4月17日(つづき)
17時すぎ ・・・と、ダンナさんが言ってました。
手術室を出て、点滴や麻酔チューブに繋がれた私が 病室へベットごと運ばれてきました。
私の記憶では、「・・あっ ママだっっ」 と言う あーちゃんの高い声が そばで聴こえます。・・でも、どうにもダルく 目蓋も重く開かず、その声に答えられませんでした。
病室に入った私は、みるみる血圧が下がり・体温もどんどん下がっていったそうです。
体温計で測った値は 『30度』
母や あーちゃんの呼びかけに一切反応がなくなり 握ってくれた手に力は無く、唇は土色になっていきます。看護師さんが右往左往しながら、掛け布団やら電気毛布やら、ありとあらゆるモノを掛けて身体を温めたそうです。
ダンナさんは棒立ち。遅れて駆け付けた父は、「一体、どうなってるんだ」と看護師さんを責めます。
・・・実は私、4・5年前に下肢静脈瘤の手術を全身麻酔でした時も、同じようになりました。
どうやら アルコールもアレルギーで一滴も飲めない私。麻酔薬は強過ぎるようです。
しかし、それを知らない家族全員。 「この人は、これで死ぬんだ・・」と、息を飲んだと言います。
18:30頃 ようやく気がつきました。 私の中では、上記のドタバタの記憶はありません。
話せるようになった私を見て安心した父母& あーちゃんは、「赤ちゃんの顔見て帰るよ」 と 病室を出て行きました。 生まれたては、むくんでるネ
19時過ぎ~20時頃 再びウトウト。。。
暑さで目が覚める。 足には空気圧マッサージ器が巻かれ、背中には麻酔チューブ、腕には点滴。
身動きがとれず、ナースコールで 「暑いです」 と 看護師さんを呼びました。
熱を測ると8度9分
体温が下がってたなんて話、知らなかったので 「なんでこんなに温めるんだ」 と思いました。
21時過ぎ
どこが痛いのか判らないけど お腹から下に違和感を感じ、点滴に痛み止めを追加してもらいました。
そしてまた、ウトウト。。。
4月18日
1時過ぎ
左腹部の激痛で目覚める。
ナースコールで看護師さんを呼んで、座薬の痛み止めを入れてもらう。・・徐々に治まり、就寝。
3:30
「絶飲の期間が終わります。水分を取ってください」 と、看護師さんに起こされる。
4月16日の21時から絶飲食だったので、30時間半ぶりの水分。
あんなに欲していたモノなのに、飲めないもんです・・・。ちっともノドを通りませんでした。
5:30 起床
ベットに縛り付けられており何もできない。 けど、とりあえず天井を眺めながら過ごした。
9:30 歩行開始
ナースさんに抱えられ、どうにか起き上がる。
患部(?・・が、どこなのか判らなかったけど)が引き連れて、身体を起こすのも痛かった。
13:30 ようやく、ご対面
手術室では ロクに見えなかったので(メガネがナナメに掛けられたため) 初対面です。
初めての抱っこ。キンチョーしました
目を開けたのを見たとき、アーモンド型のぱっちり二重だったのに 驚きました。
・・・あーちゃんとは、違うんだなぁ・・・ やっぱり。
そんなこんなで。
私は自然分娩(1人目:あーちゃんの時)でも帝王切開(2人目の今回)でも壮絶な出産になるようで。
お産は、1回・1回がドラマだなぁ~・・ と思う次第デス。
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