城山から西郷さん終焉の地を通り、下りてくると鶴丸城跡である黎明館がありますが、北隣に薩摩義士碑があります。
宝暦3年(1753年)、徳川幕府は薩摩藩に木曽川・揖斐川・長良川(岐阜県)の改修工事を命じますが、外様の薩摩藩が力を持たないよう負担を増やすための政策だった為、大変な難工事となりました。1000人もの動員と工費40万両を費やした末、1年3カ月かけて完成しましたが、幕吏の嫌がらせなどで藩士88人の犠牲者をだしてしまいます。この責任をとって治水総奉行で薩摩藩家老の平田靱負公は自刃しますが、平田公の碑を頂上に、将棋の駒を並べたような形となっています。