当方、今年はまだ夏休み続行中。
毎年、終戦記念日前後は、連日のようにテレビで戦争関連の特番があるが、昨日、たまたまチャンネルを合わせたBS特集「証言記録マニラ市街戦~死者12万 焦土への一か月~」
は、ほぼ半分が過ぎたところだったが、そこから最後まで観てしまった。
ちょっと前に「考えてみませんか?憲法九条」という討論番組もあって、チラ見した程度だから大きなことは言えないけど、あそこでのいくつかの「どこか他人事」ぽいスタンスや思い入れ主導の主張が吹っ飛ぶインパクト、説得力だった。
知ったようなことを言える立場ではないが、こういう証言を聞く限り、やっぱり戦争っていうのは「狂気」じゃないとできないものだとあらためて思った。
ちょっと前に沖縄での所謂「集団自決」のことについてのレクチャーを聞いた時もそう思ったし、生前の父の言動からも、それは感じていたことである。
マニラ市街戦の死者はおよそ12万人。そのうち日本兵がおよそ1万6千人強、アメリカ兵が1千人強、残りの10万人以上がフィリピン市民であった。
一般人の犠牲が出ることを承知の掃討作戦を日米双方は繰り広げた。「人間の弾除け」もあった。
一般の人たちの中にも恨みと逆襲で人の命を奪ってしまった人がいた。
惨たらしい犠牲者の写真、写真、写真。
その中には、我が家の子ども達とよく似た子どもの姿もあった。
生き残った人々の証言は、そのどれにもたくさんの人が耳を傾けるべきものだと感じた。
一人の年老いた元米兵の言葉が特に心に残った(今、記憶に頼って書いているから正確な表現ではないかも知れませんが・・・)・・・「どうしてここ(マニラの戦場)に行ったのか、その理由はよく分からない。強いて言うならば『行け』と命令されたから・・・。戦争を始めた人たちはまず自分が最前線に立てばいい。そうしたら絶対に戦争はゼロになる。」
毎年、終戦記念日前後は、連日のようにテレビで戦争関連の特番があるが、昨日、たまたまチャンネルを合わせたBS特集「証言記録マニラ市街戦~死者12万 焦土への一か月~」
は、ほぼ半分が過ぎたところだったが、そこから最後まで観てしまった。
ちょっと前に「考えてみませんか?憲法九条」という討論番組もあって、チラ見した程度だから大きなことは言えないけど、あそこでのいくつかの「どこか他人事」ぽいスタンスや思い入れ主導の主張が吹っ飛ぶインパクト、説得力だった。
知ったようなことを言える立場ではないが、こういう証言を聞く限り、やっぱり戦争っていうのは「狂気」じゃないとできないものだとあらためて思った。
ちょっと前に沖縄での所謂「集団自決」のことについてのレクチャーを聞いた時もそう思ったし、生前の父の言動からも、それは感じていたことである。
マニラ市街戦の死者はおよそ12万人。そのうち日本兵がおよそ1万6千人強、アメリカ兵が1千人強、残りの10万人以上がフィリピン市民であった。
一般人の犠牲が出ることを承知の掃討作戦を日米双方は繰り広げた。「人間の弾除け」もあった。
一般の人たちの中にも恨みと逆襲で人の命を奪ってしまった人がいた。
惨たらしい犠牲者の写真、写真、写真。
その中には、我が家の子ども達とよく似た子どもの姿もあった。
生き残った人々の証言は、そのどれにもたくさんの人が耳を傾けるべきものだと感じた。
一人の年老いた元米兵の言葉が特に心に残った(今、記憶に頼って書いているから正確な表現ではないかも知れませんが・・・)・・・「どうしてここ(マニラの戦場)に行ったのか、その理由はよく分からない。強いて言うならば『行け』と命令されたから・・・。戦争を始めた人たちはまず自分が最前線に立てばいい。そうしたら絶対に戦争はゼロになる。」
マニラで12万人の死者が出ていることすら私は知りませんでした。
すべてを国の教育のせいにすればそれまでですが、知る機会をもっと広げる必要があるのかもしれません。
私個人としては知ることを拒まず、積極的に学ばないといけないです。
黙祷。
僕もこの番組観ました。重い内容でした。
いつも思うことですが、戦争はやっちゃイケマセン。
「自分が最前線にたてば戦争などゼロになる」、至言です。
去年放送されたとき、途中からしか見られなかった
硫黄島玉砕戦61年目の証言を先日、再放送していました。
私は「硫黄島からの手紙を」見に行く前にその番組を見ていたので、妻や周りの人たちが映画を見て泣いているのを見て、逆にこんなの作りもので、真実が伝わっていないと、悲しくなりました。先日の再放送を妻と見た後、妻は映画と全然違う、たしかに映画は戦争の愚かしさを伝えていたけど、真実はこんなもんじゃない、この生きた証言を聞くべきだと言っていました。いつもはこんな番組には興味もない妻でしたが、吸い込まれるように見入っていました。
平和を語る前に戦争の生き証人の言葉を聞くと、また違う真の平和を語り考えて、戦争の愚かしさ、悲しさをいつまでも伝え続けなければと感じます。
自分も無知の自覚を忘れないでいたいと思いました。
確かに重い内容でした。同時に、自分にとって観る必要のある内容であるとも思いました。
登場した証人の一言一言の重みは今もズッシリと残っています。
「けん」は二日続けてのカラオケでご満悦(?)だったようです。
「硫黄島玉砕戦61年目の証言」の再放送は、HDDに入っています。まだ観ていません。実は、昨日「硫黄島からの手紙」を借りて見てました。「証言」の方を早く見なくちゃいけませんね。「真実はこんなものじゃない」という思いというか疑いのようなものは、私たちが常に持ち続けなければいけない感覚だと思っています。
そのとき沖縄、那覇出身の母と出会い結婚。
母は慣れぬフィリッピンで夫に先立たれ、四人の娘を抱えて相当苦労したようです。
その母も83歳で亡くなりました。
フィリッピンに行く度に、昔話を聞かされましたが、その目が祖国を懐かしむのが切なかったです。
実は、この番組を見たときにkanrekiさんのお話を思い出しましたよ。
そのお母様は、戦後、日本に来られることはなかったのでしょうか?