
夏休みに聴いた曲シリーズ、とりあえず「その2」。
R.シュトラウス
『ツェツィーリエ』作品27-2
『あした』作品27-4
モンセラート・カバリエ(ソプラノ)
フランス国立管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
1977年録音
ものの本によると、この2曲を含む「4つの歌曲 作品27」は、R.シュトラウス自らが台本も手がけた歌劇「グントラム」の大失敗の失意のどん底から生まれたという。
結婚記念に妻に捧げたという「ツェツィーリエ」は、なるほど、愛する人への噴き上げるような心情発露が1分半くらいの間に駆け抜け、詩曲ともに「情熱で押しまくるような」(門馬直美)内容である。
理性にコントロールされてなかなか自己解放の姿を見せぬ恋人に対して、深く精神的な愛も官能的で肉体的な愛も、実はそれらは別物ではなく一体なのだ、さあ自分の腕の中に飛び込んでおいでと、やや苛立ちながら熱っぽく語っているような曲には、失意の底からよじ登ろうとする彼の凄まじいエネルギーの爆発が重なっているのだろう。
第4曲「あした」(「明日の朝」とも訳される)は、一転して、近い将来訪れる至福のひとときを確信したかのような甘美な歌。
いつ聴いても前奏から引き込まれる。
2曲とも「最後の4つの歌」と共に、私が最も早い時期に知ったR.シュトラウスの歌曲である。
ここでのカバリエの歌唱は気のせいか律儀で表情も大袈裟ではない。
私が最初にこの曲と出会ったのがジェシー・ノーマンであったからかも知れないが、カバリエの歌は可憐であると感じられたほどである。
バーンスタインの振る伴奏も、後年のような重々しさや粘りは無く、むしろ曲への畏敬の念を持ちつつ清楚にまとめているようだ。
謙虚なレニーが微笑ましい。
で、昨日、この演奏だけで記事を書くつもりだったのだが、今日も聴きたくなり、特に「あした」を手持ちの演奏を取り出して聴き比べをしていた。
以下、そのミニ感想・・・・・
ジェシー・ノーマン盤・・・マズアの振るオーケストラ版。この曲との出会いの演奏。「刷り込み」として今に至っている。あらためて聴くと(オケの)表情は意外に淡白であった。
歌唱は深々としてスケール大きい。
テ・カナワ盤・・・ショルティがピアノ伴奏をしている。歌唱、ピアノ共に透明感が際立っており、朝露がきらりと光る早朝の草原を二人して歩んでいる幸福感に浸る。
バーバラ・ボニー盤・・・ピアノ伴奏がやや粘り気味(特に後奏)。やや癖のあるボニーの発声は、技巧よりはひた向きさで聴かせる。小柄ながら思いは一杯という感じ。
シュヴァルツコップ盤・・・セルの指揮。スキの全く無い前奏に身動きできなくなったと思いきや、シュヴァルツコップの歌い出しの凄さに息を呑む。さりげない中に何とも深い味わいのあることか。次元が違うと感じる。ドイツ語に詳しいわけじゃないが、それでも、歌っていると同時に見事な語りとなっている彼女の至芸に参る。
R.シュトラウス
『ツェツィーリエ』作品27-2
『あした』作品27-4
モンセラート・カバリエ(ソプラノ)
フランス国立管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
1977年録音
ものの本によると、この2曲を含む「4つの歌曲 作品27」は、R.シュトラウス自らが台本も手がけた歌劇「グントラム」の大失敗の失意のどん底から生まれたという。
結婚記念に妻に捧げたという「ツェツィーリエ」は、なるほど、愛する人への噴き上げるような心情発露が1分半くらいの間に駆け抜け、詩曲ともに「情熱で押しまくるような」(門馬直美)内容である。
理性にコントロールされてなかなか自己解放の姿を見せぬ恋人に対して、深く精神的な愛も官能的で肉体的な愛も、実はそれらは別物ではなく一体なのだ、さあ自分の腕の中に飛び込んでおいでと、やや苛立ちながら熱っぽく語っているような曲には、失意の底からよじ登ろうとする彼の凄まじいエネルギーの爆発が重なっているのだろう。
第4曲「あした」(「明日の朝」とも訳される)は、一転して、近い将来訪れる至福のひとときを確信したかのような甘美な歌。
いつ聴いても前奏から引き込まれる。
2曲とも「最後の4つの歌」と共に、私が最も早い時期に知ったR.シュトラウスの歌曲である。
ここでのカバリエの歌唱は気のせいか律儀で表情も大袈裟ではない。
私が最初にこの曲と出会ったのがジェシー・ノーマンであったからかも知れないが、カバリエの歌は可憐であると感じられたほどである。
バーンスタインの振る伴奏も、後年のような重々しさや粘りは無く、むしろ曲への畏敬の念を持ちつつ清楚にまとめているようだ。
謙虚なレニーが微笑ましい。
で、昨日、この演奏だけで記事を書くつもりだったのだが、今日も聴きたくなり、特に「あした」を手持ちの演奏を取り出して聴き比べをしていた。
以下、そのミニ感想・・・・・
ジェシー・ノーマン盤・・・マズアの振るオーケストラ版。この曲との出会いの演奏。「刷り込み」として今に至っている。あらためて聴くと(オケの)表情は意外に淡白であった。
歌唱は深々としてスケール大きい。
テ・カナワ盤・・・ショルティがピアノ伴奏をしている。歌唱、ピアノ共に透明感が際立っており、朝露がきらりと光る早朝の草原を二人して歩んでいる幸福感に浸る。
バーバラ・ボニー盤・・・ピアノ伴奏がやや粘り気味(特に後奏)。やや癖のあるボニーの発声は、技巧よりはひた向きさで聴かせる。小柄ながら思いは一杯という感じ。
シュヴァルツコップ盤・・・セルの指揮。スキの全く無い前奏に身動きできなくなったと思いきや、シュヴァルツコップの歌い出しの凄さに息を呑む。さりげない中に何とも深い味わいのあることか。次元が違うと感じる。ドイツ語に詳しいわけじゃないが、それでも、歌っていると同時に見事な語りとなっている彼女の至芸に参る。
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