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東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪小暮満寿雄『堪能ルーヴル』を読んで その6 私のブック・レポート≫

2020-06-20 17:44:19 | 私のブック・レポート
≪小暮満寿雄『堪能ルーヴル』を読んで その6 私のブック・レポート≫
(2020年6月20日)




【小暮満寿雄『堪能ルーヴル 半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』はこちらから】


小暮満寿雄『堪能ルーヴル―半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』

【はじめに】


今回のブログでは、小暮満寿雄『堪能ルーヴル 半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』(まどか出版、2003年)の第Ⅵ章「パリの美術館」を紹介してみたい。
 今回、紹介する第Ⅵ章において、パリの美術館として、オルセー美術館とポンピドゥー芸術文化センターを取り上げている。
 小暮満寿雄氏の著作のタイトルが、『堪能ルーヴル』であるので、ルーヴル美術館の作品が主に解説されていた。この第Ⅵ章では、パリの美術館として、ルーヴル以外に、これらの2つの美術館をも訪問することを勧めている。

オルセー美術館の建物は、1900年、万国博のときにオルレアン鉄道のパリ終着駅として建造されたものである。鉄道会社は、わずか39年で閉鎖に追い込まれたが、50年近く経過した1986年12月に、ミュージアムとして復活したのが、オルセー美術館(Musée d’Orsay)である。多くのコレクションは、昔の印象派美術館(現ジュ・ド・ポーム国立ギャラリー)と、ルーヴルやプティ・パレから、印象派を中心にした作品が移されたものである。時代的には二月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品が収められている。
 一方、ポンピドゥー芸術文化センター(Centre National d’Art et de Culture Georges-Pompidou)は、1969年、時のフランス大統領ジョルジュ・ポンピドゥーにより、ボーブールの中央市場跡に文化センターの建設を決定され、1977年に開館した。このセンター内には、パリ三大美術館のひとつ、国立近代美術館(Musée National d’Art Moderne)があり、20世紀以降の近現代美術の作品を展示している。
 古典のルーヴル、印象派のオルセー、近現代のポンピドゥーといったパリ三大美術館をまわれば、美術史はもちろん西洋文明の旅が体験できる。
 
 さて、今回のブログでは、次の作品を取り上げる。
(小暮氏はルーヴル美術館の作品を中心に紹介しているので、オルセー美術館、国立近代美術館の作品で取り上げたものは少ない)
【オルセー美術館】
〇ゴッホ(1853~1890)≪オーヴェールの教会(オーヴェル・シュル・オワーズの教会、後陣)≫1890年 94×74.5㎝ オルセー美術館
【ポンピドゥー芸術文化センター(国立近代美術館)】
〇 ヨーゼフ・ボイス(1921~1986)≪グランドピアノのための均質浸透≫1966年
 ボイスの作品には京都竜安寺の石庭などに通ずるような、観客の間にある種の緊張感を生じさせる力があるという




※【読後の感想とコメント】においても言及するが、オルセー美術館については、差し当たり、次の文献を参照して頂きたい。
〇高階秀爾監修『NHKオルセー美術館3 都市「パリ」の自画像』日本放送出版協会、1990年
〇川又一英『名画に会う旅② オルセー美術館』世界文化社、1995年
〇小島英煕氏『活字でみるオルセー美術館――近代美の回廊をゆく』丸善ライブラリー、2001年

【高階秀爾監修『都市「パリ」の自画像 (NHK オルセー美術館)』はこちらから】

都市「パリ」の自画像 (NHK オルセー美術館)

【川又一英『名画に会う旅② オルセー美術館』はこちらから】

オルセー美術館―アートを楽しむ最適ガイド (名画に会う旅)

【小島英煕『活字でみるオルセー美術館』はこちらから】

活字でみるオルセー美術館―近代美の回廊をゆく (丸善ライブラリー)




本書の第Ⅵ章の目次は次のようになっている。
【目次】
Ⅵ パリの美術館 
 オルセー美術館
 ポンピドゥー芸術文化センター




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


第Ⅵ章 パリの美術館
オルセー美術館
・終着駅だったオルセー美術館
・印象派の誕生
・印象派の光と色
・ゴッホの≪オーヴェールの教会≫の青い色

ポンピドゥー芸術文化センター 
・モダンアートのメッカ
・アヴァンギャルドのススメ






小暮満寿雄『堪能ルーヴル』の要約 第Ⅵ章 パリの美術館


ルーヴル美術館を第5章までで終え、第6章では、「パリの美術館」と題して、オルセー美術館と、ポンピドゥー芸術文化センターについて説明している。簡潔に紹介しておきたい。


オルセー美術館


終着駅だったオルセー美術館


オルセー美術館は、日本でもなじみの深い印象派の画家たちが目白押しである。例えば、
〇エドゥアール・マネ( Édouard Manet, 1832~1883、印象派)
〇クロード・モネ(Claude Monet, 1840~1926、印象派)
〇オーギュスト・ルノワール(Auguste Renoir, 1841~1919、印象派)
〇フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853~1890、後期印象派) 
〇ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848~1903、後期印象派)
〇ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839~1906、後期印象派)

オルセー美術館の建物は、1900年、万国博の時にオルレアン鉄道のパリ終着駅として建造されたものであった。オルセー駅は風格をそなえた建築物であった。しかし、わずか39年で閉鎖に追い込まれた。
それから50年近く経過した1986年12月に、ミュージアムとして復活したのが、オルセー美術館である。

吹きぬけになっているオルセー美術館には、ゴージャスな時計や、その裏側にある元VIPルーム(現在カフェ)がある。多くのコレクションは昔の印象派美術館(現ジュ・ド・ポーム国立ギャラリー)と、ルーヴルやプティ・パレから、印象派を中心にした作品が移されたものである。

時代的には二月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品が収められている。
(ルーヴルを起点にオルセー、ポンピドゥーをまわれば、美術史はもちろん西洋文明の旅ができる)
時間に余裕のある観光客なら、東洋美術のギメ美術館やピカソ美術館、オランジュリー美術館、ラ・ヴィレット、中世美術館、カルナヴァレ美術館をまわることを小暮氏は勧めている。
(小暮、2003年、230頁~231頁)

印象派の誕生


開放的な空間を持つオルセー美術館では、やはり外界の光で描かれた印象派絵画がぴったり合う。
明るく鮮明な色を駆使した印象派絵画は、今でこそ美術の世界の本流になっているが、その初期においては、アカデミーに対する反発が出発点であった。
当時のアカデミーは、保守的な幹部によって硬直化しており、1863年に行われたサロン展では、5000点の応募に対し3000点が落選という厳しいものであった。

当時の前衛美術家だったマネやピサロたちは、そのためにサロン展で、切り捨てられてしまった。しかし、それに反発して(ナポレオン3世の助言もあって)、サロン展の隣で「落選展」を開催したのが、印象派のはじまりであった。

印象派、印象主義という呼び名は、その後、「落選展」に刺激された若い芸術家たちが、キャプシーヌ大通りで開いた展覧会に由来する。
その時の記者が、モネの≪印象、日の出≫を見て、「よくモノを見ずに、印象だけで絵を描く連中」という意味で、「印象主義者」という言葉を使ったのが、そのままこのグループの名前となった。
(小暮、2003年、232頁~234頁)

印象派の光と色


オルセー美術館は大きさがコンパクトで、コレクションも適度な明るさと軽やかさがあるため、だいぶ楽に見ることができる。
印象派を生み出したものは何だったのかについて、小暮氏は私見を述べている。その理由について、次のように箇条書きで列挙している。
① 保守的なサロン絵画に、芸術家も観客も嫌気がさしてきたこと
② 写真技術が発達し、必ずしも描写的な絵を描く必要がなくなってきたこと
(日本の浮世絵が熱狂的に受け入れられたのも、平面的な輪郭表現が新鮮に感じられた)
③ チューブ式絵具(コンパクトで取り扱いが簡単)が製造されるようになり、野外で写生ができるようになったこと
④ 化学染料など、今まで出せなかったような鮮やかな色が簡単に得られるようになったこと
⑤ 光と色の見えるしくみが判明していったこと

1番の理由を除いて、どれも科学の発達に関連しており、特に⑤の理由は重要であるという。というのは、色とは何かということは、学者やアーチストを悩ましてきたことであったから。
色について、小暮氏は次のように説明している。
色彩つまり光とは、目で感じることができる電磁波のことである。
一番波長の長い色は赤で、それから橙→黄→緑→青→青紫(ヴァイオレット)という順番で、波長が短くなる。
色彩とは、その波長、パルスを、人間の脳が認識するサインであり、実体がない。
(長いこと「色とは何か」が解明されてこなかったのは、視神経や脳のしくみがわからなかったからである。「色即是空」とは、よく言ったもので、当たらずとも遠からずであるという)

印象派の時代になって色彩と光の原理の研究が進み、学者たち(シュブルールやヘルムホルツ)が、画家たちの直観から、ひとつの色彩理論をつくりあげていった。
たとえば、絵具の赤と黄を混ぜるとオレンジになり、それに白を混ぜれば、西洋人の肌の色に近くなるといった具合に、色というのは原色を混ぜれば新しい色ができるかわり、混ぜるほどに鮮やかさや明るさは失われていく。

そのような混色された色調を、より明るい状態で見るには、画面の上に点描、つまりドットで複数の色を置いて、離れて眺める方法が考案された。これをディビジョニスムという。
複数の色は混合された上に、より鮮明な状態でとらえるというものである。
(今日のカタログのオフセット印刷も、藍・紅・黄・墨[C・M・Y・BL]のアミ点4色で構成されているが、それはこのような理論が基になっているようだ)

印象派の画家たちは、ある医学生を通じて、この情報を得たといわれている。それがモネ以降の印象派作品(カミーユ・ピサロ Camille Pissarro, 1830~1903、印象派)やジョルジュ・スーラ Georges Seurat, 1859~1891、新印象派)など、まさに、光の粒で構成された色彩の洪水のような作品を生み出していった。
(小暮、2003年、234頁~238頁)

ゴッホの≪オーヴェールの教会≫の青い色


小暮氏は、印象派絵画の特徴として、もう一つあると指摘している。
それ以前の絵画に比べて、印象派の絵画の声がさらにハッキリと聞こえるようになったことを挙げている。

ルーベンスのような、それまでの画家は、映画制作のように大勢のスタッフを集めて大作を作ることが主流であった。しかし、オルセーに置かれている作品群は、どれも画家がひとりで描き上げたものばかりである。
それだけに、画家の肉声がどの絵の中に込められているという。ルーヴルに収蔵されている画家たちは、パトロンのニーズを聞かなければ生活できなかったが、印象派以降の画家は、食えなくても、自分の絵を描こうとする人も出てきた。ゴッホやセザンヌは、生涯まるで絵が売れなかった。その点、カラヴァッジョはいくら破滅型だといっても、やはり売れっ子であった。

ここで、小暮氏は、ゴッホの≪オーヴェールの教会≫という絵について解説している。
〇≪オーヴェールの教会≫(1890年 94×74.5㎝ オルセー美術館)
≪オーヴェールの教会≫は通称名であり、正式名は、≪オーヴェール・シュル・オワーズの教会、後陣≫というそうだ。
ゴッホほど実物の色と印刷された色が違う画家もいないといわれる。これは物理的にいえば、チューブから出したそのままの色をキャンバスに塗りつけている(一番彩度の高い色)を使用しているからである。
ゴッホくらい自分の心の中をストレートに塗りたくった画家はおらず、画面から発散するオーラのようなものがあるという。これは印刷インキでは表現しきれないと小暮氏はいう。

そして、この絵の空のブルーに注目している。この青い色は、ヨーロッパの空の色、それも8月頃、夜の10時頃になって、ようやく陽が落ちるパリの空は、こんな感じの色をしているという。
このゴッホの≪オーヴェールの教会≫という絵は、一見、非現実的なようで、きわめて実物をよく観察して描いた絵として、小暮氏は読み取っている。そして絵を眺めながら耳を澄ませると、心の中に画家の声が響くかもしれないとアドバイスしている。
(小暮、2003年、238頁~240頁)

ポンピドゥー芸術文化センター


モダンアートのメッカ


モダンアートの殿堂ともいうべきものが、ポンピドゥー芸術文化センターである。
この前の広場には、大道芸人や似顔絵描きの画家が多く、ここはモンマルトルの丘同様、アーチストのたまり場である。

ポンピドゥー芸術文化センターは1969年、時のフランス大統領ジョルジュ・ポンピドゥーにより、ここボーブールの中央市場跡に文化センターの建設を決定されたのが、はじまりである。
設計は、レンゾ・ピアノ(伊)とリチャード・ロジャース(英)らの共同プランである。1977年のオープン時から、この建築はルーヴルのピラミッド同様、賛否両論であった。しかし、今はすっかりパリの顔のひとつになっている。
(もちろん、未だにこの工事中みたいな建築をいやがる人も少なくないが)

ポンピドゥーセンターは、建物もモダンアートにふさわしいポップな造りである。ここの円筒形ガラス張りのエスカレーターを上がると、5~7階(フランスではNiveaux4~6)がパリ三大美術館のひとつ、国立近代美術館になる。
このエスカレーター自体が、モダンアートの作品のようなものである。
(小暮、2003年、241頁~242頁)

アヴァンギャルドのススメ


アヴァンギャルドな作品の多い5階を見ながら、モダンアートを楽しく鑑賞するコツを小暮氏は述べている。
(一般的に現代美術というと、6階の常設展示室に置かれているピカソやマティスを思い出す人が多いが、時代の区分けによっては、彼らはすでに古典のカテゴリーに入っている芸術家だという)

5階に展示されているのは、よりポップで前衛的な作品である。ピカソやマティスたちより、さらに形が崩れ、中には展示作品か、備品か判別できないようなものもある。
前衛芸術、アヴァンギャルドは理解不能な作品が多い。しかし、前衛芸術によく当てはまる言葉を小暮氏は紹介している。
それは、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』のセリフに「芸術家とは暗闇で獲物を探すハンターのようなものだ。獲物が何なのか、、、命中したのかどうかもわからない」というのがある。
(このセリフは同名の原作ではなく、同じトーマス・マンの小説『ファウストゥス博士』にある言葉であるそうだ)

小暮氏によれば、意味はあとからついてくるものであるという。アヴァンギャルド芸術に求められることは、様々な表現上の実験を繰り返すことによって、見る人の感覚や脳を刺激することであると考えている。そしてモダンアートで一番肝心なことは、理解するしないということより、その場の雰囲気を楽しむことを勧めている。

例えば、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921~1986)の作品を例として挙げている。
ボイスは、ドイツの現代美術作家である。毛布、フェルト、脂肪、鉄、木を用いた彫刻を制作するとともに、人間を「社会的彫刻」と見なし、パフォーマンスなどの活動を行ったそうだ。
ボイスの作品に、グランドピアノをフェルトで包んだ作品がある。一般に、ボイスの作品には京都竜安寺の石庭などに通ずるような、観客の間にある種の緊張感を生じさせる力があるといわれる。
モダンアートにおいて、その場の雰囲気は大切であり、作品の置かれている空間も含めたすべての表現こそが芸術であると小暮氏は主張している。
(小暮、2003年、242頁~249頁)

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小暮満寿雄『堪能ルーヴル―半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』