ブログ原稿≪中野京子『はじめてのルーヴル』 【読後の感想とコメント】その8≫
(2020年5月29日投稿)
【中野京子『はじめてのルーヴル』はこちらから】
はじめてのルーヴル (集英社文庫)
今回のブログでは、ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』について考えてみたい。
ルーベンスといえば、あの『フランダースの犬』のネロが憧れた「バロック絵画の王」である。このルーベンスと、マリー・ド・メディシスは、不思議な因縁で結ばれていたようである。
ルーベンスの出身地フランドルと、アンリ4世のフランスとでは、女性に対する美意識も相違していたことが、木村泰司氏の著作を読むとわかってくる。
なお、ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の中から1枚『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』についてのフランス語の解説文を読んでみたい。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
中野氏は「第⑥章 捏造の生涯」において、ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』を解説していた(中野、2016年[2017年版]、83頁~97頁)。
木村泰司氏も、17世紀のフランドル絵画といえば、この人なくしては語れないとしてルーベンスに言及している(あの『フランダースの犬』のネロが憧れた「バロック絵画の王」である)。
ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の傑作の中から1枚『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』(1622~1625年 ルーヴル美術館 リシュリュー翼3階 394×295㎝)を取り上げている。
海の中にいる3人の海の精たちが、なぜ、ぽっちゃりしすぎに描かれているのかについて、木村氏は私見を述べている。
そこには、フランスとフランドルとの間での美意識の違いがみられるという。
フランスでは、13世紀後半にすでにパリの宮廷風の「優美様式」というものができあがっていた。S字曲線のスレンダーな人物を美しい、エレガントであると見なす美意識であった。フランスはもともと直線的な美を好むお国柄だという。
例えば、時代は少し下り、
〇16世紀のフォンテーヌブロー派による『狩りの女神ディアナ』
(1550~1560年頃 192×133㎝ ワシントン ナショナル・ギャラリー)
この絵にも、この美意識は見てとれる。
この絵は、ディアーヌ・ド・ポワティエという女性をモデルにしている。彼女はあのフランソワ1世の息子、アンリ2世(在位1547~1559年)の公式の愛妾である(王妃はカトリーヌ・ド・メディシス)。ディアーヌ・ド・ポワティエは、他の肖像画で見ると、もう少しがっちりとした体型をしているが、この絵は少々理想化されているといわれる。
16世紀になると、フランス宮廷は、洗練されていく。100年遅れとはいえ、イタリアからルネサンスを輸入した当時の宮廷人たちは、神話にも精通するようになる。
ディアーヌ・ド・ポワティエは、自分と同じ名前の女神、月と狩りの女神ディアナ(フランス語でディアーヌ)に扮している。
このあと、ヨーロッパでは、貴婦人が古代の女神や神話の登場人物に扮する肖像画が流行していく。このような寓意的肖像画というのは、貴族階級の芝居観賞や仮面舞踏会からくる変身願望がベースにあるようだ。
肖像画は17世紀に著しく発展し、それぞれの国で、傑作、名作と呼ばれる作品が誕生してくる。というのも、私たちがイメージするヨーロッパの国々というのは、17世紀に形づくられたといわれる。ネーデルラント連邦共和国が独立したのもそうである。フランスもルイ14世の絶対王政を経て、ヨーロッパ屈指の国へと成長していく。
それぞれの国の政治的、宗教的背景のもとで、美術も独自の発展をしていく。
一方、ルーベンス(1577~1640年)は、その17世紀バロック時代の画家である。ルーベンスは、フランスの隣りの国、フランドル人であり、別の伝統や美意識があった。
歴史的にみて、17世紀のバロック時代より1世紀前、フランドルは大変な状況になっていた。プロテスタントへの過酷な弾圧、宗教戦争、独立戦争など、相次ぐ戦争によって大地は荒れ果て、人々は飢えで苦しんだ。そうした状況は17世紀になって、やっと落ち着いてきた。
そのような故郷の歴史を知っているルーベンスにとっては、このようにふくよかな女性こそがまさに豊かさ、美しさ、そして平和の象徴であった。
「ところ変われば品変わる」である。
(木村泰司『名画の言い分』筑摩書房、2011年、159頁~162頁、169頁~173頁)
【木村泰司『名画の言い分』(筑摩書房)はこちらから】
名画の言い分 (ちくま文庫)
ただし、マリー・ド・メディシスの“名誉”のために、木村泰司氏のもう1冊の本『美女たちの西洋美術史』(光文社新書、2010年)には、マリーの20歳頃の肖像画が載っている。
つまり、ピエトロ・ファケッティによる『マリー・ド・メディシスの肖像』(1595年頃)がそれである。マリーの生没年は、1575~1642年であるから、制作年の1595年頃は、20歳頃である。
この肖像画を見ればわかるように、元々は端正な顔立ちの美しい娘だったと木村氏も評している。
ただ、1600年、代理結婚式が執り行われ、マルセイユ港に到着した25歳の頃には、すでに肥満傾向にあったようだ。
1600年10月5日に、フィレンツェでは、ベルガルト公がアンリの代理を務めてマリーとの代理結婚式が執り行われたが、当時イタリア滞在中のマントヴァ公に仕えていた画家ルーベンスも、お供としてこの結婚式に参加している。
(以後、マリーとルーベンスは、晩年まで不思議な因縁で結ばれた関係となる)
フィレンツェを後にしたマリーは、ジェノヴァの港からお供に付き添われ、11月3日にマルセイユに到着する。その姿を見たフランス人は、その威厳と風格に感銘したが、彼女の容姿にはそこまで感心はしなかった。20歳代半ばの頃には、すでに肥満傾向にあった。
マリーがフランスの大地に降り立ってから約1週間後、やっとリヨンで初めてアンリと対面するときが来た。しかし、実物のマリーはアンリが目にしていた肖像画のようにほっそりとした繊細な美人でなかった。フランス美女を見慣れたアンリからしたらマリーは田舎臭く見えたようだ。
ルーベンスは『マリー・ド・メディシスの肖像』(1622~25年、プラド美術館)をも残している。
ルーベンスとマリー・ド・メディシスは不思議な因縁で結ばれている。若きルーベンスは、前述したように、フィレンツェでのマリー・ド・メディシスの代理結婚式に参列している。そしてリュクサンブール宮殿のために制作した24枚の連作は二人の名前を未来永劫のものにした。
また、1631年にマリーが再び息子によって追放され、ブリュッセルに亡命した際には、アントウェルペンのルーベンス邸も訪れている。彼女の最期にも、その因縁が感じられる。つまり、1640年、ルーベンスは北ヨーロッパ最大の画家として名誉に輝きながら、その人生を終えるが、彼より2歳年上のマリーは、その2年後の1642年、亡命先のケルンの民家で、貧困と屈辱の中に、その生涯を終える。
奇しくも、その家は、両親が宗教問題によってアントウェルペンから亡命中に、ドイツで生まれた幼いルーベンスが暮らした家だったそうだ。
(木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書、2010年、168頁~183頁)
【木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書はこちらから】
美女たちの西洋美術史~肖像画は語る~ (光文社新書)
トスカナ大公の娘マリー・ド・メディシスが1600年にフランス王アンリ4世と結婚した時、27歳になっていた。
10年後にアンリ4世が暗殺された時、二人の間の長男、後のルイ13世はわずか9歳だったので、マリー・ド・メディシスが摂政を務めることになる。
ルーヴル宮が安全でないと考えて、マリーはセーヌ河の向こう岸に、サロモン・ド・ブロッスに命じて華麗な城館を造営させる。それが1615年から22年にかけて建てられたリュクサンブール宮殿である。
マリーが娘時代に故郷フィレンツェで住んでいたピッティ宮を思わせる造りとなっている。花嫁として初めてルーヴル宮に足を踏み入れた時、ここは宮殿よりは牢獄にふさわしいと言ったと伝えられる。マリーにとって、王侯にふさわしい住居とはイタリア・ルネサンス風のものでなければならなかったようだ。
1614年、ルイ13世が成年に達してからも、母后マリーはイタリア人の側近を重用して政治の実権を握り続けていた。とくに重用したのが、コンチーニである。彼は、マリーの侍女で幼な友達でもレオノーラ・ガリガイの夫であった(コンチーニはダンクル元帥という称号を与えられている)。
しかしマリーに対する敵意から、1617年にコンチーニは暗殺され、マリーも都落ちすることになる。マリーはルイ13世に反旗を翻したが敗北し、1620年にルイ13世と和解した。彼女は対立の間中、味方してくれた枢機卿リシュリューを国務会議に加えるよう計らったが、リシュリューが王に影響力をもつことを恐れて、のちには彼を権力から遠ざけようとしたそうだ。
しかし、リシュリューは状況を逆転させ、1630年に母后マリーは再びパリを逃れることになり、今度は亡命生活のまま、1642年にケルンで没した。
(高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』日本放送出版協会、1986年、172頁)
【高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』はこちらから】
ロマン派登場 (NHK ルーブル美術館)
マリーがルーベンスにリュクサンブール宮の2つのギャラリーを装飾させたのは、この2回の危機にはさまれた、つかの間の安泰期のことであった。
ルーベンスを起用したいというマリーの意向は1621年末に伝えられたようだ。ルーベンスは翌年の1月には既にパリに来ている。正式な契約が結ばれたのは2月末である。
この契約で、ルーベンスは長さ約60メートルの細長い広間である東西のギャラリーを、それぞれアンリ4世とマリー・ド・メディシスの生涯を表わした連作で飾ることになった。
まず、1622年から25年にかけて、マリーの連作が描かれる。次いで着手されたアンリ4世の連作は、マリーの失脚で結局未完に終わった。
マリー・ド・メディシスの栄光に捧げられた連作は、24画面から成っている。マリーとその両親の3点の肖像画に始まって、高さ約4メートルの伝記的画面(幅は3通りで、約1.5メートル、約3メートル、約7メートル)が、ギャラリーを一巡する。
このいわゆる「メディチ・ギャラリー(ギャルリー・メディシス)」では、歴史的忠実さと寓意性とをとり混ぜた表現である。フィレンツェの公女からフランス王妃となり、次いで摂政となったマリーの生涯の主な出来事が語られている。
誕生、マルセイユ到着、1601年のルイ13世の誕生、1610年のサン・ドニ聖堂におけるマリーの戴冠、摂政政治の至福、息子との和解などである。
ルーベンスは、実在の人物と寓意像とを巧みに混在させることにより、本当はあまり栄光に満ちていたとは言いかねる歴史的事実に、英雄叙事詩の壮大さをまとわせたとされる。
碩学たちが繰り上げたこの連作のプログラム(古典学者としても、ひとかどの存在だったルーベンスも参加)は、単に危うくなったマリーの権威に力を回復させようとする政治的意図のみから生まれたわけではないようだ。
マリー・ド・メディシスは、自分の非凡な運命を絵画化させることにより、物語のヒロインや過去の名高い女性に同化することを望んだという。
例えば、次のような女性が挙げられるそうだ。
〇旧約聖書では、敵将の寝首を掻いた救国の女傑ユーディット
〇古代ローマ史では、貞操を汚されたことを恥じて自害したルクレツィア
〇同じく古代ローマ史では、仲間の娘たちをはげまして人質となっていた敵国から脱走し、その勇気を敵からも称えられたクレリア
〇ルネサンス文学では、イタリアの詩人トルクァート・タッソーの叙事詩『解放されたエルサレム』の中の女戦士クロリンダ
マリーが栄光に満ちた女性というテーマに執着していたことは、リュクサンブール宮殿のドームの周囲を著名な女性たちを表わした8体の彫刻で飾ろうとした事実からもうかがえるそうだ。
(マリーの顧問は、昔の名君の母や妻だったことで名高い王妃を選んだが、ルーベンスの意見がいれられて、最終的には諸徳を表わす8人の女性寓意像に落ち着いたという)
(高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』日本放送出版協会、1986年、172頁)
ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の傑作の中から1枚『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』について、フランス語の解説文を読んでみよう。
PEINTURE DU NORD
Pierre Paul Rubens, L’Arrivée de Marie de Médicis à Marseille le 3 novembre 1600,
1622-1625, huile sur toile, 394×295㎝
En 1622, Marie de Médicis, reine de France et veuve de Henri IV assassiné en 1610, fait appel au Flamand Rubens pour peindre « les histoires de la vie très illustre et gestes héroïques » de la reine et de sa régence. Ces vingt-quatre tableaux devront décorer une galerie du palais du Luxembourg dont la construction vient de s’achever. Le contrat
spécifie que Rubens doit peindre lui-même cet ensemble ― près de trois cents mètres carrés de peinture qu’il réalisera en moins de trois années ! Le projet est très original, car la vie d’un personnage historique, Marie de Médicis, est racontée, non plus par un jeu d’allégories complexes ou de récits mythologiques, mais sur un mode à la fois narratif et épique : chaque scène illustre un événement de la vie de la reine, qui apparaît comme une « héroïne » idéalisée et protégée par les dieux. L’artiste, alors célèbre dans toute l’Europe, réunit ici les caractéristiques du style baroque : compositions d’une grande clarté, profondeur de l’espace, dynamisme des scènes, coloris raffinés obtenus au moyen de glacis superposés qui donnent aux carnations leur transparence légendaire.
(Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Art Lys, 2001, pp.58-59.)
≪訳文≫
北方絵画
ピーテル・パウル・ルーベンス「1600年11月3日の王妃マリー・ド・メディシスのマルセーユ上陸:1622~1625年、油彩・カンバス、394×295㎝
1610年に暗殺されたアンリ4世の妻であるフランス王妃マリー・ド・メディシスは、1622年に、自分の王妃時代とそれに続く摂政時代の『名高い生涯と英雄的な行為の数々』を描くようフラマン人ルーベンスに依頼した。
この24点の絵画は建築が終了したばかりのリュクサンブール宮殿の回廊を飾るためのものだった。その契約にはルーベンス自らがこの連作のすべてを描くと明記されていた。しかも、延べ300平方メートルにもなる絵画を3年以内に仕上げるという内容だった。
その制作方針は、マリー・ド・メディシスという歴史的人物の人生を、それまで多く見られた寓意劇や神話に仮託した物語で描くのではなく、説明的で叙事詩的な手法で語るという画期的なものだった。それぞれの場面で王妃の生涯に起こった出来事が描かれ、王妃は常に神々に守られた理想的な『ヒロイン』として描かれている。
当時ヨーロッパ中にその名を知られていたこの画家はここでバロック様式の技法を駆使してみせた。明晰な構図、奥行きのある空間、躍動感のある情景、透明絵具の重ね塗りによる洗練された色合いなどがそれであり、伝説にまでなったあの透明感のある肌色も生まれた。
(フランソワーズ・ベイル((株)エクシム・インターナショナル翻訳)『ルーヴル見学ガイド』Art Lys、2001年、58頁~59頁)
【語句】
L’Arrivée [女性名詞]到着(arrival)
Marseille マルセイユ(フランス南東部ブーシュデュローヌ Bouches-du-Rhône県の県庁所在地;地中海に面したフランス最大の港。フランス第2の都市)
※<注意>英語の綴りは最後にsをつける→Marseilles
reine [女性名詞]王妃(queen)
veuf →veuve[女性名詞]未亡人、寡婦(widow)
assassiné <assassiner暗殺する(assassinate)の過去分詞
fait <faire~する(do)の直説法現在
appel [男性名詞]呼ぶこと(call)、訴え、呼びかけ(appeal)
faire appel à... ~に訴える、すがる(appeal to)
<例文>L’historien doit aussi faire appel à l’archéologie.
歴史学者は考古学の力をも借りなければならない。
Flamand [男性名詞、女性名詞]フランドル人(Fleming)
Rubens ルーベンス(1577~1640)フランドルの画家
pour peindre 描く(paint)
(cf.)peindre à l’huile油彩で描く(paint in oils)
histoire [女性名詞]歴史(history)、来歴、物語(story)
illustre [形容詞]名高い、著名な(glorious, famous)
gestes [女性名詞]<複数>行動、行為(behavio[u]r)
héroïque [形容詞]英雄的な、勇ましい(heroic)
sa régence [女性名詞]摂政政治[の期間](regency)
tableau(x) [男性名詞]絵画(painting)
devront <devoir+不定法 ~しなければならない(owe)、~することになっている(be [supposed] to)の直説法単純未来
décorer (室内を)飾る(decorate)
une galerie [女性名詞]回廊(gallery)
palais [男性名詞]宮殿(palace)
Luxembourg [男性名詞]ルクセンブルク[大公国](Luxemburg)、リュクサンブール宮(フランス上院)[=le Palais du Luxembourg](英語:the Luxembourg Palace)
dont [代名詞]<関係代名詞>~前置詞deを含む関係代名詞 それについて、~の、その(of which)
la construction [女性名詞]建築、建設(construction)
vient de s’achever <venir de+不定法 (近接過去)~したばかりである(have just done)の直説法現在
<例文> Il vient de sortir. 彼は今出かけたばかりです(He has just gone out.)
s’achever 代名動詞 終わる、完成する(end)
Le contrat [男性名詞]契約(contract)
spécifie <spécifier明示する、指定する(specify)の直説法現在
Rubens doit <devoir+不定法 ~しなければならない(must, have to)の直説法現在
cet ensemble [男性名詞]全部(whole)、集合(set, group)
près de ~の近くに、およそ(close to, about)
carré [形容詞]正方形の、平方の(square)
mètre carré 平方メートル(square metre)
peinture [女性名詞]絵画(painting)
qu’il réalisera <réaliser成し遂げる、実現させる(achieve, realize)の直説法単純未来
en moins de ~[の期間]以内に(within)
Le projet [男性名詞]計画、企画(project)
est <êtreである(be)の直説法現在
original [形容詞]最初の、独創的な(original)
car [接続詞]というのは(for, because)
la vie [女性名詞]生命、人生(living, life)
est racontée <助動詞êtreの直説法現在+過去分詞(raconter)受動態の直説法現在
raconter 語る、物語る(tell, relate)
non plus..., mais... もはや~ではなく~である
<例文> Je porte non plus des lunettes, mais des lentilles de contact.
私はもうめがねではなく、コンタクトレンズを使っている
un jeu [男性名詞]遊び(play)、演技(playing)
allégorie [女性名詞]寓意、アレゴリー(allegory)
complexe [形容詞]複雑な、入り組んだ(complex)
récit [男性名詞]話、物語(story, recital)
mythologique [形容詞]神話の(mythologi[cal])
un mode [男性名詞]様式、方法(mode)
à la fois 一緒に(both)、同時に(at the same time)
<例文>Elle est à la fois aimable et distante. 彼女は愛想はいいが、冷たさもある。
narratif [形容詞]物語体の、語りの(narrative)
épique [形容詞]叙事詩的な(epic)
scène [女性名詞]場面(scene)
illustre <illustrer 挿絵を入れる、(実例で)明快に説明する(illustrate)の直説法現在
un événement [男性名詞]出来事、事件(event)
<注意>2番目のéは1979年以降 èと書く例も多くなっている。évènement
qui apparaît <apparaître現れる(appear)の直説法現在
une « héroïne » [女性名詞](物語の)女主人公、ヒロイン(heroine)
idéalisée <idéaliser理想化する、美化する(idealize)の過去分詞
protégée <protéger保護する、守る(protect)の過去分詞
dieu [男性名詞]神(god)
L’artiste [男性名詞、女性名詞]芸術家(artist)
célèbre [形容詞]有名な、名高い(famous, celebrated)
réunit <réunir 結びつける、一つのまとめる(join)の直説法現在
caractéristique [女性名詞]特質、特性(characteristic)、
[形容詞]特徴的な(typical, characteristic)
baroque [形容詞]バロック様式の(baroque)
composition [女性名詞]構成(composition)
clarté [女性名詞]明るさ(brightness)、明快さ(clarity)
profondeur [女性名詞]深さ、奥行き(depth)
dynamisme [男性名詞]活力、ダイナミズム(dynamism, drive)
coloris [男性名詞]色あい(colo[u]r)、彩色法(colo[u]r scheme)
raffiné (←raffinerの過去分詞)[形容詞]洗練された(refined)
obtenus <obtenir得る(obtain)の過去分詞
glacis (←glacerの過去分詞)[男性名詞]上塗り、<絵画>(色調)をやわらげるため地の絵の具の上に塗る)透明絵の具
(cf.) glacer冷やす、<陶芸>釉薬をかける、<絵画>(絵の具の表層に)透明な絵の具をうすく施す、グラッシをかける
superposé (←superposerの過去分詞)[形容詞]重ねられた(superposed)
qui donnent <donner与える(give)の直説法現在
carnation [女性名詞]肌の色(complexion, flesh tint)
transparence [女性名詞]透明(度)(transparency)
légendaire [形容詞]伝説の(legendary)
【Valérie Mettais, Votre visite du Louvre, Art Lysはこちらから】
Visiter le Louvre
(2020年5月29日投稿)
【中野京子『はじめてのルーヴル』はこちらから】
はじめてのルーヴル (集英社文庫)
【はじめに】
今回のブログでは、ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』について考えてみたい。
ルーベンスといえば、あの『フランダースの犬』のネロが憧れた「バロック絵画の王」である。このルーベンスと、マリー・ド・メディシスは、不思議な因縁で結ばれていたようである。
ルーベンスの出身地フランドルと、アンリ4世のフランスとでは、女性に対する美意識も相違していたことが、木村泰司氏の著作を読むとわかってくる。
なお、ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の中から1枚『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』についてのフランス語の解説文を読んでみたい。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・『マリー・ド・メディシスの生涯』
・マリー・ド・メディシスの一生とルーベンスの連作
・【マリー・ド・メディシスの一生】
・【マリー・ド・メディシスによる連作の注文】
・『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』のフランス語の解説文を読む
【読後の感想とコメント】
『マリー・ド・メディシスの生涯』
中野氏は「第⑥章 捏造の生涯」において、ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』を解説していた(中野、2016年[2017年版]、83頁~97頁)。
木村泰司氏も、17世紀のフランドル絵画といえば、この人なくしては語れないとしてルーベンスに言及している(あの『フランダースの犬』のネロが憧れた「バロック絵画の王」である)。
ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の傑作の中から1枚『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』(1622~1625年 ルーヴル美術館 リシュリュー翼3階 394×295㎝)を取り上げている。
海の中にいる3人の海の精たちが、なぜ、ぽっちゃりしすぎに描かれているのかについて、木村氏は私見を述べている。
そこには、フランスとフランドルとの間での美意識の違いがみられるという。
フランスでは、13世紀後半にすでにパリの宮廷風の「優美様式」というものができあがっていた。S字曲線のスレンダーな人物を美しい、エレガントであると見なす美意識であった。フランスはもともと直線的な美を好むお国柄だという。
例えば、時代は少し下り、
〇16世紀のフォンテーヌブロー派による『狩りの女神ディアナ』
(1550~1560年頃 192×133㎝ ワシントン ナショナル・ギャラリー)
この絵にも、この美意識は見てとれる。
この絵は、ディアーヌ・ド・ポワティエという女性をモデルにしている。彼女はあのフランソワ1世の息子、アンリ2世(在位1547~1559年)の公式の愛妾である(王妃はカトリーヌ・ド・メディシス)。ディアーヌ・ド・ポワティエは、他の肖像画で見ると、もう少しがっちりとした体型をしているが、この絵は少々理想化されているといわれる。
16世紀になると、フランス宮廷は、洗練されていく。100年遅れとはいえ、イタリアからルネサンスを輸入した当時の宮廷人たちは、神話にも精通するようになる。
ディアーヌ・ド・ポワティエは、自分と同じ名前の女神、月と狩りの女神ディアナ(フランス語でディアーヌ)に扮している。
このあと、ヨーロッパでは、貴婦人が古代の女神や神話の登場人物に扮する肖像画が流行していく。このような寓意的肖像画というのは、貴族階級の芝居観賞や仮面舞踏会からくる変身願望がベースにあるようだ。
肖像画は17世紀に著しく発展し、それぞれの国で、傑作、名作と呼ばれる作品が誕生してくる。というのも、私たちがイメージするヨーロッパの国々というのは、17世紀に形づくられたといわれる。ネーデルラント連邦共和国が独立したのもそうである。フランスもルイ14世の絶対王政を経て、ヨーロッパ屈指の国へと成長していく。
それぞれの国の政治的、宗教的背景のもとで、美術も独自の発展をしていく。
一方、ルーベンス(1577~1640年)は、その17世紀バロック時代の画家である。ルーベンスは、フランスの隣りの国、フランドル人であり、別の伝統や美意識があった。
歴史的にみて、17世紀のバロック時代より1世紀前、フランドルは大変な状況になっていた。プロテスタントへの過酷な弾圧、宗教戦争、独立戦争など、相次ぐ戦争によって大地は荒れ果て、人々は飢えで苦しんだ。そうした状況は17世紀になって、やっと落ち着いてきた。
そのような故郷の歴史を知っているルーベンスにとっては、このようにふくよかな女性こそがまさに豊かさ、美しさ、そして平和の象徴であった。
「ところ変われば品変わる」である。
(木村泰司『名画の言い分』筑摩書房、2011年、159頁~162頁、169頁~173頁)
【木村泰司『名画の言い分』(筑摩書房)はこちらから】
名画の言い分 (ちくま文庫)
ただし、マリー・ド・メディシスの“名誉”のために、木村泰司氏のもう1冊の本『美女たちの西洋美術史』(光文社新書、2010年)には、マリーの20歳頃の肖像画が載っている。
つまり、ピエトロ・ファケッティによる『マリー・ド・メディシスの肖像』(1595年頃)がそれである。マリーの生没年は、1575~1642年であるから、制作年の1595年頃は、20歳頃である。
この肖像画を見ればわかるように、元々は端正な顔立ちの美しい娘だったと木村氏も評している。
ただ、1600年、代理結婚式が執り行われ、マルセイユ港に到着した25歳の頃には、すでに肥満傾向にあったようだ。
1600年10月5日に、フィレンツェでは、ベルガルト公がアンリの代理を務めてマリーとの代理結婚式が執り行われたが、当時イタリア滞在中のマントヴァ公に仕えていた画家ルーベンスも、お供としてこの結婚式に参加している。
(以後、マリーとルーベンスは、晩年まで不思議な因縁で結ばれた関係となる)
フィレンツェを後にしたマリーは、ジェノヴァの港からお供に付き添われ、11月3日にマルセイユに到着する。その姿を見たフランス人は、その威厳と風格に感銘したが、彼女の容姿にはそこまで感心はしなかった。20歳代半ばの頃には、すでに肥満傾向にあった。
マリーがフランスの大地に降り立ってから約1週間後、やっとリヨンで初めてアンリと対面するときが来た。しかし、実物のマリーはアンリが目にしていた肖像画のようにほっそりとした繊細な美人でなかった。フランス美女を見慣れたアンリからしたらマリーは田舎臭く見えたようだ。
ルーベンスは『マリー・ド・メディシスの肖像』(1622~25年、プラド美術館)をも残している。
ルーベンスとマリー・ド・メディシスは不思議な因縁で結ばれている。若きルーベンスは、前述したように、フィレンツェでのマリー・ド・メディシスの代理結婚式に参列している。そしてリュクサンブール宮殿のために制作した24枚の連作は二人の名前を未来永劫のものにした。
また、1631年にマリーが再び息子によって追放され、ブリュッセルに亡命した際には、アントウェルペンのルーベンス邸も訪れている。彼女の最期にも、その因縁が感じられる。つまり、1640年、ルーベンスは北ヨーロッパ最大の画家として名誉に輝きながら、その人生を終えるが、彼より2歳年上のマリーは、その2年後の1642年、亡命先のケルンの民家で、貧困と屈辱の中に、その生涯を終える。
奇しくも、その家は、両親が宗教問題によってアントウェルペンから亡命中に、ドイツで生まれた幼いルーベンスが暮らした家だったそうだ。
(木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書、2010年、168頁~183頁)
【木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書はこちらから】
美女たちの西洋美術史~肖像画は語る~ (光文社新書)
マリー・ド・メディシスの一生とルーベンスの連作
【マリー・ド・メディシスの一生】
トスカナ大公の娘マリー・ド・メディシスが1600年にフランス王アンリ4世と結婚した時、27歳になっていた。
10年後にアンリ4世が暗殺された時、二人の間の長男、後のルイ13世はわずか9歳だったので、マリー・ド・メディシスが摂政を務めることになる。
ルーヴル宮が安全でないと考えて、マリーはセーヌ河の向こう岸に、サロモン・ド・ブロッスに命じて華麗な城館を造営させる。それが1615年から22年にかけて建てられたリュクサンブール宮殿である。
マリーが娘時代に故郷フィレンツェで住んでいたピッティ宮を思わせる造りとなっている。花嫁として初めてルーヴル宮に足を踏み入れた時、ここは宮殿よりは牢獄にふさわしいと言ったと伝えられる。マリーにとって、王侯にふさわしい住居とはイタリア・ルネサンス風のものでなければならなかったようだ。
1614年、ルイ13世が成年に達してからも、母后マリーはイタリア人の側近を重用して政治の実権を握り続けていた。とくに重用したのが、コンチーニである。彼は、マリーの侍女で幼な友達でもレオノーラ・ガリガイの夫であった(コンチーニはダンクル元帥という称号を与えられている)。
しかしマリーに対する敵意から、1617年にコンチーニは暗殺され、マリーも都落ちすることになる。マリーはルイ13世に反旗を翻したが敗北し、1620年にルイ13世と和解した。彼女は対立の間中、味方してくれた枢機卿リシュリューを国務会議に加えるよう計らったが、リシュリューが王に影響力をもつことを恐れて、のちには彼を権力から遠ざけようとしたそうだ。
しかし、リシュリューは状況を逆転させ、1630年に母后マリーは再びパリを逃れることになり、今度は亡命生活のまま、1642年にケルンで没した。
(高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』日本放送出版協会、1986年、172頁)
【高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』はこちらから】
ロマン派登場 (NHK ルーブル美術館)
【マリー・ド・メディシスによる連作の注文】
マリーがルーベンスにリュクサンブール宮の2つのギャラリーを装飾させたのは、この2回の危機にはさまれた、つかの間の安泰期のことであった。
ルーベンスを起用したいというマリーの意向は1621年末に伝えられたようだ。ルーベンスは翌年の1月には既にパリに来ている。正式な契約が結ばれたのは2月末である。
この契約で、ルーベンスは長さ約60メートルの細長い広間である東西のギャラリーを、それぞれアンリ4世とマリー・ド・メディシスの生涯を表わした連作で飾ることになった。
まず、1622年から25年にかけて、マリーの連作が描かれる。次いで着手されたアンリ4世の連作は、マリーの失脚で結局未完に終わった。
マリー・ド・メディシスの栄光に捧げられた連作は、24画面から成っている。マリーとその両親の3点の肖像画に始まって、高さ約4メートルの伝記的画面(幅は3通りで、約1.5メートル、約3メートル、約7メートル)が、ギャラリーを一巡する。
このいわゆる「メディチ・ギャラリー(ギャルリー・メディシス)」では、歴史的忠実さと寓意性とをとり混ぜた表現である。フィレンツェの公女からフランス王妃となり、次いで摂政となったマリーの生涯の主な出来事が語られている。
誕生、マルセイユ到着、1601年のルイ13世の誕生、1610年のサン・ドニ聖堂におけるマリーの戴冠、摂政政治の至福、息子との和解などである。
ルーベンスは、実在の人物と寓意像とを巧みに混在させることにより、本当はあまり栄光に満ちていたとは言いかねる歴史的事実に、英雄叙事詩の壮大さをまとわせたとされる。
碩学たちが繰り上げたこの連作のプログラム(古典学者としても、ひとかどの存在だったルーベンスも参加)は、単に危うくなったマリーの権威に力を回復させようとする政治的意図のみから生まれたわけではないようだ。
マリー・ド・メディシスは、自分の非凡な運命を絵画化させることにより、物語のヒロインや過去の名高い女性に同化することを望んだという。
例えば、次のような女性が挙げられるそうだ。
〇旧約聖書では、敵将の寝首を掻いた救国の女傑ユーディット
〇古代ローマ史では、貞操を汚されたことを恥じて自害したルクレツィア
〇同じく古代ローマ史では、仲間の娘たちをはげまして人質となっていた敵国から脱走し、その勇気を敵からも称えられたクレリア
〇ルネサンス文学では、イタリアの詩人トルクァート・タッソーの叙事詩『解放されたエルサレム』の中の女戦士クロリンダ
マリーが栄光に満ちた女性というテーマに執着していたことは、リュクサンブール宮殿のドームの周囲を著名な女性たちを表わした8体の彫刻で飾ろうとした事実からもうかがえるそうだ。
(マリーの顧問は、昔の名君の母や妻だったことで名高い王妃を選んだが、ルーベンスの意見がいれられて、最終的には諸徳を表わす8人の女性寓意像に落ち着いたという)
(高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』日本放送出版協会、1986年、172頁)
『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』のフランス語の解説文を読む
ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の傑作の中から1枚『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』について、フランス語の解説文を読んでみよう。
PEINTURE DU NORD
Pierre Paul Rubens, L’Arrivée de Marie de Médicis à Marseille le 3 novembre 1600,
1622-1625, huile sur toile, 394×295㎝
En 1622, Marie de Médicis, reine de France et veuve de Henri IV assassiné en 1610, fait appel au Flamand Rubens pour peindre « les histoires de la vie très illustre et gestes héroïques » de la reine et de sa régence. Ces vingt-quatre tableaux devront décorer une galerie du palais du Luxembourg dont la construction vient de s’achever. Le contrat
spécifie que Rubens doit peindre lui-même cet ensemble ― près de trois cents mètres carrés de peinture qu’il réalisera en moins de trois années ! Le projet est très original, car la vie d’un personnage historique, Marie de Médicis, est racontée, non plus par un jeu d’allégories complexes ou de récits mythologiques, mais sur un mode à la fois narratif et épique : chaque scène illustre un événement de la vie de la reine, qui apparaît comme une « héroïne » idéalisée et protégée par les dieux. L’artiste, alors célèbre dans toute l’Europe, réunit ici les caractéristiques du style baroque : compositions d’une grande clarté, profondeur de l’espace, dynamisme des scènes, coloris raffinés obtenus au moyen de glacis superposés qui donnent aux carnations leur transparence légendaire.
(Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Art Lys, 2001, pp.58-59.)
≪訳文≫
北方絵画
ピーテル・パウル・ルーベンス「1600年11月3日の王妃マリー・ド・メディシスのマルセーユ上陸:1622~1625年、油彩・カンバス、394×295㎝
1610年に暗殺されたアンリ4世の妻であるフランス王妃マリー・ド・メディシスは、1622年に、自分の王妃時代とそれに続く摂政時代の『名高い生涯と英雄的な行為の数々』を描くようフラマン人ルーベンスに依頼した。
この24点の絵画は建築が終了したばかりのリュクサンブール宮殿の回廊を飾るためのものだった。その契約にはルーベンス自らがこの連作のすべてを描くと明記されていた。しかも、延べ300平方メートルにもなる絵画を3年以内に仕上げるという内容だった。
その制作方針は、マリー・ド・メディシスという歴史的人物の人生を、それまで多く見られた寓意劇や神話に仮託した物語で描くのではなく、説明的で叙事詩的な手法で語るという画期的なものだった。それぞれの場面で王妃の生涯に起こった出来事が描かれ、王妃は常に神々に守られた理想的な『ヒロイン』として描かれている。
当時ヨーロッパ中にその名を知られていたこの画家はここでバロック様式の技法を駆使してみせた。明晰な構図、奥行きのある空間、躍動感のある情景、透明絵具の重ね塗りによる洗練された色合いなどがそれであり、伝説にまでなったあの透明感のある肌色も生まれた。
(フランソワーズ・ベイル((株)エクシム・インターナショナル翻訳)『ルーヴル見学ガイド』Art Lys、2001年、58頁~59頁)
【語句】
L’Arrivée [女性名詞]到着(arrival)
Marseille マルセイユ(フランス南東部ブーシュデュローヌ Bouches-du-Rhône県の県庁所在地;地中海に面したフランス最大の港。フランス第2の都市)
※<注意>英語の綴りは最後にsをつける→Marseilles
reine [女性名詞]王妃(queen)
veuf →veuve[女性名詞]未亡人、寡婦(widow)
assassiné <assassiner暗殺する(assassinate)の過去分詞
fait <faire~する(do)の直説法現在
appel [男性名詞]呼ぶこと(call)、訴え、呼びかけ(appeal)
faire appel à... ~に訴える、すがる(appeal to)
<例文>L’historien doit aussi faire appel à l’archéologie.
歴史学者は考古学の力をも借りなければならない。
Flamand [男性名詞、女性名詞]フランドル人(Fleming)
Rubens ルーベンス(1577~1640)フランドルの画家
pour peindre 描く(paint)
(cf.)peindre à l’huile油彩で描く(paint in oils)
histoire [女性名詞]歴史(history)、来歴、物語(story)
illustre [形容詞]名高い、著名な(glorious, famous)
gestes [女性名詞]<複数>行動、行為(behavio[u]r)
héroïque [形容詞]英雄的な、勇ましい(heroic)
sa régence [女性名詞]摂政政治[の期間](regency)
tableau(x) [男性名詞]絵画(painting)
devront <devoir+不定法 ~しなければならない(owe)、~することになっている(be [supposed] to)の直説法単純未来
décorer (室内を)飾る(decorate)
une galerie [女性名詞]回廊(gallery)
palais [男性名詞]宮殿(palace)
Luxembourg [男性名詞]ルクセンブルク[大公国](Luxemburg)、リュクサンブール宮(フランス上院)[=le Palais du Luxembourg](英語:the Luxembourg Palace)
dont [代名詞]<関係代名詞>~前置詞deを含む関係代名詞 それについて、~の、その(of which)
la construction [女性名詞]建築、建設(construction)
vient de s’achever <venir de+不定法 (近接過去)~したばかりである(have just done)の直説法現在
<例文> Il vient de sortir. 彼は今出かけたばかりです(He has just gone out.)
s’achever 代名動詞 終わる、完成する(end)
Le contrat [男性名詞]契約(contract)
spécifie <spécifier明示する、指定する(specify)の直説法現在
Rubens doit <devoir+不定法 ~しなければならない(must, have to)の直説法現在
cet ensemble [男性名詞]全部(whole)、集合(set, group)
près de ~の近くに、およそ(close to, about)
carré [形容詞]正方形の、平方の(square)
mètre carré 平方メートル(square metre)
peinture [女性名詞]絵画(painting)
qu’il réalisera <réaliser成し遂げる、実現させる(achieve, realize)の直説法単純未来
en moins de ~[の期間]以内に(within)
Le projet [男性名詞]計画、企画(project)
est <êtreである(be)の直説法現在
original [形容詞]最初の、独創的な(original)
car [接続詞]というのは(for, because)
la vie [女性名詞]生命、人生(living, life)
est racontée <助動詞êtreの直説法現在+過去分詞(raconter)受動態の直説法現在
raconter 語る、物語る(tell, relate)
non plus..., mais... もはや~ではなく~である
<例文> Je porte non plus des lunettes, mais des lentilles de contact.
私はもうめがねではなく、コンタクトレンズを使っている
un jeu [男性名詞]遊び(play)、演技(playing)
allégorie [女性名詞]寓意、アレゴリー(allegory)
complexe [形容詞]複雑な、入り組んだ(complex)
récit [男性名詞]話、物語(story, recital)
mythologique [形容詞]神話の(mythologi[cal])
un mode [男性名詞]様式、方法(mode)
à la fois 一緒に(both)、同時に(at the same time)
<例文>Elle est à la fois aimable et distante. 彼女は愛想はいいが、冷たさもある。
narratif [形容詞]物語体の、語りの(narrative)
épique [形容詞]叙事詩的な(epic)
scène [女性名詞]場面(scene)
illustre <illustrer 挿絵を入れる、(実例で)明快に説明する(illustrate)の直説法現在
un événement [男性名詞]出来事、事件(event)
<注意>2番目のéは1979年以降 èと書く例も多くなっている。évènement
qui apparaît <apparaître現れる(appear)の直説法現在
une « héroïne » [女性名詞](物語の)女主人公、ヒロイン(heroine)
idéalisée <idéaliser理想化する、美化する(idealize)の過去分詞
protégée <protéger保護する、守る(protect)の過去分詞
dieu [男性名詞]神(god)
L’artiste [男性名詞、女性名詞]芸術家(artist)
célèbre [形容詞]有名な、名高い(famous, celebrated)
réunit <réunir 結びつける、一つのまとめる(join)の直説法現在
caractéristique [女性名詞]特質、特性(characteristic)、
[形容詞]特徴的な(typical, characteristic)
baroque [形容詞]バロック様式の(baroque)
composition [女性名詞]構成(composition)
clarté [女性名詞]明るさ(brightness)、明快さ(clarity)
profondeur [女性名詞]深さ、奥行き(depth)
dynamisme [男性名詞]活力、ダイナミズム(dynamism, drive)
coloris [男性名詞]色あい(colo[u]r)、彩色法(colo[u]r scheme)
raffiné (←raffinerの過去分詞)[形容詞]洗練された(refined)
obtenus <obtenir得る(obtain)の過去分詞
glacis (←glacerの過去分詞)[男性名詞]上塗り、<絵画>(色調)をやわらげるため地の絵の具の上に塗る)透明絵の具
(cf.) glacer冷やす、<陶芸>釉薬をかける、<絵画>(絵の具の表層に)透明な絵の具をうすく施す、グラッシをかける
superposé (←superposerの過去分詞)[形容詞]重ねられた(superposed)
qui donnent <donner与える(give)の直説法現在
carnation [女性名詞]肌の色(complexion, flesh tint)
transparence [女性名詞]透明(度)(transparency)
légendaire [形容詞]伝説の(legendary)
【Valérie Mettais, Votre visite du Louvre, Art Lysはこちらから】
Visiter le Louvre
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