12月に行ったコンサートの話です。
今年は地元で2回も「第9」のコンサートに行きました。
あっ、2年前にもありましたね。
オーケストラが伊勢管だったから行ったのです。
他のオケだったら行かないでしょう、たぶん。
松阪の方は14日(「第4回松阪の第九」)でした。
少し遅れて行ったので、第1部の「カラビンカ笛の会」の皆さんの演奏途中での会場入りでした。
ちょうどナレーションの時でしたので、そっと入って、前から4列目の端っこに座りました。
すぐ前に市長さんが座っておられました。
子どもたちの真っ直ぐな歌声と緊張をはらみながらも懸命に体を動かす様子に、心から和まされました。
幕間に市長さんの心のこもったスピーチがあって、第2部「第9」
私は前列2列目のほぼ中央に移動していました。
例によって全身で浴びるようにベートーヴェンの交響曲第9番を聴きました。
23日は「いせ第九コンサート」。
こちらは13回目ということです。
伊勢管らしい(大谷さんらしい?)プログラムで、「第9」の前にフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」が演奏されました。
フォーレは前の方のやや上手側で、「第9」は、もうょっと下がって、後方通路の前あたりの端っこで聴きました。
出演者が全部見渡せる場所でした。
同じ指揮者、オーケストラでも、けっこう違う演奏になっていました。
ベートーヴェンの音楽は本当に素晴らしく奥が深い。
何度聴いても新しい発見や感受があります。
あまりに聴きすぎると、その発見も見過ごしてしまうのですが、例えばトロンボーンの使い方などにこめられたベートーヴェンの意図などは、こうして生で観て初めて実感できる部分でした。
二つの第9を比べてどうこう言っても無意味だし、出演者の皆さんに失礼だと思います。
ただ、ごくごく控えめに言うと、松阪の方が出だしから気迫と集中力が勝っていたと感じました。
これは聴いた場所の違いによるものかも知れません。
伊勢の方は第3楽章から見違えるほどにオケの音がよくなりました。
ティンパニは奏者もマレットも違っていて、自ずと演奏の性格も変わっていました。
こういうのも2回聴いて分かる面白さです。
松阪の方は前列で聴いていたので奏者の顔はほとんど見えませんでしたが、何人かの入れ替えがあったようですね。
伊勢の方はステージの関係で人数を絞り込んだとのことでした。
そうですね。どちらも第2楽章後に合唱、ソリストの入場でしたが、松阪では椅子に座って待機していたのに対して、伊勢では、合唱団は第3楽章と第4楽章の出番までを立ったまま待ちました。
私もかつて、このステージで大阪フィルと2回「第9」を歌いましたが、同じく立って聴きました。
実際にステージに居ると、しんどさよりも迫りくる自分たちの出番にしだいに気持ちが高ぶってきて、それはそれでよかったのですが体力的にきつい人もいるだろうに大変だなと思いました。
伊勢の時の第3楽章が心もちテンポが速く感じられたのは、ひょっとしたらそういうこともあるのかも知れません。
アマチュアですから、ミスはあります。
正直なところ、かなり致命的な瑕疵も多かったのですが、次の瞬間、続く楽句が心を込めきった熱い楽音によってその穴を埋め塞いで高みに上っていく、というような、ある意味「壮絶」な演奏でした。
これが伊勢管の魅力であり、テクニック面ではヘタながらも(失礼!)音楽の大事なところは裏切らずに届けてくれる音楽集団なのです。
でも、楽員の皆さんは、決して満足していないと思います。
あれで満足していたらアマチュア音楽集団としては「死んだ」も同然だからです。
どうか貪欲に、いつまでも私たちを惹きつける魅力あるオーケストラで居続けて欲しいと願っています。
5月の定演は、今まで以上に楽しみにしています。
もう、想像しただけで身震いしそうなくらいです。
追記・・・「松阪の第九」ではテノール独唱が笠井幹夫氏に変更になりました。
今年は地元で2回も「第9」のコンサートに行きました。
あっ、2年前にもありましたね。
オーケストラが伊勢管だったから行ったのです。
他のオケだったら行かないでしょう、たぶん。
松阪の方は14日(「第4回松阪の第九」)でした。
少し遅れて行ったので、第1部の「カラビンカ笛の会」の皆さんの演奏途中での会場入りでした。
ちょうどナレーションの時でしたので、そっと入って、前から4列目の端っこに座りました。
すぐ前に市長さんが座っておられました。
子どもたちの真っ直ぐな歌声と緊張をはらみながらも懸命に体を動かす様子に、心から和まされました。
幕間に市長さんの心のこもったスピーチがあって、第2部「第9」
私は前列2列目のほぼ中央に移動していました。
例によって全身で浴びるようにベートーヴェンの交響曲第9番を聴きました。
23日は「いせ第九コンサート」。
こちらは13回目ということです。
伊勢管らしい(大谷さんらしい?)プログラムで、「第9」の前にフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」が演奏されました。
フォーレは前の方のやや上手側で、「第9」は、もうょっと下がって、後方通路の前あたりの端っこで聴きました。
出演者が全部見渡せる場所でした。
同じ指揮者、オーケストラでも、けっこう違う演奏になっていました。
ベートーヴェンの音楽は本当に素晴らしく奥が深い。
何度聴いても新しい発見や感受があります。
あまりに聴きすぎると、その発見も見過ごしてしまうのですが、例えばトロンボーンの使い方などにこめられたベートーヴェンの意図などは、こうして生で観て初めて実感できる部分でした。
二つの第9を比べてどうこう言っても無意味だし、出演者の皆さんに失礼だと思います。
ただ、ごくごく控えめに言うと、松阪の方が出だしから気迫と集中力が勝っていたと感じました。
これは聴いた場所の違いによるものかも知れません。
伊勢の方は第3楽章から見違えるほどにオケの音がよくなりました。
ティンパニは奏者もマレットも違っていて、自ずと演奏の性格も変わっていました。
こういうのも2回聴いて分かる面白さです。
松阪の方は前列で聴いていたので奏者の顔はほとんど見えませんでしたが、何人かの入れ替えがあったようですね。
伊勢の方はステージの関係で人数を絞り込んだとのことでした。
そうですね。どちらも第2楽章後に合唱、ソリストの入場でしたが、松阪では椅子に座って待機していたのに対して、伊勢では、合唱団は第3楽章と第4楽章の出番までを立ったまま待ちました。
私もかつて、このステージで大阪フィルと2回「第9」を歌いましたが、同じく立って聴きました。
実際にステージに居ると、しんどさよりも迫りくる自分たちの出番にしだいに気持ちが高ぶってきて、それはそれでよかったのですが体力的にきつい人もいるだろうに大変だなと思いました。
伊勢の時の第3楽章が心もちテンポが速く感じられたのは、ひょっとしたらそういうこともあるのかも知れません。
アマチュアですから、ミスはあります。
正直なところ、かなり致命的な瑕疵も多かったのですが、次の瞬間、続く楽句が心を込めきった熱い楽音によってその穴を埋め塞いで高みに上っていく、というような、ある意味「壮絶」な演奏でした。
これが伊勢管の魅力であり、テクニック面ではヘタながらも(失礼!)音楽の大事なところは裏切らずに届けてくれる音楽集団なのです。
でも、楽員の皆さんは、決して満足していないと思います。
あれで満足していたらアマチュア音楽集団としては「死んだ」も同然だからです。
どうか貪欲に、いつまでも私たちを惹きつける魅力あるオーケストラで居続けて欲しいと願っています。
5月の定演は、今まで以上に楽しみにしています。
もう、想像しただけで身震いしそうなくらいです。
追記・・・「松阪の第九」ではテノール独唱が笠井幹夫氏に変更になりました。
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