みなさん、おはようございます。8日の成人の日の天気を心配していたんですが、昨日は成人式が各地で開催されたようですね。素晴らしい快晴で良かったです。昔は成人式は1月15日だったのですが、最近は融通が効くんですね。
いよいよ「西郷どん」が始まりますね。昨日のNHKは番宣替わりの企画がいっぱいでした。楽しみですね~ということで、今日は「西郷どん」でも重要な役割の西郷さんと大久保さんの生家跡を散歩です。鹿児島の方々は良くご存知の場所だと思いますが。両方とも甲突川の川沿いにあります。間に幕末の様子や明治維新を支えた英傑の様子を紹介した「維新ふるさと館」があります。二人共最後は非業の死となりましたが、明治維新に残した足跡は語るべくもないです。それぞれ銅像がありますが、西郷さんの方が大きな像ですね。鹿児島での扱いはそんな感じです。今日の番組では子供時代の西郷さんと大久保さんの子供時代の様子が紹介されるみたいです。まずは「西郷どん」を観てから、出かけてみたらいかがでしょう?
-鹿児島市加治屋町23番1号
みなさん、おはようございます。鹿児島散歩はとうとう365回ですよ~。って、ある意味しつこい、しかも大半の人にとっては別にどうでも良いことを、ただただ続けています。
現在鹿児島市を散歩中ですが、いよいよ明日「西郷どん」が始まります。楽しみにしている人が多いと思います。私もその一人、個人的に鈴木亮平さんを知っているわけではないですが、昨年のおはら祭りで本部席に座った鈴木さん、遠目でしたが性格の良さが出ていて応援しないとと思った次第。楽しみですね~その前に大河ドラマで大ヒットした「篤姫」像のある黎明館へ散歩します。黎明館の正式名称は「鹿児島県歴史資料センター黎明館」で、島津氏の居住であった鶴丸城跡に建っています。鹿児島大学にも縁のある場所で、明治34年には第七高等学校造士館が、昭和24年には鹿児島大学文理学部が発足、医学部が移転してくるなど現在地へ移転するまで活用されました。敷地内には七高生の碑なども建立されています。日展や二科展、南日美展などの美術展の開催場所としても活用されています。鶴丸城は消失してしまいましたが、現在、御楼門の復元を目指して工事が始まっています。広い敷地の一角には大河ドラマの「篤姫」の銅像が2010年に建立されました。10代の一時期を鶴丸城で過ごしたんですよね。文化勲章受章者で彫刻家の中村晋也さんが、篤姫40歳前後の写真を参考に制作されたもので、風格があります。黎明館内では、16日から企画展「大河ドラマと黎明館資料」が始まります。「西郷どん」観て黎明館にもお出かけください。
-鹿児島市城山町7番2号
みなさん、おはようございます。今日散歩するのは文化ゾーンの一角、鹿児島市立美術館です。特別展や常設展を観によく出かけます。立派な美術館です。ちょうど、明治維新カウントダウン事業の一つとして2月12日まで「さつま→かごしま~幕末、明治の郷土美術」をやっています。明治維新という近代化の波が、薩摩焼や薩摩切子などの工芸品や絵画等に与えた影響を探りますよ。
その市立美術館の外庭の片隅に可愛らしい石像があることをご存知ですか?タイトルに書いた「持明院さあ」、「じめさあ」と呼ばれています。島津家18代当主家久の正夫人「亀寿」さん、じめさあは,器量には恵まれなかったようですが、人柄が良く、周りから敬愛されていたそうです。そんな「じめさあ」を慕って、毎年命日の10月5日には鹿児島市の広報課の女性職員がじめさあをお参りしてお化粧をしています。ちょうど西郷隆盛の銅像の築山の裏手にあたります。市立美術館に行ったら美術鑑賞のついでにお立ち寄りください。今日で鹿児島散歩は364回、次回でちょうど1年になりますね。
-鹿児島市城山町4番36号
みなさん、おはようございます。今日は仕事始め、残念ながら外は曇っていますが、元気出して行きましょう。
さて、今日散歩するのは護国神社、昨日ご案内した護国神社頓宮が草牟田に遷座されました。もともとの由来は頓宮でご紹介したとおり、明治元年(1868年)、明治天皇から与えられた鳥羽・伏見の戦いの戦死者を祀るための金500両により創建された靖献霊社(いさたまれいしゃ)です。明治維新以降の国事に殉じた鹿児島県出身の殉死者や、殉職した自衛官、警察官、消防士等77,000柱余が祀られています。このような趣旨で全国の護国神社に先駆けて建立された護国神社『護國の神、平和繁栄の神』として、多くの方々が参拝しています。
-鹿児島市草牟田2丁目60-7
みなさん、おはようございます。今日は12月31日、2018年を迎える準備できましたか?
さて、新年を迎えるということで明日は初詣という方も多いと思います。我が家は実家に帰るので鹿屋で吾平山陵に初詣に出かける予定ですが、鹿児島市だと照国神社に行かれる方多いですよね。お馴染みの照国神社、あなたに紹介して貰わなくてもって言われそうです。照国通りから撮った写真を添付しています。かの島津斉彬を祭神としています。旧暦6月16日にある六月灯には現代っこたちも浴衣を着て多数参加、県内一の規模を誇ります。良く考えたら我が家はお正月は実家に帰っているので参拝には行かないけど、六月灯や妙円寺参りなどイベントで出かけた際の写真が多いです。ちなみにお正月は鹿児島散歩ができません。良いお正月を!
—鹿児島市照国町19-35
みなさん、おはようございます。いよいよ年も押し詰まってきましたね。スマホの調子が悪くなって電池はもたないし、なにかとHungしてしまうっていう家内のスマホのチェックをしに行ったAUショップで結局二人共携帯を買い換えるはめに。こんなんってなんて言うんでしょうね。「ミイラ取りがミイラ」?
さて今日散歩するのは、具体的な建物とかではなくゾーン、地帯?照国神社の前から黎明館の前までの国道10号線沿いに美術館や図書館、資料館など集中していて、かごしま文化ゾーンと名付けられているようです。国道10号線で交通量が多いですが鯉が泳ぎ、街路樹をわたる爽やかな風を受けると穏やかな気分になれます。一角には彫刻家の安藤照さんが1937年作成した西郷隆盛像があります。陸軍大将の正装で直立不動の姿勢で、上野の西郷さんとは違い威厳があります。道路向かいの宝山ホール側に自分の後ろに西郷さんを全景で入れられる撮影スポットが作られています。三脚を持っていなくても、カメラを乗せる三脚代わりの台もあるので、せっかく鹿児島に来られたら立ち寄られたら良いですね。
—鹿児島市城山町
みなさん、おはようございます。夜中3時、寒いですね~エアコンつけてはいますが、それでもなんかスースーします。
さて、本日散歩するのは座禅石。県民交流センターの10号線側の交差点から城山トンネルをくぐって城山団地へ向かって進むと左手に西郷隆盛の座禅石の案内看板が出てきます。西郷隆盛や大久保利通が青年時代、座禅をくみ修養をつんだという座禅石が残っています。
座禅石は現在の国道3号線沿いの誓光寺の庭にあったものだそうですが、なぜここに置かれているか不明です。駐車スペースとかないので、出かけられる際にはご注意を。1977年、鹿児島市の記念物(史跡)に指定されています。
-城山1丁目(座禅石公園内)
みなさん、おはようございます。今日で2017年の仕事納めです。FBは31日まで続きます。(わざわざ言わんでもいいですね)さて、本日ご案内しますのは鹿児島県立博物館です。鹿児島市の中心部城山の鶴丸城址付近は現在「かごしま文化ゾーン」となっており、
西郷隆盛の銅像、鹿児島県歴史資料センター黎明館、鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館などがあります。展示物には鹿児島固有の動植物などもあり大人が行ってもちょっと楽しい。子供が行くと勉強になるかもです。歴史のある建物です。
-鹿児島市城山町1-1
みなさん、おはようございます。毎日寒いですね~昨日は学食が休みだったので、学外に出て食堂を探しましたが、ふだんどんなに楽しているか分かりました。学食さん、ありがとう。今日も学食は休み。探索の旅は進む(笑)
さて、今日散歩するのは、黎明館の角の交差点を城山方面に曲がったすぐのとこにある「薩摩義士碑」です。薩摩義士ってご存知ですかね?薩摩義士は、江戸時代、総奉行の平田靱負の監督の監督のもと、美濃国の揖斐川、長良川および木曽川の3川の治水難工事にあたった薩摩藩の人々を指します。薩摩藩は数十万両もの莫大な経費を負担した上、幕府側の妨害工作などで多数の犠牲者を出しました。平田靱負は工事完遂を見届けた後、責任を取る形で切腹しました。1938年(昭和13年)には、平田靱負ら85名の「薩摩義士」を、「祭神」として岐阜県の海津市に『治水神社』が建立され、岐阜県と鹿児島県の交流が続いています。愛知県、岐阜県、三重県のみなさんが「頌徳慰霊祭」に来られたら案内できるよう薩摩義士の偉勲と場所を覚えておきたいですね
-鹿児島市城山町
みなさん、おはようございます。今日も天気は良さそうです。北海道は爆弾低気圧が荒れまくっていますね。瞬間最大風速が40mというと台風と変わりません。台風みたいに去っていくということもないし、大変です。気をつけてお過ごし下さい。知り合いの女の子は旭川に住んでいたけど、今は岩手、岩手の方がましなのかな?良く分からないけど気をつけて!
さて、今日の散歩先は石垣。Why?って言われそう。県民交流センターから城山に向かう10号線の交差点の北西角に鹿児島医療センターがありますが、明治維新の頃、西郷隆盛以下の賞典禄を運営費に賞典学校としてつくられた私学校跡です。 明治政府に対して反政府の気運が高まった過激な学生たちの暴発で、西南戦争が始まってしまいました。 襲撃の話を、聞いた西郷は「おはんら、何たることをしでかしたか」と言われたようですが、結局学生達に押され、貴重で有用な人材が多数鹿児島から失われる事になってしまいました。 今でも、石垣には西南戦争当時の銃弾痕が残っています。
-鹿児島市城山町8番
みなさん、おはようございます。昨日はクリスマス・イブでした。キリスト教徒ではないですが、なんとなく華やいだ気持ちになって~といってもケーキを食べただけでしたが。
今日はクリスマス、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭の日です。敬虔な気持ちを持って一日を過ごしたいと思います。
さて、今朝散歩するのは中央埠頭、ドルフィンポートや離島航路がありますが、広い敷地がある事からいろんなイベントも開催されます。最近は毎年、鹿児島ラーメン王決定戦が開催されていますが、花火大会と大ハンヤの模様などをアップしました。NHKの鹿児島支局もあります。屋上まで上れます。この辺りでは一番高いので見晴らしがいいですよ。ドルフィンポート側を見た写真をつけています。
-鹿児島市本港新町3-1
みなさん、おはようございます。今日はクリスマス・イブなんかそんな感じはあまりないですが、毎日日は進む。そもそもキリスト教徒ではないし、クリスマスって言ってもピンと来ないです。今日は天気が悪いようですが、せっかくのクリスマス・イブで休み、元気で良い一日にしましょう。さて、鹿児島散歩は307回から鹿児島市を散歩しています。鹿児島市に住んでいるのでさすがに回数も増えています。鹿児島市在の方には目新しくないでしょうが、鹿児島に縁のある方、帰って来られたり、遊びに来られた際の参考に。今日散歩するのは「いおワールド」鹿児島弁をご存知の方なら「いお」が「魚」ってお分かりですね。 写真にある黒潮大水槽、のんびり壁際に座って水槽内で泳ぐ魚たちを見ているとストレス解消できますよ。「いおワールド」はイルカの屋外展示もしています。餌をあげる際こんなシーンも見物できます。屋外は無料です。シイラやウミガメもいます。春先まではマンボウもいたりします。右下の写真は「アクアリアムディナー」黒潮大水槽の前でディナーなんて優雅な時間がとれたりするんですが、今年はその企画はなさそうです。
-鹿児島市本港新町3-1
みなさん、おはようございます。今日も晴れの予報が出ています。毎日寒い日が続いてはいますが、天気が良いと気分がいいですね~気温も今日は16度くらいまで上がるようです。さて、今朝散歩するのは、多賀山公園です。市内から向かった場合は昨日の散歩先のザビエル公園などがある祇園之洲に上り口があります。 多賀山公園は花見スポットでもあるので、花見でお出かけになった方もいらっしゃると思います。多賀山のてっぺん、細い急な階段を昇ると東郷平八郎元帥像に会えます。日露戦争で、当時、世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、大勝利をおさめました。アジアの小さな国だった日本が、大国ロシアの艦隊を負かしたことは、世界中を驚かせるに十分なことで、当時ロシアの政策に困っていたトルコやギリシャなどでは、「東郷ありがとう!」と讃えられて、子供に「トーゴー」の名付けるのが流行ったそうですから、大したものです。米国海軍のジョン・ポール・ジョーンズ、英国海軍のホレーショ・ネルソンとともに、世界三大提督の一人として讃えられています。元帥は国葬により東京の多磨墓地に埋葬されていますが、多賀山には元帥の遺髪が葬られ、銅像が建てられました。鹿児島港に入る艦船から真正面に見える位置にあります。元帥を海軍に進ませた薩英戦争の史跡、砲台跡を真下に見る事ができるこの地は元帥を祀るには最適な場所と思います。
—鹿児島市清水町32
みなさん、おはようございます。BSプレミアムでちょうど(午前4時~午後5時)「美しき日本の山々」で開聞岳を紹介していたので、ご案内しようと思っていたら、次の山に移ってしまいました。残念><開聞岳は美しい山ですよね。
さて、今日散歩するのは、多賀山公園の近く祇園之洲にある「ザビエル上陸記念碑」とそのすぐ近くにある「われは海の子碑」です。東アジアへの伝道をめざしてリスボンを出航し、インド、マラッカなどを経て1549年、マラッカで一行に加わった鹿児島出身のパウロ・ヤジローの案内で鹿児島の稲荷川河口に上陸しました。島津貴久公の歓迎を受け、布教の許可を受け布教に努めましたが、仏教徒の反対にあって、10ヶ月で平戸へ移っていきました。一方の「われは海の子碑」はあの有名な「われは海の子 白浪の さわぐいそべの松原に ♫」の記念碑です。明治41年、文部省が新体詩の懸賞募集をしました。新体詩は、明治後期に口語自由詩が現れる前の七五調の文語定型詩でこの懸賞に小樽新聞記者の宮原晃一郎さんの「海の子」が応募、佳作当選しました。翌年、著作権が国に譲渡され、「小学六年国語」に採用され、更に小学唱歌にも登場しましたが、何れも「我は海の子」と改題されました。文部省からの手紙をご遺族が大切に保管されていたことから、宮原さんが作詞者だと判明したのです。宮原さんは明治15年、鹿児島市加治屋町で県庁のお役人の長男として生まれています。あの有名な歌は子供時代を過ごした鹿児島の海を歌っていると信じたいですね。砂浜はないですが、すぐ近くの海岸から桜島が間近に見えています。
—鹿児島市祇園之洲町