≪漢文の勉強法~音読のススメ≫
(2023年11月19日投稿)
今回のブログでは、漢文の勉強法について、考えてみたい。
現在、私の手元にある参考書は、次のものである。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
受験まで日数が限られているので、受験生各自が持っている漢文のテキストを徹底的に勉強すれば十分であると思うが、他の参考書には、どのようなことが主に書かれているのか、参照してもらえたらと考え、このようなブログ記事を思いついた。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
これは、私の知り合いの高校生が学校の副教材として指定されたものである。
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
この2冊は、大学受験用に編集された漢文の参考書である。
要領よく記述されているので、短期間で効果があがるように編集されているように思われる。
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
この本も、受験を視野には入れているが、単に受験用の漢文参考書の域を超えるような試みが感じられる。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
これは、大学受験の漢文とは全く関係なく、一般に漢文の入門書として書かれているが、数多くの種類の漢文が載せられており、大学に入学しても、役立つ本であろう。
このブログでは、故事成語に関わるものと、世界史の教科書にも出てきた司馬光の『資治通鑑』を紹介してみたい。
さて、漢文の勉強法として、いわゆる音読を勧めている本が多い。
ただし、後述するように、三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』(学研プラス)は、広く国語力を養うことを説き、最後の小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、「音読」を別の意味で使っている。
「音読」という言葉について、辞書を引くと、2つの意味がある。
①文章を声を出して読むこと。⇔黙読 / 英語では、to read aloud
<例文>「教科書を音読する」「外国語を学ぶときには音読が大切だ」
黙読は、声を出さないで読むこと。英語では、to read silently
※今回のブログの「音読のススメ」は、①の意味で使っている。
②漢字を音で読むこと。音読み。⇔訓読
<例文>「漢文を音読する」
※後述するように、小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、「音読」をこの意味で用いている。
今回のブログでは、「漢文の勉強法~音読のススメ」と題して、述べておきたい。
【菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店)はこちらから】
菊地隆雄ほか『漢文必携』(桐原書店)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
英語の学習法として、音読がお勧めの勉強法であることは、以前の私のブログにおいても強調してきた。
漢文についても、音読を勧めている参考書が多いことに、今回、気付いたので、どのようにこのことについて述べているのか、紹介しておきたい。
執筆項目を見てもわかるように、次の参考書の中から、音読のススメについて、抜き出してみたい。
そして、受験生は是非とも漢文の勉強法の一つとして、実践してもらいたいと思う。
・音読のススメ~菊地隆雄ほか『漢文必携』より
・音読のススメ~田中雄二『漢文早覚え速答法』より
・音読のススメ~幸重啓郎『漢文が読めるようになる』より
・内容の理解はひとまずおき、漢文を見ながら先生の読みの後について復唱することを「素読(そどく)」という。
江戸時代の寺子屋などでは、この方法によって入門期の漢文学習が行われていた。
いや、江戸時代ばかりではない。明治になってからも、漢文の手ほどきはこの「素読」によって行われた。鷗外も漱石も、大きな声を出して、「素読」に励んだことだろう。そして、いつの間にか、漢文の読解力を身につけた。
・ところが、今では、この方法はすっかり忘れ去られてしまった。
正しい読みを聞いて(リスニング)、音読する(リーディング)という方法は、すべての語学学習の基本であるはずである。もう一度「素読」を見直す必要がある。
しかし、そうはいっても、いつも先生の側で「素読」をするという環境を作ることは難しい。
でも、先生の代わりに訓点付きの漢文を用い、音読するというのであれば、いつでも、どこででも、一人でできる。そしてこうした音読は、「素読」と同じような効用があると考えてよい。
・漢文を句法や語法から攻めていくというのは、もちろん必要なことだが、それで最初から最後まで押し通すというのは難しいものである。漢文を読むには、音読によって漢文の口調に慣れるということがどうしても必要なのである。口調に慣れることによって、不自然な読みをチェックすることもできる。音読は文章をまるごと感じられる格好の方法といえる。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、15頁)
・音読のテキストとしては、初めは教科書が最適であろう。
訓点も付いており、字も大きく、授業で習ってすでになじみの作品もあるかもしれない。
慣れてきたら、まとまった作品にチャレンジしたいものである。
・高校の漢文の代表的な作品といえば、『論語』『唐詩選』『十八史略』ということになろうか。
よく知られた作品だけでなく、内容も多岐にわたっている。
その中から手に入れやすいものを、と考えると、『論語』と『唐詩選』が挙げられる。
この二つの作品は、安価な文庫本で求められる。
・では、さっそく『論語』から始めてみよう。
孔子とその弟子たちの言行録で短い文章が多く、また誰にでも知られた言葉がいくつもある。
吾十有五にして学に志す。
とか、
朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。
などという言葉なら、一度は耳にしたことがあるだろう。
また、どこから始めてもよいし、どこで終わってもよいという点でも、音読にはぴったりの本である。
・『唐詩選』は、文字どおり唐詩の選集であるが、本家の中国よりも日本で流行した本である。
牀前看月光 疑是地上霜
挙頭望山月 低頭思故郷 <李白「静夜思」>
(牀前(しやうぜん)月光を看る 疑ふらくは是れ地上の霜かと
頭(かうべ)を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思ふ)
などという詩なら、口ずさんだことのある人も多いのではなかろうか。
これも絶句や律詩の短いものから入ればよい。
ふと口をついて出るぐらいになるまで、音読してみよう。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、172頁)
漢文は時間がかかる。漢字だけだし、ひっくり返って読むのはしんどい。
でも試験では時間がない。そこで早く読むにはどうするか?
暗記しても効果がない。コトバなのだから慣れればよいのだ。
そしてコトバに慣れる最も効果的な方法は音読であるという。
声に出して読むことだ。
どの語学でも基本は音読である。
1目で見て、2頭で理解するより、
1目で見て、2口に出して、3耳で聞いて、4頭で理解する方が、効果は二倍である。
〇しかも音読は楽だ。力んで覚えるのとは正反対。口に出して唱えるだけで自然と身につく。
身につかないと感じたら、早口で言えるまで数回唱えることをおすすめする。
スラスラ早口で言えるようになったら、その時はすでに体が覚えている。
<合格川柳>早口で 言えば もう身についている
〇全部を音読する必要はない。
本書『早覚え速答法』なら問題だけ。過去問の復習なら傍線部だけ。
読みにくいからこそ、傍線を付けられて問題になるのだ。だから、そこだけ早口で音読すれば、すぐに口が慣れてしまう。
<合格川柳>早口で いえば身になる 傍線部
丸暗記の知識は試験で使えない。
しかし音読で「身についた」知識は使える。
試験で勝つには「知っている」では足りない。時間があれば「解ける」でもまだ足りない。
「早く解ける」レベルでやっと合格できる。早く解けるための知識は「身についた」知識だ。
体が覚えている知識だ。学んだことが体に染みつているからこそ、スター選手は瞬時に妙技をくりだす。
基本知識が身についているからこそ、声を出した受験生は変化技に対応できる。
(田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、
付録『共通テスト漢文攻略マニュアル+私大&記述対策』、1991年[2020年版]、30頁~31頁)
3早覚え速答法・総集編 10分で読め、60分で暗唱できるコレだけ漢文
「試験に出る句形と重要な漢字だけで書かれた漢文があったら、さぞ便利だろう」という「コレだけ漢文」を、著者は友人の中国人および先輩と協力して作成したという。
10分でザッと読み、残りの50分音読すれば、キッと頭に入るだろう。
合格を保証する呪文の漢文だという。
その漢文の使い方は、勉強の進度によって変わるらしい。
①漢文の得意な人→いきなり漢文を読み、わからないところを書き下し文と現代語訳で確認する。
②漢文の不得意な人→まず書き下し文を音読し、現代語訳を頭に入れて、漢文を読み始める。
漢文の内容は、受験の本質を体得した漢文教師「楊朱進」(著者と友人の中国人および先輩の総合ペンネーム)とマジメな受験生との対話である。
考試之道 楊朱進
問君。
「若使己常向机。何爲不措筆而休?
世界広大、必有適所。何不往而探其
処乎?」
對曰「如不過考試、則必爲人所輕。学
及十有八年而見侮、非本意也。豈避考
試求安楽哉!將又、童蒙且励学、況青
年乎!是以不可不学。」
(中略)
曰「足矣。考試之道莫若誦文。考試問
訓読。非問漢語。一誦文輒熟訓。於是
勉而誦文。」
最後に次のように締めくくっている。
「使口唇憶全文、自通考試。嗟呼、奈此善方何。」
【書き下し文】(※新旧の字体に慣れてもらうため、旧字は新字に変更したという)
君に問ふ。
「若(なんぢ)己(おのれ)をして常に机に向はしむ。何為(なんす)れぞ筆を措(お)いて休まざる? 世界は広大、必ず適所有り。何ぞ往きて其処(そこ)を探らざるや?」と。
対へて曰く「如(も)し考試を過ぎざれば、則ち必ず人の軽んずる所と為る。学ぶこと十有八年に及び侮(あなど)らるるは、本意に非ざるなり。豈に考試を避けて安楽を求めんや! 将又(はたまた)、童蒙(どうもう)すら且つ学に励む、況んや青年をや! 是(ここ)を以て学ばざるべからず」と。
(中略)
曰く「足れり。考試の道は文を誦するに若(し)くは莫し。考試は訓読を問ひ、漢語を問ふに非ず。一たび文を誦すれば輒ち訓に熟す。是に於て勉めて文を誦せよ」と。
「口唇をして全文を憶せしむれば、自(おのずか)ら考試に通らん。嗟呼、此の善方を奈何せん」と。
【意味】
試験の道
君に質問する。
「おまえはいつも自分を机にむかわせているが、どうして筆をおいて休まないのだ。世の中は広く、(勉強なんかしなくても)必ず自分にぴったりした場所があるはずだ。どうしてそれを探しに行かないのだ。」
君は答える。
「もし試験に通らなければ絶対に人に軽蔑されてしまいます。18年間も勉強して侮辱されるのは私の本意ではありません。どうしてテストを避けて安楽を求めましょうか。私はトコトンやります。また、ガキンチョでさえ一生懸命勉強しているのですから、青年が勉学に励むのは当然です。だから勉強しないわけにはいかないのです。」
(中略)
「(それで)十分だ。試験の道は文章を音読するのが一番だ。試験では訓読(日本語で読めること)を聞き、中国語(の知識)を質問するのではない。一度文章を音読すればそのたびごとに読みに慣れる。だから一生懸命音読しなさい。」
唇に全文を覚えさせれば(スラスラ口をついてこの漢文が出てくるようになれば)自然と試験に合格するだろう。ああ、このすばらしい方法をどうしようか。」
(田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]、186頁~197頁)
「書物からの知識よりまず体験せよ」と題して、『荘子』の記事を引用した後に、著者も音読を勧めている。
桓公読書於堂上。輪扁斲輪於堂下。釈
椎鑿而上、問桓公曰、「敢問、公之所読為
何言邪。」
公曰、「聖人之言也。」
曰、「聖人在乎。」
公曰、「已死矣。」
曰、「然則君之所読者、古人之糟魄已夫。」
桓公曰、「寡人読書。輪人安得議乎。有説
則可、無説則死。」
輪扁曰、「臣也以臣之事観之。斲輪、徐則
甘而不固。疾則苦而不入。不徐不疾、得之
於手而応於心。口不能言。有数存焉於
其間。臣不能以喩臣之子。臣之子亦不能
受之於臣。是以行年七十而老斲輪。古之
人与其不可伝也死矣。然則君之所読者、
古人之糟魄已夫。」
【書き下し文】
桓公書を堂上に読む。輪扁(りんぺん)輪を堂下に斲(けづ)る。椎鑿(つゐさく)を釈(お)きて上(のぼ)り、桓公に問ひて曰く、「敢へて問ふ、公の読む所は何の言と為すや」と。公曰く、「聖人の言なり」と。曰く、「聖人在りや」と。公曰く、「已に死せり」と。曰く、「然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄(さうはく)のみなるかな」と。桓公曰く、「寡人書を読むに、輪人(りんじん)安んぞ議するを得んや。説有らば則ち可なるも、説無くんば則ち死せん」と。
輪扁曰く、「臣や臣の事を以て之を観る。輪を斲るに、徐なれば則ち甘にして固からず、疾なれば則ち苦にして入らず。徐ならず疾ならざるは、之を手に得て、心に応ず。口言ふ能はず。数の焉(これ)を其の間に存する有り。臣以て臣の子に喩(さと)す能はず。臣の子も亦之を臣より受くる能はず。是を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古の人と其の伝ふべからざると死せり。然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄のみなるかな」と。
【現代語訳】
桓公が書物を表座敷の中で読んでいた。車大工の扁が車輪を表座敷の外で削っていた。(車大工の扁は)つちとのみを置いて(表座敷に)あがってきて、桓公にたずねて言った、「思いきっておたずねしますが、お殿様の読んでいらっしゃるものは何の言葉ですか」と。桓公が言った、「聖人の言葉だ」と。(車大工の扁が)言った、「聖人は生きているのですか」と。桓公が言った、「もうすでに死んでいる」と。(車大工の扁が)言った、「それならお殿様がお読みになっていらっしゃる物は、昔の立派な人物のかすにすぎませんね」と。桓公が言った、「わたしが書物を読んでいる。車大工ごときがどうして口だしなどできようか。申しひらきがあればよいが、申しひらきがなければ(おまえの)いのちはないぞ」と。
(車大工の扁が)言った、「わたしは自分の仕事でこれを考えてみましょう。輪をけずることが、ゆっくりだとはめ込みが緩くてきっちり締まらない。急ぎすぎるとはめ込みがきつくて入らない。ゆっくりでもなく急ぐでもない手加減は、これを手で覚えて心で会得するものです。口では説明できません。仕事のコツというものが、そこにはあるのです。わたしはそれをわたしの子に教えることはできません。わたしの子も同じように仕事のコツをわたしから教わることはできません。こういうわけで年齢が七十になって老いても輪をけずっています。昔の立派な人とその人たちが伝えることができなかったものとは、もうなくなっています。そうだとすればお殿様の読んでいる物は、昔の立派な人のかすにすぎません」と。
※『荘子』に出てくる「桓公」のように、ともすると文章に書いてあることを鵜呑みにしたり、頼ったりしがちである。
もちろん人の意見や幅広い知識を「文字」というものから知ることは大切だが、「車大工」の言葉のように、「文字」では伝えられないこともある。だからこそ、目で文字を追いながら読むだけでなく、自分で体験してみることが大切であるという。
この本も、読者に漢文を体験してもらうためのものである。
ここに紹介した文章を何度も声に出して読んでみてほしいという。
何度も繰り返していくうちに、漢文訓読の基本がひとりでに身についてくるとする。
訓読の基本が身についたら、今度は新たな漢文に挑戦してほしいそうだ。
自分で漢文が読めるようになるおもしろさを味わってほしい、と著者はいう。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、185頁~213頁)
三宅崇広先生は、「センター試験で問われる「漢文の力」とは?」と題して、次のようなことを述べている。
・文章の内容は、逸話・説話か随筆がほとんど。
(特別な思想や時代背景等の知識を必要とするものは出題されない)
やや長い文章が出題されているが、それだけ筋や主張のはっきりした素直な文章・読みやすい文章が選ばれている。
※高校課程修了時の受験生の、標準的な国語力・読解力が備わっているかどうかが、問われてくる。
・現代文などとは比較にならないほど単純明快な筋の話でも、それを読むための道具である知識を持っていなければ、太刀打ちできない。
日本人としての教養の一つである、「漢文」を読む方法の基礎を身につけているかどうかも、もちろん問われている。
・対処する方法
①漢文を読むための基本的な道具である、句形・語法を覚えること。
漢文はある程度覚えることを必要とする科目であるが、裏を返せば、知識が得点に直結し、努力したことが報われる科目でもあるという。
しかも、使役や再読文字はほとんど毎年のように出題されている。
的を絞ることができ、覚えることも決して多くはない。
その意味では、漢文ほど短期間での得点アップが可能な教科はほかにないとも言える。
②「国語力=語彙力=漢字力」を養うことが必要。
漢文も「国語」のなかの一分野であるから、日本語としての語彙力で決まる設問も、若干出題されている。
実は例年、最も正答率が低いのが、このタイプの問題であるようだ。
語彙力の不足というのが現代の受験生の最大の弱点になっている。
(正答率が低い設問であるから、万一失点しても大きな影響はないかもしれないが、漢文は満点をとれる科目である。ここで満点をとって差をつけたい人には、この対策も怠ることは許されない。)
【まとめ】
①漢文を読むための基礎を身につける
基本的な句法・語法を覚え、活用する。
②標準的な国語力を養う
語彙力・漢字力をつける。
③センター試験特有の攻略法を身につける
本書の攻略法をしっかりマスターする。
(三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]、16頁~20頁)
小川環樹・西田太一郎両先生は、「音読」と「訓読」について、「第一部序説」の「二 句読と訓点」および「三 訓読の利害」において、次のように述べている。
(漢字の旧字で書かれているのは、新字に直した)
【訓読】
わが国に中国の書物がはじめて伝わったときには、当時の中国の発音に従って読んでいたに違いない。しかしこれを訳読することも非常に早くから、恐らく奈良朝以前から起った。訳読というのは、漢文の各々の字義に対応する日本語の訳語をあてて読むことで、これを訓読(くんどく)という。もっとも中国の単語のすべてに訳語をつくることができず、中国の発音をそのまま使った単語もある(それらは今日まで日本語のなかでそのまま使われているものも少なくない。いわゆる「字音語」または「漢語」)。してみると、漢文の読み方としては、訳読の単語と音読の単語とがいりまじっていることになるが、言語の構造からいえば、日本語として了解できるようになっているから、訓読が主で音読が従だということになる。それでこのように訳読された漢文を訓読漢文という。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、4頁)
【三 訓読の利害】
漢文はもともと外国語であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則だといってもよい。すべての言語は、それぞれ特有のリズムがあり、また音と意味とのあいだに或る関係があるからである。また訓読にはつぎのような欠点もある。すなわち、訓読の方法と訓読に用いられることばとは平安朝時代に大体さだまり、そののち幾分かは変化したものの、ほとんどそのまま伝承されたから、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味をわかり易く伝えようとすれば、もう一度現代語におきかえなければならなくなったことがこれである。それにもかかわらず、この書物で訓読のかえり読みの法を用いたのはつぎの理由による。
第一に、本書は入門の書であって、漢文の読み方をはじめて学ぶ人々、または若干の知識をすでに有しさらに深く学びたい人々のために編まれたものであるが、もし漢文を音読のみによって学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばねばならない。それには特別の練習を必要とし、その便宜のない人々には困難と思われる。
第二に、われわれの祖先は主として訓読した形でのみ漢文を知っており、また漢文学が日本文学に与えた影響も、直接に原文からではなく、訓読を通したものである。のみならず、わが国で復刻された中国の古典は、そのほとんどすべてが訓点をつけて出版されている。訓読の方法を知ることによって、それらの意味を知り、それらを利用することができる。
われわれは以上の理由で訓読の法を用いる。しかし決して音読の方法を排斥するものでなく、中国語の発音を習得する機会のある人々、またすでに習得した人々は、音読によって漢文特有のリズムをとらえていただきたいし、いちいち返り読みをしないでも原文の意味をとらえる練習も望ましい。外国語を学ぶ以上、翻訳なしで原文の意味をとらえることが最後の目標であるからである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、5頁~7頁)
(2023年11月19日投稿)
【はじめに】
今回のブログでは、漢文の勉強法について、考えてみたい。
現在、私の手元にある参考書は、次のものである。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
受験まで日数が限られているので、受験生各自が持っている漢文のテキストを徹底的に勉強すれば十分であると思うが、他の参考書には、どのようなことが主に書かれているのか、参照してもらえたらと考え、このようなブログ記事を思いついた。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
これは、私の知り合いの高校生が学校の副教材として指定されたものである。
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
この2冊は、大学受験用に編集された漢文の参考書である。
要領よく記述されているので、短期間で効果があがるように編集されているように思われる。
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
この本も、受験を視野には入れているが、単に受験用の漢文参考書の域を超えるような試みが感じられる。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
これは、大学受験の漢文とは全く関係なく、一般に漢文の入門書として書かれているが、数多くの種類の漢文が載せられており、大学に入学しても、役立つ本であろう。
このブログでは、故事成語に関わるものと、世界史の教科書にも出てきた司馬光の『資治通鑑』を紹介してみたい。
さて、漢文の勉強法として、いわゆる音読を勧めている本が多い。
ただし、後述するように、三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』(学研プラス)は、広く国語力を養うことを説き、最後の小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、「音読」を別の意味で使っている。
「音読」という言葉について、辞書を引くと、2つの意味がある。
①文章を声を出して読むこと。⇔黙読 / 英語では、to read aloud
<例文>「教科書を音読する」「外国語を学ぶときには音読が大切だ」
黙読は、声を出さないで読むこと。英語では、to read silently
※今回のブログの「音読のススメ」は、①の意味で使っている。
②漢字を音で読むこと。音読み。⇔訓読
<例文>「漢文を音読する」
※後述するように、小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、「音読」をこの意味で用いている。
今回のブログでは、「漢文の勉強法~音読のススメ」と題して、述べておきたい。
【菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店)はこちらから】
菊地隆雄ほか『漢文必携』(桐原書店)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・音読のススメ~菊地隆雄ほか『漢文必携』より
・音読のススメ~田中雄二『漢文早覚え速答法』より
・音読のススメ~幸重敬郎『漢文が読めるようになる』より
・国語力・語彙力を養うことのススメ~三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』より
【参考】
・「音読」と「訓読」について~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より
音読のススメについて
英語の学習法として、音読がお勧めの勉強法であることは、以前の私のブログにおいても強調してきた。
漢文についても、音読を勧めている参考書が多いことに、今回、気付いたので、どのようにこのことについて述べているのか、紹介しておきたい。
執筆項目を見てもわかるように、次の参考書の中から、音読のススメについて、抜き出してみたい。
そして、受験生は是非とも漢文の勉強法の一つとして、実践してもらいたいと思う。
・音読のススメ~菊地隆雄ほか『漢文必携』より
・音読のススメ~田中雄二『漢文早覚え速答法』より
・音読のススメ~幸重啓郎『漢文が読めるようになる』より
音読のススメ~菊地隆雄ほか『漢文必携』より
漢文の素読
・内容の理解はひとまずおき、漢文を見ながら先生の読みの後について復唱することを「素読(そどく)」という。
江戸時代の寺子屋などでは、この方法によって入門期の漢文学習が行われていた。
いや、江戸時代ばかりではない。明治になってからも、漢文の手ほどきはこの「素読」によって行われた。鷗外も漱石も、大きな声を出して、「素読」に励んだことだろう。そして、いつの間にか、漢文の読解力を身につけた。
・ところが、今では、この方法はすっかり忘れ去られてしまった。
正しい読みを聞いて(リスニング)、音読する(リーディング)という方法は、すべての語学学習の基本であるはずである。もう一度「素読」を見直す必要がある。
しかし、そうはいっても、いつも先生の側で「素読」をするという環境を作ることは難しい。
でも、先生の代わりに訓点付きの漢文を用い、音読するというのであれば、いつでも、どこででも、一人でできる。そしてこうした音読は、「素読」と同じような効用があると考えてよい。
・漢文を句法や語法から攻めていくというのは、もちろん必要なことだが、それで最初から最後まで押し通すというのは難しいものである。漢文を読むには、音読によって漢文の口調に慣れるということがどうしても必要なのである。口調に慣れることによって、不自然な読みをチェックすることもできる。音読は文章をまるごと感じられる格好の方法といえる。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、15頁)
漢文の音読のテキスト
・音読のテキストとしては、初めは教科書が最適であろう。
訓点も付いており、字も大きく、授業で習ってすでになじみの作品もあるかもしれない。
慣れてきたら、まとまった作品にチャレンジしたいものである。
・高校の漢文の代表的な作品といえば、『論語』『唐詩選』『十八史略』ということになろうか。
よく知られた作品だけでなく、内容も多岐にわたっている。
その中から手に入れやすいものを、と考えると、『論語』と『唐詩選』が挙げられる。
この二つの作品は、安価な文庫本で求められる。
・では、さっそく『論語』から始めてみよう。
孔子とその弟子たちの言行録で短い文章が多く、また誰にでも知られた言葉がいくつもある。
吾十有五にして学に志す。
とか、
朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。
などという言葉なら、一度は耳にしたことがあるだろう。
また、どこから始めてもよいし、どこで終わってもよいという点でも、音読にはぴったりの本である。
・『唐詩選』は、文字どおり唐詩の選集であるが、本家の中国よりも日本で流行した本である。
牀前看月光 疑是地上霜
挙頭望山月 低頭思故郷 <李白「静夜思」>
(牀前(しやうぜん)月光を看る 疑ふらくは是れ地上の霜かと
頭(かうべ)を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思ふ)
などという詩なら、口ずさんだことのある人も多いのではなかろうか。
これも絶句や律詩の短いものから入ればよい。
ふと口をついて出るぐらいになるまで、音読してみよう。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、172頁)
音読のススメ~田中雄二『漢文早覚え速答法』より
漢文速習のコツ
漢文は時間がかかる。漢字だけだし、ひっくり返って読むのはしんどい。
でも試験では時間がない。そこで早く読むにはどうするか?
暗記しても効果がない。コトバなのだから慣れればよいのだ。
そしてコトバに慣れる最も効果的な方法は音読であるという。
声に出して読むことだ。
どの語学でも基本は音読である。
1目で見て、2頭で理解するより、
1目で見て、2口に出して、3耳で聞いて、4頭で理解する方が、効果は二倍である。
〇しかも音読は楽だ。力んで覚えるのとは正反対。口に出して唱えるだけで自然と身につく。
身につかないと感じたら、早口で言えるまで数回唱えることをおすすめする。
スラスラ早口で言えるようになったら、その時はすでに体が覚えている。
<合格川柳>早口で 言えば もう身についている
〇全部を音読する必要はない。
本書『早覚え速答法』なら問題だけ。過去問の復習なら傍線部だけ。
読みにくいからこそ、傍線を付けられて問題になるのだ。だから、そこだけ早口で音読すれば、すぐに口が慣れてしまう。
<合格川柳>早口で いえば身になる 傍線部
丸暗記の知識は試験で使えない。
しかし音読で「身についた」知識は使える。
試験で勝つには「知っている」では足りない。時間があれば「解ける」でもまだ足りない。
「早く解ける」レベルでやっと合格できる。早く解けるための知識は「身についた」知識だ。
体が覚えている知識だ。学んだことが体に染みつているからこそ、スター選手は瞬時に妙技をくりだす。
基本知識が身についているからこそ、声を出した受験生は変化技に対応できる。
(田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、
付録『共通テスト漢文攻略マニュアル+私大&記述対策』、1991年[2020年版]、30頁~31頁)
受験のウラわざ(早覚え速答法III)
3早覚え速答法・総集編 10分で読め、60分で暗唱できるコレだけ漢文
「試験に出る句形と重要な漢字だけで書かれた漢文があったら、さぞ便利だろう」という「コレだけ漢文」を、著者は友人の中国人および先輩と協力して作成したという。
10分でザッと読み、残りの50分音読すれば、キッと頭に入るだろう。
合格を保証する呪文の漢文だという。
その漢文の使い方は、勉強の進度によって変わるらしい。
①漢文の得意な人→いきなり漢文を読み、わからないところを書き下し文と現代語訳で確認する。
②漢文の不得意な人→まず書き下し文を音読し、現代語訳を頭に入れて、漢文を読み始める。
漢文の内容は、受験の本質を体得した漢文教師「楊朱進」(著者と友人の中国人および先輩の総合ペンネーム)とマジメな受験生との対話である。
考試之道 楊朱進
問君。
「若使己常向机。何爲不措筆而休?
世界広大、必有適所。何不往而探其
処乎?」
對曰「如不過考試、則必爲人所輕。学
及十有八年而見侮、非本意也。豈避考
試求安楽哉!將又、童蒙且励学、況青
年乎!是以不可不学。」
(中略)
曰「足矣。考試之道莫若誦文。考試問
訓読。非問漢語。一誦文輒熟訓。於是
勉而誦文。」
最後に次のように締めくくっている。
「使口唇憶全文、自通考試。嗟呼、奈此善方何。」
【書き下し文】(※新旧の字体に慣れてもらうため、旧字は新字に変更したという)
君に問ふ。
「若(なんぢ)己(おのれ)をして常に机に向はしむ。何為(なんす)れぞ筆を措(お)いて休まざる? 世界は広大、必ず適所有り。何ぞ往きて其処(そこ)を探らざるや?」と。
対へて曰く「如(も)し考試を過ぎざれば、則ち必ず人の軽んずる所と為る。学ぶこと十有八年に及び侮(あなど)らるるは、本意に非ざるなり。豈に考試を避けて安楽を求めんや! 将又(はたまた)、童蒙(どうもう)すら且つ学に励む、況んや青年をや! 是(ここ)を以て学ばざるべからず」と。
(中略)
曰く「足れり。考試の道は文を誦するに若(し)くは莫し。考試は訓読を問ひ、漢語を問ふに非ず。一たび文を誦すれば輒ち訓に熟す。是に於て勉めて文を誦せよ」と。
「口唇をして全文を憶せしむれば、自(おのずか)ら考試に通らん。嗟呼、此の善方を奈何せん」と。
【意味】
試験の道
君に質問する。
「おまえはいつも自分を机にむかわせているが、どうして筆をおいて休まないのだ。世の中は広く、(勉強なんかしなくても)必ず自分にぴったりした場所があるはずだ。どうしてそれを探しに行かないのだ。」
君は答える。
「もし試験に通らなければ絶対に人に軽蔑されてしまいます。18年間も勉強して侮辱されるのは私の本意ではありません。どうしてテストを避けて安楽を求めましょうか。私はトコトンやります。また、ガキンチョでさえ一生懸命勉強しているのですから、青年が勉学に励むのは当然です。だから勉強しないわけにはいかないのです。」
(中略)
「(それで)十分だ。試験の道は文章を音読するのが一番だ。試験では訓読(日本語で読めること)を聞き、中国語(の知識)を質問するのではない。一度文章を音読すればそのたびごとに読みに慣れる。だから一生懸命音読しなさい。」
唇に全文を覚えさせれば(スラスラ口をついてこの漢文が出てくるようになれば)自然と試験に合格するだろう。ああ、このすばらしい方法をどうしようか。」
(田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]、186頁~197頁)
音読のススメ~幸重敬郎『漢文が読めるようになる』より
「書物からの知識よりまず体験せよ」と題して、『荘子』の記事を引用した後に、著者も音読を勧めている。
桓公読書於堂上。輪扁斲輪於堂下。釈
椎鑿而上、問桓公曰、「敢問、公之所読為
何言邪。」
公曰、「聖人之言也。」
曰、「聖人在乎。」
公曰、「已死矣。」
曰、「然則君之所読者、古人之糟魄已夫。」
桓公曰、「寡人読書。輪人安得議乎。有説
則可、無説則死。」
輪扁曰、「臣也以臣之事観之。斲輪、徐則
甘而不固。疾則苦而不入。不徐不疾、得之
於手而応於心。口不能言。有数存焉於
其間。臣不能以喩臣之子。臣之子亦不能
受之於臣。是以行年七十而老斲輪。古之
人与其不可伝也死矣。然則君之所読者、
古人之糟魄已夫。」
【書き下し文】
桓公書を堂上に読む。輪扁(りんぺん)輪を堂下に斲(けづ)る。椎鑿(つゐさく)を釈(お)きて上(のぼ)り、桓公に問ひて曰く、「敢へて問ふ、公の読む所は何の言と為すや」と。公曰く、「聖人の言なり」と。曰く、「聖人在りや」と。公曰く、「已に死せり」と。曰く、「然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄(さうはく)のみなるかな」と。桓公曰く、「寡人書を読むに、輪人(りんじん)安んぞ議するを得んや。説有らば則ち可なるも、説無くんば則ち死せん」と。
輪扁曰く、「臣や臣の事を以て之を観る。輪を斲るに、徐なれば則ち甘にして固からず、疾なれば則ち苦にして入らず。徐ならず疾ならざるは、之を手に得て、心に応ず。口言ふ能はず。数の焉(これ)を其の間に存する有り。臣以て臣の子に喩(さと)す能はず。臣の子も亦之を臣より受くる能はず。是を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古の人と其の伝ふべからざると死せり。然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄のみなるかな」と。
【現代語訳】
桓公が書物を表座敷の中で読んでいた。車大工の扁が車輪を表座敷の外で削っていた。(車大工の扁は)つちとのみを置いて(表座敷に)あがってきて、桓公にたずねて言った、「思いきっておたずねしますが、お殿様の読んでいらっしゃるものは何の言葉ですか」と。桓公が言った、「聖人の言葉だ」と。(車大工の扁が)言った、「聖人は生きているのですか」と。桓公が言った、「もうすでに死んでいる」と。(車大工の扁が)言った、「それならお殿様がお読みになっていらっしゃる物は、昔の立派な人物のかすにすぎませんね」と。桓公が言った、「わたしが書物を読んでいる。車大工ごときがどうして口だしなどできようか。申しひらきがあればよいが、申しひらきがなければ(おまえの)いのちはないぞ」と。
(車大工の扁が)言った、「わたしは自分の仕事でこれを考えてみましょう。輪をけずることが、ゆっくりだとはめ込みが緩くてきっちり締まらない。急ぎすぎるとはめ込みがきつくて入らない。ゆっくりでもなく急ぐでもない手加減は、これを手で覚えて心で会得するものです。口では説明できません。仕事のコツというものが、そこにはあるのです。わたしはそれをわたしの子に教えることはできません。わたしの子も同じように仕事のコツをわたしから教わることはできません。こういうわけで年齢が七十になって老いても輪をけずっています。昔の立派な人とその人たちが伝えることができなかったものとは、もうなくなっています。そうだとすればお殿様の読んでいる物は、昔の立派な人のかすにすぎません」と。
※『荘子』に出てくる「桓公」のように、ともすると文章に書いてあることを鵜呑みにしたり、頼ったりしがちである。
もちろん人の意見や幅広い知識を「文字」というものから知ることは大切だが、「車大工」の言葉のように、「文字」では伝えられないこともある。だからこそ、目で文字を追いながら読むだけでなく、自分で体験してみることが大切であるという。
この本も、読者に漢文を体験してもらうためのものである。
ここに紹介した文章を何度も声に出して読んでみてほしいという。
何度も繰り返していくうちに、漢文訓読の基本がひとりでに身についてくるとする。
訓読の基本が身についたら、今度は新たな漢文に挑戦してほしいそうだ。
自分で漢文が読めるようになるおもしろさを味わってほしい、と著者はいう。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、185頁~213頁)
国語力・語彙力を養うことのススメ~三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』より
三宅崇広先生は、「センター試験で問われる「漢文の力」とは?」と題して、次のようなことを述べている。
・文章の内容は、逸話・説話か随筆がほとんど。
(特別な思想や時代背景等の知識を必要とするものは出題されない)
やや長い文章が出題されているが、それだけ筋や主張のはっきりした素直な文章・読みやすい文章が選ばれている。
※高校課程修了時の受験生の、標準的な国語力・読解力が備わっているかどうかが、問われてくる。
・現代文などとは比較にならないほど単純明快な筋の話でも、それを読むための道具である知識を持っていなければ、太刀打ちできない。
日本人としての教養の一つである、「漢文」を読む方法の基礎を身につけているかどうかも、もちろん問われている。
・対処する方法
①漢文を読むための基本的な道具である、句形・語法を覚えること。
漢文はある程度覚えることを必要とする科目であるが、裏を返せば、知識が得点に直結し、努力したことが報われる科目でもあるという。
しかも、使役や再読文字はほとんど毎年のように出題されている。
的を絞ることができ、覚えることも決して多くはない。
その意味では、漢文ほど短期間での得点アップが可能な教科はほかにないとも言える。
②「国語力=語彙力=漢字力」を養うことが必要。
漢文も「国語」のなかの一分野であるから、日本語としての語彙力で決まる設問も、若干出題されている。
実は例年、最も正答率が低いのが、このタイプの問題であるようだ。
語彙力の不足というのが現代の受験生の最大の弱点になっている。
(正答率が低い設問であるから、万一失点しても大きな影響はないかもしれないが、漢文は満点をとれる科目である。ここで満点をとって差をつけたい人には、この対策も怠ることは許されない。)
【まとめ】
①漢文を読むための基礎を身につける
基本的な句法・語法を覚え、活用する。
②標準的な国語力を養う
語彙力・漢字力をつける。
③センター試験特有の攻略法を身につける
本書の攻略法をしっかりマスターする。
(三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]、16頁~20頁)
【参考】「音読」と「訓読」について~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より
小川環樹・西田太一郎両先生は、「音読」と「訓読」について、「第一部序説」の「二 句読と訓点」および「三 訓読の利害」において、次のように述べている。
(漢字の旧字で書かれているのは、新字に直した)
【訓読】
わが国に中国の書物がはじめて伝わったときには、当時の中国の発音に従って読んでいたに違いない。しかしこれを訳読することも非常に早くから、恐らく奈良朝以前から起った。訳読というのは、漢文の各々の字義に対応する日本語の訳語をあてて読むことで、これを訓読(くんどく)という。もっとも中国の単語のすべてに訳語をつくることができず、中国の発音をそのまま使った単語もある(それらは今日まで日本語のなかでそのまま使われているものも少なくない。いわゆる「字音語」または「漢語」)。してみると、漢文の読み方としては、訳読の単語と音読の単語とがいりまじっていることになるが、言語の構造からいえば、日本語として了解できるようになっているから、訓読が主で音読が従だということになる。それでこのように訳読された漢文を訓読漢文という。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、4頁)
【三 訓読の利害】
漢文はもともと外国語であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則だといってもよい。すべての言語は、それぞれ特有のリズムがあり、また音と意味とのあいだに或る関係があるからである。また訓読にはつぎのような欠点もある。すなわち、訓読の方法と訓読に用いられることばとは平安朝時代に大体さだまり、そののち幾分かは変化したものの、ほとんどそのまま伝承されたから、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味をわかり易く伝えようとすれば、もう一度現代語におきかえなければならなくなったことがこれである。それにもかかわらず、この書物で訓読のかえり読みの法を用いたのはつぎの理由による。
第一に、本書は入門の書であって、漢文の読み方をはじめて学ぶ人々、または若干の知識をすでに有しさらに深く学びたい人々のために編まれたものであるが、もし漢文を音読のみによって学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばねばならない。それには特別の練習を必要とし、その便宜のない人々には困難と思われる。
第二に、われわれの祖先は主として訓読した形でのみ漢文を知っており、また漢文学が日本文学に与えた影響も、直接に原文からではなく、訓読を通したものである。のみならず、わが国で復刻された中国の古典は、そのほとんどすべてが訓点をつけて出版されている。訓読の方法を知ることによって、それらの意味を知り、それらを利用することができる。
われわれは以上の理由で訓読の法を用いる。しかし決して音読の方法を排斥するものでなく、中国語の発音を習得する機会のある人々、またすでに習得した人々は、音読によって漢文特有のリズムをとらえていただきたいし、いちいち返り読みをしないでも原文の意味をとらえる練習も望ましい。外国語を学ぶ以上、翻訳なしで原文の意味をとらえることが最後の目標であるからである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、5頁~7頁)