静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

バーンスタインNYP、1974年名古屋公演の思い出

2013年10月13日 17時58分22秒 | バーンスタイン(その他)
バーンスタインを初めて(生で)聴いた思い出です。





ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会


指揮:レナード・バーンスタイン


プログラム

1.ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」

2.バーンスタイン/舞踊組曲「ディパック・バリエーション」
(当時は「ディパック」は「ダイバック」と表記)

3.ストラヴィンスキー/舞踊組曲「火の鳥」

アンコール:スーザー/星条旗よ永遠なれ



1974年9月6日(金)午後7時~ 名古屋市民会館大ホール




 初めて聴いた生オケは渡邉暁雄指揮京響でしたが(1971年)、初めて聴いた海外オケが、このニューヨーク・フィルでした。
 当時、高校2年の私は友人と二人で聴きにでかけました。
 名古屋市民会館は、まだ完成して間もない大きなホール。
 その舞台で、ニューヨーク・フィルはひな壇を使わず平面に陣取っていました。

「生レニー」が初めて見られる・・・もうそれだけで興奮してしまうミーハー丸出しの私でした。
 チューニングが終わり、バーンスタイン登場。
 心もち早足で、通り過ぎざまに一人の団員の肩をポンッとたたいて出てきました。
 笑顔でおじぎ。そして、振り向き、構えて・・・・「英雄」の最初の和音が鳴り響きました。

 待ちに待った生レニー、そしてNYPの生音です。
 ・・・が、私は戸惑っていました。
 音がどうも???
 ドライと言うかカサカサしているというか・・・何か違和感がありました。
 テンポの速さも新鮮というよりは馴染まないって感じで・・・。

 当時、家で聴いていた「英雄」は・・・ケンペ指揮ベルリン・フィル、フルヴェン指揮ウィーン・フィル(2種)、クレンペラー、ワルターなどなど・・・。どちらかというとゆったりした演奏、重心の低い豊潤な響きのディスクに親しんでいました。
 ですから、目の前で繰り広げられている「なにかセカセカしたような」「デッドな響き」の英雄交響曲に、なぜか酔えずに時間だけが過ぎていきました。
 ただ時折炸裂する鋭いティンパニの打ち込みに身を震わせるだけでした。

 休憩時、トイレで友人と並んで用を足しながら、半ば呆然と「良かったよなぁ・・」と呟く彼に、ぎこちなく相槌を打つのみでした。

「ディバック・バリエーション」は、あまり記憶がありません。
 スピーカーから男声ソロが聞こえ、かなりダイナミックな響きであったことを記憶しています。
 指揮棒を両手で持ち、神主さんが御祓いをするようなレニーのお馴染みの仕草は憶えています。

 待望のバーンスタイン生体験は無感動のまま終わるのか?
 その心配はラストの「火の鳥」、そしてアンコールの「星条旗よ永遠なれ」で吹っ飛びました。
「火の鳥」組曲の初聴き盤はバーンスタインの17センチLPであり、その演奏は、もう擦り切れるほど聴き返していましたので、曲についても演奏についても細部に渡って脳裏に刻まれていました。
 当夜の演奏も、ほぼ、ディスクと同じアプローチであったと思います。しかし、その音響のダイナミックさ、美しさ、緊張感などなど、全てがレコードで聴くのとは別次元の素晴らしさでした。
「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の目も眩むような色彩感と迫力に、もうクラクラ。
 次曲「子守歌」への移行部で思わず拍手をする人がいて、バーンスタインは、両手を上に挙げた状態で制止するようにも見えました。
 あれほど「ドライ」「カサカサ」と感じてたオケの音は、いつのまにか、ちょっとメタリックで艶やかで潤い感いっぱいの美音になっていました。
 子守歌の沈潜から終曲の開始を告げるホルン・ソロが聴こえてくると、「ああ、まだ終わらないで欲しい!」という思いでいっぱいになりながら聴いていました。
 終曲へのじわじわとした盛り上がりの予兆を告げるハープの音がひとつひとつホールの空間に溶けていき、やがて天井が落ちるかと思えるようなエンディングに。
 もうメタメタになっていました。

 熱烈な拍手。

 そして、アンコール「星条旗よ永遠なれ」。
 NYPの底力炸裂!
 爆演でした。
 トリオのあとに出てくる下降音型のド迫力にのけぞりました。

 客席の誰かがプレゼントした扇子(だったかと思います)で顔を仰いだり、止まない拍手に「おやすみ」のジェスチャーをして笑いを誘ったりと、エンタティナー・バーンスタインの一挙一動に魅せられていました。

 終演後、サインを貰うために楽屋口で待ちましたが、残念ながら主催者側から「今日はサインはありません」の告知。しかし、タクシーに乗り込む姿を間近で見たくて、多くのファンと共に待ちました。
 サインは貰えませんでしたが皆に笑顔で手を振りタクシーに乗り込むレニーを間近に見られただけでも幸せでした。
 拍手でタクシーを見送り、急いで近鉄名古屋駅に向かいました。
 しかし、最終電車に間に合わず(目の前で出ていった!)、駅周辺で安く泊まれる宿を探しました。交番のお巡りさんにギョロリと睨まれたり、家出少年と疑われたりしながらも屋台ラーメンのおじさんに教えてもらった「国鉄ホステル」に友人と宿泊。一泊1500円でした。
 翌日は、夏休み明けの実力テストであり、朝イチの急行で伊勢へ帰りましたが、テストの結果は・・・・「実力」通りでした。





 後日、CBSソニーの抽選か何かで、ブーレーズNYPのチケットも当選したことが分かったのですが、さすがに日程的に行くことができず、代替プレゼントの「音のカタログ」8枚組を送ってもらいました。


以上、拙サイトに掲載した既出の記事を一部加筆、修正したものです。




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2 コメント

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Unknown (モト)
2013-10-14 22:43:10
佐渡裕の場合もびっくりの、思い出に残る初レニー体験ですね。今の時代から見ると、前プロが「英雄」で、後半に管弦楽曲2曲というのは、面白いですね。
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モトさん (親父りゅう)
2013-10-15 18:17:35
はい、本当に忘れられない思い出です。彼は、まさに「アイドル」でした。

プログラムで言うと、「英雄」が前にくるのは意外とありだと思います。
編成の大きさでいくと、こうなるのかな?あっ、でも、ベームは「火の鳥」のあとブラ1でしたね。
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