え隠れする未練と諦め、等身大で一緒に泣いてくれるのですよね。ここのところずっと聴いていますが、正直ちょっと辛くなりますね、共感し過ぎちゃって。
ベイヌムはマーラーではちょっと固いですか?。メンゲルベルクの反動なんでしょうね、オランダ製トスカニーニ。実は彼は私にはまだなぞです。ハイティンクを大成させたコンセルトヘボウ管弦楽団が選んだシェフなのですから悪いわけがないのですが。
ベイヌムは、それほどたくさん聴いていませんが、確かに「オランダ製トスカニーニ」的ですね。すっきりと進める中にオケの美質を生かした「こく」もあって、なかなか好きです。
もう手許にありませんが1940年代に録音された「春の祭典」が驚くべき美音とキレの良さだったのが印象的でした。未聴がたくさんあるので、今後が楽しみです。