歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪囲碁の布石について プロローグ≫

2024-10-27 18:00:06 | 囲碁の話
≪囲碁の布石について プロローグ≫
(2024年10月27日投稿)

【はじめに】


 布石は、家造りにたとえれば土台の段階で、碁では重要な分野である。
(高尾紳路『囲碁 布石入門』成美堂出版、2013年、3頁)
三村智保九段によれば、布石には、「広げる」と「固める」という二つの要素があるとされるという。
⇒広げることは、攻めの布石につながる
 固めることは、シノギの布石につながる
(この二つの要素が複雑にからみ合うため、「布石の必勝法」を作ることができない)

三連星:「広げる」という布石の原則に従えば、三連星が有力。つまり「攻め」の布石。
小目の布石:小目に打つと、「固める」打ち方になり、「シノギ」の布石。そして、お互いが堅い布石を選ぶと、細かいヨセの碁になる。
(三村智保『三村流布石の虎の巻』株式会社マイナビ、2012年、14頁~20頁)

 布石は、碁でいちばん自由な分野であるが、自由すぎるので、アマチュアにはかえって難しい分野でもある。
 今回から、囲碁の布石について、次の著作を参考にしながら、考えてゆきたい。
 まずは、初回ということで、プロローグ的に、主な著作の概略を紹介しておく。

〇白石勇一『やさしく語る 布石の原則』マイナビ出版、2017年
〇三村智保『三村流布石の虎の巻』株式会社マイナビ、2012年
〇高尾紳路『囲碁 布石入門』成美堂出版、2013年
〇瀬戸大樹『NHK囲碁シリーズ 布石の打ち方が変わる!』NHK出版、2014年
〇山下敬吾『実戦ですぐに使える布石』日本文芸社、2016年[2018年版]
〇大竹英雄『大竹英雄の基礎布石の独習法』誠文堂新光社、1983年[1987年版]
〇小林覚『はじめての十九路盤布石』棋苑図書、1997年
〇趙治勲『趙治勲の囲碁 布石と定石』日東書院、1985年
〇片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]
〇林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]
〇依田紀基『基本布石事典 上(星・小目の部)』日本棋院、2008年[2013年版]
〇依田紀基『基本布石事典 下(星・小目・その他)』日本棋院、2008年



【白石勇一『やさしく語る 布石の原則』(マイナビ出版)はこちらから】

さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・白石勇一『やさしく語る 布石の原則』の「まえがき」と本書の内容
・高尾紳路『囲碁 布石入門』の「はじめに」
・三村智保『三村流布石の虎の巻』の「まえがき」
・広いところから打つ~三村智保『三村流布石の虎の巻』より
・攻めの布石・シノギの布石~三村智保『三村流布石の虎の巻』より
・一段落に気をつける~三村智保『三村流布石の虎の巻』より
・星の定石について~趙治勲『布石と定石』より
・昭和期の布石の変遷について~林海峰『基本布石事典(上)』より




白石勇一『やさしく語る 布石の原則』の「まえがき」と本書の内容


・白石勇一氏の前作『やさしく語る 碁の本質』では、中盤戦、つまりお互いの石がぶつかり、弱い石ができてからの考え方、打ち方がテーマであった。
中盤戦は地を気にせず、石の強弱を第一に考えて打てばよいと主張している。
自分の弱い石は守り、相手の弱い石を攻めることの重要性、またその方法について解説していた。

・一方、本書は、その前の段階、布石がテーマである。
布石を上手く打つことができれば、自分に弱い石ができなかったり、相手の弱い石を作ることにもつながる。そうなれば、中盤戦も有利に戦うことができる。
布石は中盤戦のための大事な準備区間であるという。

・第1章では、勢力圏という概念について説明している。それを理解すれば、布石で何を目指すべきなのか、イメージが掴める。
・第2章、第4章では、局面によってどういう打ち方をすればよいのか、その指針となる「原則」について説明している。
・そして、第3章、第5章は確認問題である。第2章、第4章で学んだことを、しっかりと身に付けてほしい。
・第6章は布石紹介である。アマ同士の対局でよく打たれる布石と、その特徴を紹介している。
・第7章には、それまでの内容の総まとめとして、実力テストがある。どれだけ本書の内容を理解し、身に付いているかを確認することができる。
・第8章は知識編である。覚えておくと役に立つ形や定石などを収録してある。
(本書の内容を理解するために役立つものも多いので、最初に第8章から読んでもよいようだ)
(白石勇一『やさしく語る 布石の原則』マイナビ出版、2017年、2~3頁、11頁)

高尾紳路『囲碁 布石入門』の「はじめに」


・初級の人は、入門時に使う九路盤から十九路盤に変わった途端、その広さにとまどって、迷子になったような気分になり、どこに打てばよいか分からなくなってしまう。
 それは、中級、上級と進級しても同じようなものである。
・なぜ、どこに打てば良いかが分からなくなるかと言えば、布石の場合は、死活や手筋の分野と違って、明確な正答が出にくい分野だからである。
・布石は、家造りにたとえれば土台の段階で、碁では重要な分野である。
 そこで、どこに注意すれば布石の大筋がつかめるか、実戦に臨んで応用できるようになるためには、どこがポイントかに心掛けて、構成したという。
・本書では、大筋の方向を間違えないための目の付け所はどこかに絞り、細かいことは省き、中盤の戦いにおいても応用がきき、勝率のアップにつながるような基本的な考え方が身につくように心掛けたそうだ。
(それは、初段以上になっても、十分通用する布石の考え方であるとする)
(高尾紳路『囲碁 布石入門』成美堂出版、2013年、3頁)

三村智保『三村流布石の虎の巻』の「まえがき」


・布石は、碁でいちばん自由で楽しい分野である。
 初手を天元から打っても良いし、辺から打っても、別に悪くなるとは言い切れない。
 好きに打って良い。
・プロの布石や定石にあまりとらわれずに、自分なりの作戦を楽しんで欲しいと、著者はいう。
 ただ、初級の人から「どう考えたらよいのか、何をしたらよいのか分からない」と途方にくれた声をよく聞く。 
(確かに自由すぎるのも困りもの)
・本書では、布石の基本の考え方に加え、著者のお勧めの作戦も示している。
 一手一手の意味を正確に分かろうとするよりも、流れを感じてほしいという。
 繰り返し手順を見ていると、だんだんコツがつかめてくる。
・布石は動くものである。
 自分が今ここに打って、相手がこうきて……こんな感じになったらいいな、と想像しながら打つことが大事だという。
➡楽しみながら打てば、上達も早くなる。
(三村智保『三村流布石の虎の巻』株式会社マイナビ、2012年、3頁)

広いところから打つ~三村智保『三村流布石の虎の巻』より


・布石のはじめは空き隅から打ち始める。
(江戸時代の頃からもその原則は変わっていない)
⇒やはり、空き隅がもっとも「効率がよい」と思われているから。

【参考図:星・小目・三々・目外し・高目】
≪棋譜≫(8頁の1図)

A:星、B:小目、C:三々、D:目外し、E:高目

※すべてが三線から五線の間に入っている。
⇒これは、布石そのものの原理である
<参考>
・二線の石は地が小さいだけではなく、封鎖されやすく死にやすいというマイナスがある。
・なお、一線に打つのは論外。
 一線は地がまったく増えない上に、根拠もない。
 布石における一線は最悪。

三々:三線~五線にかけてが効率がよく地を作るエリア 
   もっとも堅実に隅のエリアを確定地にする打ち方
星 :三々よりも風船をふくらませたようなイメージ
   効率よく地を作れる可能性がある半面、破裂する危険性もある
高目や目外し:少し辺に向けて力を入れる打ち方
   よく打たれている基本の打ち方であるが、難解な定石になることも多く、使いこなすには、ある程度の知識が必要
(本書では、定石の細かい話はしないので、高目や目外しの詳しい解説については他書に譲るという)
(三村智保『三村流布石の虎の巻』株式会社マイナビ、2012年、8頁~13頁)

攻めの布石・シノギの布石~三村智保『三村流布石の虎の巻』より


【攻めの布石・シノギの布石】
・布石は、まず空き隅に打つ。
 その後が問題である。基盤があまりにも広くて迷ってしまう。
・迷うのは、基盤が広いからだけではない。
 「隅の次は辺に、辺の次は中央に、とにかく広いところを順番に打っていけばいい」という布石の原則はある。
 ただ、この原則が、布石の100%を表してはいない。
・布石には、「広げる」と「固める」という二つの要素がある
⇒広げることは、攻めの布石につながる
 固めることは、シノギの布石につながる
(この二つの要素が複雑にからみ合うため、「布石の必勝法」を作ることができない)

三連星:「広げる」という布石の原則に従えば、三連星が有力。つまり「攻め」の布石。
小目の布石:小目に打つと、「固める」打ち方になり、「シノギ」の布石。そして、お互いが堅い布石を選ぶと、細かいヨセの碁になる。

<まとめ>2種類の布石
①「攻め」の布石
風船をふくらませるかのように、自分のエリアをどんどん広げて相手が入ってくるのを待ち、その石を攻めて主導権を握る。
②「シノギ」の布石
まずはしっかりと自分の構えを固めて、後から相手の模様に打ち込んで荒らし、地でリードを奪うことを目的とする。

※どちらの布石を選ぶかは、「棋風」と言われる好みの問題。
・相手との兼ね合いがあるので、お互いに模様を広げ合って、大乱戦になるような碁もあれば、お互いに堅く打って細かいヨセ勝負になる碁もある。
(三村智保『三村流布石の虎の巻』株式会社マイナビ、2012年、14頁~20頁)

【具体例】
【三連星の大きな模様】
≪棋譜≫(21頁の2図)

・白1の受けから黒2とヒラく。
➡大きな模様を作ることができる

【ハサミの場合】
≪棋譜≫(21頁の3図)

・ただし、白は1とハサんでくる可能性もある
※ここで黒の応手によっては、布石の方向が変わる
中国流~第1章 主導権を握る「攻め」の布石

第5章 一段落に気をつける~三村智保『三村流布石の虎の巻』より


・アマチュアにとっては、「攻めの布石」一本槍で実戦をこなすことが棋力向上の近道でああろうという。(序章や第1章参照)
 しかし、本当の力をつけるためには、総合的にいろいろな知識を身につけ、判断力を磨いていく必要がある。
・第5章では、「一段落の判断」について解説している。
 このことは、技術だけではなく、心構えの問題という面もある。
 アマチュアが布石で遅れを取る原因のほとんどは、この「一段落の判断」ができないことにあるらしい。
 一か所を打ちはじめると、いつでもそこから離れることができず、相手の手についていって、小さいところを打ち続けてしまう。

☆それでは、何をもって一段落したと判断すれば、いいのだろうか?
(毎局ごとに違う形が出てくるのだから、暗記しようとしても意味がない)
⇒三村智保氏によれば、一段落の基準となる「お互いに弱いところや攻められる石がない状態」を見分ける考え方を身につける必要があるとする。
 つまり、自分の石が攻められず、相手の石を攻めることもできなくなったと思えば、そこから目を離す。これが大切であるそうだ。

・アマチュアは、「いつ手を抜いていいかわからない」人が多い。
 たしかに相手がどこに打ってくるかわからないし、何か自分の見落としがあるのではないかという不安もあるだろう。
 けれど、自分が「もう一段落した」と思ったら、他の場所に大きいところを探す習慣をつけるようにするとよいと、アドバイスしている。
(その結果、実際はまだ一段落していなくて、攻められたり、大きなキズを作ったりしても、それは経験だと割り切る。何となく、いつまでも同じところを打ち続けていても、上達にはつながらない)
第5章では、対局中の心がけについても言及している。
(三村智保『三村流布石の虎の巻』株式会社マイナビ、2012年、204頁)

星の定石について~趙治勲『布石と定石』より


趙治勲氏は、「私の選んだ星の定石」で、次のようなことを述べている。
古今の高手に受け継がれ、教えられた定石は、約2万もあると言われている。もちろん、全部覚えることなどは無理。しかし、基本的な定石をマスターすることは、それほど大変なことではない。

大切なことは、定石の手順を暗記することではない。
石の流れを読み取り、“定石の成り立ち・心”を知ることである。一手ずつ確かめながら勉強してほしいという。

星の性格


盤端から4の四に位置している星は、次に示すような性格を持っている。
①三々が空いているため地になりにくい。
②中央への戦いには有利。
③星からバランスよくヒラけば、大模様が完成する。
④もともとが守りより、攻め指向で、相手の石を“高い位”から攻撃して効果をあげる。
⑤定石の型が、わりあい簡明である。
⑥置碁では、星を上手に生かして打てば、勝てるが、そうでない場合、相手にアマされることがたびたびである。
⑦互先では、星から三連星、タスキ星、中国流と、各種の布石展開が見込まれ、もし黒番と仮定すれば、ほとんど相手にじゃまされずに構えることができる。
(趙治勲『趙治勲の囲碁 布石と定石』日東書院、1985年、164頁~165頁)

昭和期の布石の変遷について ~林海峰『基本布石事典(上)』より


●新布石革命
①昭和8年秋、新布石革命
 新布石時代の木谷実と呉清源の星打ちに関する考え方の差
②昭和30年前後の第二の新布石時代
③昭和50年前後の第三の新布石全盛期(中国流や二、三連星)
※20年周期で布石の変遷は興味深い。

①昭和8年秋、新布石革命
・昭和8年秋、新布石革命は燎原の火のごとく燃え盛り、囲碁界を席捲した。
 主唱者は木谷実と呉清源である。
 その三連星ないし星打ちが中心となって、高目、大高目、5ノ五、三々などの特殊戦法による中原志向が、旧来の布石法の価値観と鋭く対立、これをひっくりかえそうとした。
・旧手法は、第三線が主体の考え方なので、これを否定するためにはどうしても石の位置が高くなり、中央が主戦場となる。
・黒1、3、5の星の三連星は、位を高く保ち、勢力を誇示するのに絶好の拠点となった。
・三連星主唱者の木谷実が、前田陳爾の黒の三連星に対して、白の三連星で向かっていった。
 新布石時代の木谷実と呉清源の星打ちに関する考え方の差

≪棋譜≫
【木谷実vs前田陳爾】
昭和11年 春季大手合 
 黒六段 前田陳爾(15目勝)
 白七段 木谷実


②昭和30年前後の第二の新布石時代
③昭和50年前後の第三の新布石全盛期(中国流や二、三連星)
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、3頁~4頁、74頁~81頁、127頁)

〇中国流
・本書では、黒が第五手目を辺の第三線に打つ形を中国流、そして第四線の高い位置に打つものを新中国流という表現に統一したという。
(五手目の高い中国流は中国流を発展是正した意味をこめて、修正中国流ともいわれているが、ここでは新中国流で通したそうだ)

・中国流の布石法は、本来、日本で生まれたものである。
 それが中国に渡り、中国から逆輸入されて、この名がある。
 ここでは中国流を生むに至った背景と、それに共通する布石法が従来から日本にあったことを述べて、この部の導入としたいという。

・中国流布石は、昭和30年台(表記ママ)に安永一を中心とするアマチュア強豪の間で研究され、打たれていた。
 そして、安永が中国に渡り、中国選手にこの打ち方を紹介、当地でその技法が検討され、黒の5の手が第三線の低い中国流として日本に逆にもどってきた。
 また、昭和41年に訪中した島村俊広がこの布石法の感化を受け、ひと頃、島村流の名でプロ碁界を悩ませたのは、衆知のところである。
・日本の囲碁界で中国流が流行し、これを実戦に用いる棋士が多くなったのは、昭和40年台の後半から50年台にかけてである。
 武宮正樹にみられる大模様作戦が二、三連星の星打ちを基調としたのに対応し、中国流と新中国流が爆発的な人気を呼び、これら勢力重視と中央志向の風潮は、第三期の新布石時代再現の様相さえ呈するに至った。
・ある時期の加藤正夫は黒番のすべてを新中国流に徹し、抜群の成績とともにこの技法の発展に寄与した。
・中国流がこれだけ囲碁界に人気を得た原因として、一時期実利主義に走った全体的な傾向に対する批判と従来の布石を立体的な視点でとらえ、これに流動性を与えようとする時代的な要求があったことを、あげねばならぬだろう。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、308頁、310頁)

〇特殊戦法としての天元
・特殊戦法といえば、天元をはじめ第一着手を辺に打ったり、隅の大高目や5ノ五等に配したりと、そういう種類の打ち方の総称である。その多様性はいうまでもない。
・昭和ひと桁の新布石革命前後の久保松勝喜代の天元打ちは、その熱心な研究と共に有名である。大手合の黒番で天元を打ち続け、同じ関西の棋士陣営に大きな影響を与えた。
・すでに、天元は、寛文10年(1670)の道策・算哲の御城碁で打たれているなど、歴史は古いが、地のあまさとその勢力活用法に問題があって、技術的な発達をみていなかった。
 中原を志向する新しい試みとして、脚光を浴びるようになったのは、昭和に入ってからであり、今も有力な序盤の技法として、研究の対象になり得るものである。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、458頁)