静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

8月が終わる・・・・

2011年08月31日 22時54分23秒 | つぶやき(カテゴはっきりしない雑文)
 8月が終わる。やっと8月が終わる。夏休みが終わる。
 毎度同じぼやきで恐縮だが、本当に我が家の夏休みはしんどい。今年もしんどかったなぁ。
 ヘルパーさんが入っている分、去年より楽なはずなのだが、不思議と今年の方がきつい感じがした。

 妻の病状はお盆の後下降し続け、「行くところまで行った」あるいは「底をつく」みたいな感じになった。
 そして、一昨日、定期的な通院を待ちきれない妻を病院に連れて行った。
 介護事業所が休みだったので二男「けん」も連れていった。
 予約じゃなかったから、随分と待った。「けん」はおとなしく待合のベンチで座っていた。
 次の患者さんを呼ぶ声に何度か「ハイ!」と反応したりしながら・・・。

 妻は主治医先生に向かって、いつも以上に心の奥底にあるものを吐き出した(ように思えた)。

「決して言ってはいけないこと」「思ってはいけない」と思っていたことも口から出た。


・・・・「全てから解放されて、しばらく入院したい」
・・・・「子どもが『しょうがい児(者)』であることがつらい。『健常者』であってほしかった。」


 もう、ずいぶん前から、三男の相手をするのが苦痛になっていた。
 顔で笑って、楽しそうに歌って相手をする、それを延々と一日続ける(特に休日)。そのことがどれだけ本人を疲労させるのか、私には想像もつかない。
そ して、必死で「治ろう」「治りたい」と、病気と闘う姿勢を見せていた妻が、このごろは「もう何もやる気がしない」「気力が出ない」と、本当に「うつ病」みたいなことを言い出していた。
 それで、一昨日の通院と相成った。

 主治医先生は、「入院するんやったら(ここでは無理だから)いつでも紹介状書くよ。」と言ってくださった。
「だけど、子ども2人と一緒に、3人まとめて入院させてくれる所は無いよ。」とも。
 私は言った。
「そうなったら、私がまた介護休暇を取ることになります・・。」
「それで行けますか。」
「・・・前回は、蓄えがありましたが、また休暇取得となると・・・・。」
 そんな切ないやり取りもあったのだが、不思議と帰宅してからの妻はふっきれたように元気が(少しずつではあるが)戻ってきた。
 何があったのか?
 私はまだ、それをきちんと言葉では表せない。
 まだまだ上下行はあるだろうが、今回、ほとんど「もうだめか」と思う寸前まで行った妻は、少し強さを伴って登ってきた。
 身体は、もちろん疲れやすいことに変わりはないが・・・・。



 子どもたちが、(「りゅう」は2回発作を起こしたとは言え)元気だったのが何よりだった。
 どこにも連れて行かず、夏休みらしい日は一日もなかったが、それでも、何も不満をもらすことのない子たち。
 私も、音楽を聴く時間などほとんどなかった。聴けても「こま切れ」聴きの日々。もちろん、レジャーも無し。Aさんとあまごを食べに行ったのが唯一の「休日」みたいなものだった。
 それでも、なんら不満はない。師匠が教えてくれた「人に頼られる幸せ」というものが、私のようなものにも少し分かってきたのだろうか?家族のために日々の営みを淡々と続ける、そのことがかけがえもなく黄金に光る宝物のような時間にさえ思える。

 先日、包丁で初めて指を切った。
 主夫もだんだん板についてきたかな。


 三男の一学期の写真を、先生がCDに焼いて下さった。
 今回の写真は、そこから拝借した。




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2 コメント

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Unknown (ゆきこ)
2011-09-01 18:10:50
今日から新学期ですね。台風の進路が気になります。

夕べ読んで涙が出ました。奥様が本音を吐露したあと,少し元気になったこと,よく理解できます。いくらでも言っていいんです。私なんて,しょっちゅうです。
りゅうさまのサポートや理解にも頭が下がります。うちじゃあまったく期待できないことです。

でも,家族とか夫婦ってなんだろうって,最近よく思います。そういうわくの中で生きてきたけど,意外と頼りなくて,もろいもので,わかりあえなくて,結局は人間は一人で孤独なんだって思います。(意味不明でスミマセン)
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>ゆきこさん (親父りゅう)
2011-09-02 21:36:02
こんばんは。
昨日は夕食後、泥のように眠りこけてしまいました。
台風はそちらの方に近づいているようですね。お気をつけ下さい。

妻は「主治医の『無言の魔法』」とか言ってますが、どうなのでしょう?
私には「魔法」の持ち合わせなんて無く、ただ「ドジョウのように」泥臭く(失笑?)やることをやるだけです。

家族とか夫婦とか親子とか、その形態があるというだけで、まるでもう何かが約束されたように思いがちですが、実際はそうとも言えないことも多いのですね。家族であろうと他人同士であろうと、(関係性は)つくり上げていく部分が大きいのだと思います。
まあ、存在が近ければ近いほど「甘え」みたいなことも出しやすくなるとも言えますけどね。
・・・私の方が、意味が分からんことを言っているようで、スミマセン。

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