3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。静岡は震度4
築11年のマンションは耐震性が強いらしく、弧を描くような揺れを感じる程度。
私は家で次職の専門書を読んで勉強中だったので、余震の中すぐに保育園へ迎えに行きました。
ちょっと興奮気味の園児たちが 「机の下に隠れたんだよ」 などと話してくれました。保育士さん、
気丈で立派です。あーちゃんも元気に ママと手を繋いで明るいうちに帰宅です。
( この地震で、3月12日に予定されていた東京・増上寺への卒園旅行は中止になりました。)
その後、テレビの報道を見てびっくり
地震もさることながら、津波って本当に怖い。
静岡市も清水に三保をもっていたり、まるちゃんで有名な巴川も危険なんだろうな・・と思いました。
都内に住む妹は、たまたま友人宅に乳児を連れていて。
交通機関が麻痺したので、ベビーカーを押して2時間かけて徒歩で自宅へ帰ったそうです。
マンションに着くと、エレベーターが止まっていて・・。41階にある自宅まで、800段の階段を赤ちゃんと
ベビーカーを抱えて上ったそうです。夜中に届いたメールには、「疲れた・・」と、書かれていました。
夜になって。東部に住む彼が仕事を終えて、私たちの様子を見に来てくれると言って・・・。
でも、東名も国道1号も津波に備えて不通。静岡は、中部と東部でくっきり寸断された状態でした。
そこで、富士山の山道の方から( 芝川町や両河内あたり )越えて遠回り・・。
通常なら1時間で着く我が家までの道のりを、片道5時間以上かけて、午前2時半に到着。
( 細い山道に東名を回避したトラックが集まっていて、大渋滞を起こしてたんだそうです )
ありがたかったです。
そして3月15日深夜22時。 こんどは富士宮を震度6強の地震が襲いました。
またまた静岡市は震度4
ちょうどその時、あーちゃんを寝かしつけながら彼と携帯で電話をしている最中で
「・・ おい、地震だっ
・・・すごい揺れてるぞっ
」
という彼の言葉を聞いてから3~5秒ほどして、こちらも揺れ始めました。
声を聞いてからだったので、あーちゃんをすぐ抱き上げ、携帯とお財布を手にとって玄関まで
出向くことができた。これまた、ありがたかったです。
東部は震源地に近いためによく揺れたみたいで、タンスが倒れそうだったとのこと。
その後、実家や父の携帯(docomo)・母の携帯(soft bank)に連絡しましたが、全て不通。
テレビやネットには繋がって、mixiやtwitterで友人の安否はすぐに知ることができました。
携帯はau同士だけ繋がるみたいで、落ち着くまで電話を繋げててもらいました。
生きてるうちに、東海地震・・・絶対くるなぁ・・・
※ 写真は、都内に住む妹から。都内のスーパーは物品不足でご覧の通りだそうです。