昨日から二男は2泊3日のショートスティで留守です。
妻も私も二男の世話諸々から解放されてゆっくり過ごすはずが、妻は昨日から調子下落。
昼も夜も、ほとんど横になっています。
深夜2時頃に目覚めて、身体は怠いのに眠れない。
そして、やりたいことができない苦しみと闘っています。
急に訪れる「心身の苦しさ」は、本人にも原因が分からないこともあり、「どうして、こうなるんだ!」という苛立ちもあるみたいです。
発症して丸5年以上になりますが、「いつまでこんなに苦しい思いをしなければいけないのか!」と我慢も限界かのようなことを口走ったりすることもあり、私も傍にいながら何もできない無力感にとらわれること数知れず。
ただ相槌を打つのみです。
「言葉は無力」です。
苦しい・・・(妻からの投稿 3月17日未明)
今、大相撲春場所の真最中ですが、この春場所はリアルタイムで見ることが出来ない日が多いです。
今までは(病気になってから)どれだけしんどくても、大相撲だけは欠かさず見ていたのに・・・。
最近は薬を増量することが多く、昼食後に薬をのんで夕方まで眠ってしまいます。
目が覚めると5時半頃で「今日も相撲はいいわ」と思う。
この一年間の我が家の出来事で疲れてきたのかもしれない。
夫が時々「それでも我が家は頑張っています」「これが我が家です」みたいなことを綴っていますが、そんな綺麗ごとではおさまらない日々も私には沢山あります。
多分、夫もそうだと思いますが・・・。
大相撲は毎日、午前3時40分に“幕の内全取り組み”を放送しているので、それを毎日録画して後を追って見ています。
白鵬、照ノ富士が優勝争いを展開していくのか・・・というところですかね。
苦しみ続けている妻ですが、先日のリュウ帰宅の際は、「さすが母親」と思わせることがありました。
リュウが帰宅して間もなく、ちょっとしたハプニングと言うかトラブルがあり、不機嫌モードMAXで収拾がつかなくなり、私は困り果てていましたが、ずっと横になっていた妻がやってきてとっさの判断で対処したら、すっと沈静化してリュウの笑顔が戻りました。
驚きました。そして感心しました。
やはり、15年間の母子の繋がりで育まれたものは他にとって替えられるものではない。
「だって、リュウが小さい時から、ずっと一緒にいて、1日中相手していたから」とは妻の弁。
オイラはまだまだ、ただの「にわか主夫」。
15日はリュウの15歳の誕生日でした。
誕生日にはこんなことをしてあんなこともしてと、事前に頭の中で描いていたことは全て「絵に描いた餅」で終わりましたが、せめてもの誕生日プレゼントになればと、帰り際に、私も妻もリュウに生歌のプレゼントをしました。
私は短いのを1曲だけでしたが、妻は休憩をはさんで4曲も歌っていました。
おかげでリュウもニコニコでセンターに帰ることができました。
私は、センターの駐車場で「お誕生日おめでとう、お誕生日おめでとう」と何度も語りかけながらリュウを座席から車椅子へと移し、中へと連れて行きました。
妻も私も二男の世話諸々から解放されてゆっくり過ごすはずが、妻は昨日から調子下落。
昼も夜も、ほとんど横になっています。
深夜2時頃に目覚めて、身体は怠いのに眠れない。
そして、やりたいことができない苦しみと闘っています。
急に訪れる「心身の苦しさ」は、本人にも原因が分からないこともあり、「どうして、こうなるんだ!」という苛立ちもあるみたいです。
発症して丸5年以上になりますが、「いつまでこんなに苦しい思いをしなければいけないのか!」と我慢も限界かのようなことを口走ったりすることもあり、私も傍にいながら何もできない無力感にとらわれること数知れず。
ただ相槌を打つのみです。
「言葉は無力」です。
苦しい・・・(妻からの投稿 3月17日未明)
今、大相撲春場所の真最中ですが、この春場所はリアルタイムで見ることが出来ない日が多いです。
今までは(病気になってから)どれだけしんどくても、大相撲だけは欠かさず見ていたのに・・・。
最近は薬を増量することが多く、昼食後に薬をのんで夕方まで眠ってしまいます。
目が覚めると5時半頃で「今日も相撲はいいわ」と思う。
この一年間の我が家の出来事で疲れてきたのかもしれない。
夫が時々「それでも我が家は頑張っています」「これが我が家です」みたいなことを綴っていますが、そんな綺麗ごとではおさまらない日々も私には沢山あります。
多分、夫もそうだと思いますが・・・。
大相撲は毎日、午前3時40分に“幕の内全取り組み”を放送しているので、それを毎日録画して後を追って見ています。
白鵬、照ノ富士が優勝争いを展開していくのか・・・というところですかね。
苦しみ続けている妻ですが、先日のリュウ帰宅の際は、「さすが母親」と思わせることがありました。
リュウが帰宅して間もなく、ちょっとしたハプニングと言うかトラブルがあり、不機嫌モードMAXで収拾がつかなくなり、私は困り果てていましたが、ずっと横になっていた妻がやってきてとっさの判断で対処したら、すっと沈静化してリュウの笑顔が戻りました。
驚きました。そして感心しました。
やはり、15年間の母子の繋がりで育まれたものは他にとって替えられるものではない。
「だって、リュウが小さい時から、ずっと一緒にいて、1日中相手していたから」とは妻の弁。
オイラはまだまだ、ただの「にわか主夫」。
15日はリュウの15歳の誕生日でした。
誕生日にはこんなことをしてあんなこともしてと、事前に頭の中で描いていたことは全て「絵に描いた餅」で終わりましたが、せめてもの誕生日プレゼントになればと、帰り際に、私も妻もリュウに生歌のプレゼントをしました。
私は短いのを1曲だけでしたが、妻は休憩をはさんで4曲も歌っていました。
おかげでリュウもニコニコでセンターに帰ることができました。
私は、センターの駐車場で「お誕生日おめでとう、お誕生日おめでとう」と何度も語りかけながらリュウを座席から車椅子へと移し、中へと連れて行きました。
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