静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

マーラー/交響曲第9番(バーンスタインBPO)、プチ回顧付き

2009年12月29日 20時06分08秒 | バーンスタイン(マーラー)
 いよいよ押し迫ってきました。一昨日、長男がほとんど「同窓会に出る」だけのために一時帰省して、駅から美容院、宴会場へと車で送迎しました。療養中とは言え、リハビリを兼ねて一日に一、二回は外出しておりますが、昨日あたりから、ようやく街の空気が「年の瀬」であると感じられるようになってきました。今日はさらに足を延ばしてカミさんの実家往復37キロ運転。その後に買い物と精米30キロ、これもリハビリですわ。

 今年もいろいろありました。なんと言っても、三男「りゅう」が、おぼつかない足取りではありますが独歩を始めたことが、我が家の今年最大のニュースでしょう。春に、それまで通っていた主として知的障害児対応の学校から主として肢体不自由児対応の学校へと転校しました。日々の学校生活に「歩く」訓練がコンスタントに入ってきて、みるみるうちに歩こうとし始めました。今では、(学校に限り)主な移動手段は独歩か歩行器を使っての歩行になっており、教室から脱走を図ることはしばしば、とのお話も聞いています。家では、「ハイハイ」が移動手段となっていますが、自分から立ち上がって視界の変化を楽しんだり、歩きたいという意思表示をすることも増えてきました。ごちゃごちゃしている家の中では転倒した時の危険性も大きいのですが、目を離さず、適時手を添えて歩くことを促しています。
 今年の初めに「今年は購入CDは、月に2アイテムまでとする」と大々的に誓ったのですが、それは早々に公約違反となりました。それどころか・・・・・以下、略。
 コンサートは、2月の大植さんのマーラー5番に始まり、小澤さんの「エリア」、そして聖響さんのベートーヴェン・チクルスが始まったのですが、いろいろあって最初の2回しか行けないことになってしまいました。「第4」「第9」はどうしても聴きたったのに、残念無念でありました。しかし、6月の大植さんのマーラー9番、あれはすごかったなぁ。
 そして、夏の終わりから秋にかけて私の病気(直腸がん)が発覚し、検査に次ぐ検査、そして手術を経て、現在に至っています。病気発覚から現在までの経緯については、またあらためて書くつもり。今日(29日)の外科外来にて、やっと傷口が閉じていることが確認されました。年明けからは次の段階(がん治療)についての話となる予定です。

 さて、昨日の昼下がりに聴いていたのはこのディスクでした。最近、1枚ものになり価格も下がって再発されました。私もオーダーしていますが、他盤と抱きあわせのマルチ・バイなんで、まだ届いてません。これは旧来の2枚組独盤で・・・・。


マーラー/交響曲第9番


管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:レナード・バーンスタイン

録音:1979年10月4日、5日



 もう、いまさら聴いた感想を私があれこれ書いても誰も見ないでしょうね、この演奏については。かつてFMで放送されました。FM雑誌にはそのリハーサル・レポやプログラムの写真が載っていました。あのテープは、まだ大事に残してあります。「おいそれとは聴けない」って、勝手に思っていました。(CDの方は、放送された純然たる通し収録ではなく、二日間の公演を編集したものという声もありますが、私はよく分かりません。ノイズ除去だけなのだろうか?)

 バーンスタインの鼻息、うなり声がひっきりなしに聞こえるのですが、たぶん、本番中も、いつもの没入に加えて細心の注意を払いつつ棒を振っていたのではないでしょうか。バーンスタインと初顔合わせのベルリン・フィルも、きっと尋常でない緊張感の中で演奏していたのでしょう。ぎくしゃくしたり、出が甘かったり(様子見のためか?)もしますが、この真剣勝負の82分に文句のつけようもありません。
 第1楽章が始まって最初のフォルテが来る所の、なんと風圧の強いことかと、あらためて圧倒されます。常に「すり合わせ感」のうちに進んでいるのですが、摩擦音を上げてギシギシと進むその様は、かえってマーラーの書いた音符を丹念に懸命に瞬間瞬間に音化して進んでいくことと同義となっているようでもあり、経過する時間を忘れさせる不思議な説得力を持つ演奏です。フィナーレの大事なところでトロンボーンの欠落もありますが、流れ的にはバルビローリの「復活」(シュトゥットガルト盤)ほどの致命傷ではありません。
 そんな、あちこちのことじゃなくて、この曲、この演奏の素晴らしさをもっと書きたかったのですが、どうにも言葉が出てきません。昨日は、珍しくスコアを見ながら聴いていましたが、本当にあっと言う間の82分でした。「青空に浮かぶ白い雲に溶けてなくなる」終結は、誰の指揮であっても胸にぐっときますね。







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6 コメント

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>ばってんさん (親父りゅう)
2009-12-30 18:20:49
ばってんさんにとって大切な思い出と深くリンクしている演奏でもあるのですね。


こちらこそ、ばってんさんには遥か香港から何度もお越し頂き感謝しております。

DL人生には、まだ入っておりませんが(と言うか、今のPCとオーディオの環境ではチト難しいのです・・・)、初歩的なパブリック・ドメインのページあたりからぼちぼち聴いていこうかな?って思ってます。

では、また来年もよろしくお願いいたします


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レニーのマーラーsym9と昭和天皇 (ばってん)
2009-12-30 16:07:19
昭和63年(1988年)の秋頃、当時大学生だったぼくが大阪から東京に新幹線に乗っていた時、エアチェックで録音したレニー&BPOのマーラーSym.9をウォークマンで聞いていました。富士山が見えた頃がちょうど4楽章の中間部、そこでぼろぼろと涙が出てきたのを覚えています。当時は昭和天皇の御病状が思わしくない時期でしたが、眼前にある富士山と昭和天皇の事がリンクされて、泣けてきたのだと思います。大阪市役所で陛下の御回復を願う御記帳にも行かせていただきましたが、残念ながら翌年1月7日、吹上御所にて昭和天皇は崩御されました。

という事で全く個人的ですがレニーのこの演奏を聞くと、いつも当時のことを思い出してしまいます。なお他の指揮者のマーラーSym.9を聴いても、思い出したりはしないのですけどね。

スミマセン、ちょっと独りよがりな話で。

親父りゅうさんには今年一年お世話になりました。今年のぼくはは禁断のDLで音楽満喫の一年でした。まぁ仕事や個人的な事ではなこともいっぱい有りましたが、”これもまたぁ~人生ぃ~♪(美空ひばりの「川の流れのように」)ってことで。
では来年もヨロシクお願いします
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>謙一さん (親父りゅう)
2009-12-30 01:49:18
いろいろあったのですね、謙一さんちも・・・。

生と死ですね。
死は生の一部であり、必ず来たるもの、という当たり前のことを実感した今年でもありました。
でも、子どもの成長ってのは、本当に元気をもらいますよね。

マーラーは「大地の歌」9番、10番で、それそぞれ「死」というものを違った角度(と言うか違った関わり)で描いたみたいに思うのですが、僕は、どれも「悲観」「怖れ」には思えません。うまく言えませんが・・・。

1枚ものも間もなく発送されるようで楽しみです。
ミュンシュの「幻想」は未聴だった54年のボストン盤を買ったばかりで、まずはそれを聴いてみます。そして、アルトゥス盤も、もちろん聴きますよ。

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激動の1年 (謙一)
2009-12-29 22:57:37
今年はうちも激動でした。
娘が誕生。でもへその緒が二重まきになり一瞬仮死状態だった
母の癌手術と化学療法に放射線。
…病院関係が一番堪えました。

おやじりゅうさんまで…

生と死を今年は考えさせられました。


マーラー9番BPO盤のリハーサルで
「死んでしまえ!そうすればこれが最後という演奏をするだろう、ぬくもりのある最後の仕事なんだ…」
というようなことを語ったそうですが、この言葉が生きている演奏ではないのがミソ。
ちなみに、1枚盤はバーンスタインの動きの音、空間の広さが前より感じます。
しかし、この盤は代表的名盤にするためにバランスも含めさらに化粧をして聴きやすくしたためか、凄みの空気みたいなものは感じられません。難しいですね。



ミュンシュの幻想交響曲ライブが初発売されましたが、これがとてつもないライブ録音です。
絶対買いですよ。
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>ピースうさぎさん (親父りゅう)
2009-12-29 21:14:08
単身赴任ってのは、なんか「いいなぁ」って思える面もありますが、やっぱりじわじわと何か積もってくるみたいですね。本当に、ゆっくりと静養して下さい。私もそうしますので(?)。
カラヤンの9番(ライヴの方)、実は所持したまま聴いてません。
(FMでやったライヴは聴いてますが・・・・)
そうだ、それを聴かなくちゃって思いました。
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思い出深いです。 (ピースうさぎ)
2009-12-29 20:59:07
今年は手術もなさって激動の1年だったと思います。
私もまさかの単身赴任ということもありましたが。。。

バーンスタインのマーラーですね。私も聴きたくなってきました。神奈川に置いたっきりですが。。。
確かにおいそれとは聴けない演奏ですが、1年に1度は必ず聴いていますね。ついでにカラヤンのライヴ録音のも聴いたりして(笑)。
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