静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

こども音楽館

2014年03月21日 05時05分25秒 | 履歴書(昔話、音楽など)
 昨夜から今朝にかけても2時間ほどしか眠れず、ベッドで昔話でも打つべえな、ってことになりました。



1967年頃から、授業の音楽の時間の、特に鑑賞が好きだったが、家ではアニメや怪獣もののソノシート一辺倒で、時々、親が所有していた歌謡曲や洋楽も「覗き見」をするように聴いていた。
 春日八郎、石原裕次郎、橋幸夫……。

 5年生の時だったかに、学研の百科事典の別冊みたいなので17㎝盤が数枚あって、それを繰り返し聴いたのが、自分的クラシック開眼第1期。
 そのちょっとあと、同じく学研から「子ども音楽館」こども音楽館」という、絵本、解説書、レコード(各巻20㎝盤2枚)のセット(確か全部で12巻、レコードは24枚)が出て、父に「買って」とせがんだら、二つ返事で買ってくれた。
 これは、よく聴いた。
 簡易な「電蓄」で繰り返し聴いた。
 音楽の世界が広がった。
 うっとりするような少年合唱によるフォスターの名曲。
 本当に、森の奥深くに分け入るような感覚を覚えた「魔弾の射手」序曲。
 ピーターと狼、動物の謝肉祭、道化師などの「ちょっと長い曲」。
 ビゼーのファランドールを初めて聴いた時の身震いした自分をはっきりと思い出すことができる。
 
 まことに父は、マンガ以外の書籍とソノシート以外の所謂クラシックのレコードに関しては、ほとんど拒否せず買ってくれた。
「この家にピアノが置けたら、すぐにでも買って習わせたるぞ」が父の口癖だった。
 商店街の二階生活ではピアノは置けなかった。
 私は、小学1年から3年までと、5年生の1年間だけ、オルガン教室に通っていた。
 オルガン教室を卒業すると、たぶんその上はエレクトーン教室とかピアノ教室とかがあったのだろうけど、私はそっちには進まず、小学4年から入団していた海洋少年団がほぼ唯一の「習い事」活動となった。

つづく

昨日のこと(順不同)


・やはり治療日は眠れず。トータルで1時間半ほど寝たのみ。
・聴いた音楽は渡邉暁雄日フィルboxより、シベリウスの6、7番他。
・「ジークフリート」も聴き進めた。しかし先週の眼科医受診で、すっきりよく見える眼鏡を試して以来、この安物老眼鏡で細かな歌詞対訳を見るのがつらくて、それでテキスト見て聴くことがやや億劫になってしまった。退院したら早く「ちゃんとした眼鏡」を買おう。乱視もあるしね。
・午後は知人、子どもの前担任と電話したり、退院後にしばらく通うことになる化学療法センターを見学したりする。
・昼に刺身、夕食にホカホカの厚焼きタマゴが出ておいしかった。
・今回は頭痛、しゃっくりなどの副作用はほとんどない。今のところ、不眠だけ。
・「山口百恵」読み進めた。あと100ページ足らず。

誤記訂正(2017.0605早朝)

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
fugahelixさま (親父りゅう)
2018-09-27 19:56:38
返信遅れました。
申し訳ありません。

反応が遅いのは、ここ(拙ブログ)では、いつものパターンなんですが、失礼ですよね。

私が「こども音楽館」を聴き始めたのは小学校高学年でしたので絵本の方はほとんど読みませんでした。
もっと小さいころから見聞きしていたらどんなだったろう?と、貴女のコメントを読ませていただきながら考えました。

貴ブログ、you-tubeも拝見させていただきました(観たのは、まだ一部ですが、すばらしいですね)。
また観させていただきます。
ありがとうございました。

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こども音楽館 (fugahelix)
2018-09-25 03:13:40
「こども音楽館」で検索し、辿り着きました。
子供の持ち帰る図画図工は直ぐ捨てる両親でしたが、
これは読み聴かせてくれました。4巻の白鳥の湖、
ロットバルトが小ちゃな梟だったのを見て、アラジンと魔法のランプを連想した記憶が。長じて、今も
バレエ・交響曲をピアノ編曲しております。
ご多幸をお祈りしております。
https://ameblo.jp/blue-caustics/entrylist.html
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