横須賀市の曹源寺にある星田光代女史の墓所

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自分の命を救おうとするものは、それを失い、
それを失うものは、保つのである。
「ルカによる福音書」 / 17章 33節
新約聖書 口語訳
人間も世界平和も、家庭を通して初めて完成するものです。
そして、
すべての人間を善なる人間にし、
理想的な平和世界をつくっていくことが宗教の目的です。
平和は政治家が額を集めて相談したからといって
できるものではありませんし、
強大な軍事力があるから平和になるともいえません。
世界平和が訪れてくる出発点は、
政治でも軍事でもなく家庭です。

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★米女性宣教師と軍人、交流の軌跡
: 神奈川 : 地域 :
◆ YOMIURI ONLINE(読売新聞)
2013年10月19日
明治から大正にかけ、横須賀市にあった海軍機関学校の生徒ら若い軍人に「マザー」と慕われた米国生まれの女性宣教師がいた。日本に帰化して星田光代と名乗ったエステラ・フィンチ(1869~1924年)で、写真や教会の来訪者名簿などの資料が、同校の伝統を引き継ぐ海上自衛隊第2術科学校に寄贈され、校内に展示コーナーが設置された。20日から一般公開される。
フィンチの遺品を保管する同市大津町の海野幹郎(77)、涼子(75)夫妻から100点余りが寄贈された。涼子さんの祖父は、フィンチとともに1899年(明治32年)、軍人に伝道するための教会「陸海軍人伝道義会」を横須賀市に設立した牧師の黒田惟信(これのぶ)。幹郎さんは海上幕僚監部技術部長を務めた元海将補という縁もあり、第2術科学校への寄贈を決めた。
コーナーには、フィンチが「ボーイズ」と呼んでかわいがった生徒たちと一緒に写った写真、教会の来訪者名簿など数十点を陳列。名簿には大将から水兵、一般市民まで様々な名前が記述され、交流の広さを物語っている。伝道義会の日誌からは、信者以外の軍人もフィンチを尊敬し、フィンチも分け隔てなく自宅に招いたり、手紙で励ましたりしていたことが分かる。
フィンチは米ウィスコンシン州生まれ。1909年(同42年)に帰化し、星田光代と改名した。日本の歴史や書、和歌に親しみ、宣教師嫌いで有名だったキリスト教思想家・内村鑑三とも深い交流があり、内村が「星田のおばさん」と敬慕の念を込めて言うほどだった。フィンチは24年、黒田も35年に死去し、翌36年に伝道義会は解散したが、黒田が29年に発表した統計によると、30年間で1万人、延べ19万人が伝道義会を訪れ、約1000人の軍人が入信したという。
海野さん夫妻は「立派なコーナーを作っていただき感謝している」と述べ、第2術科学校長の下薗輝昭海将補は「機関学校の歴史の一端を知るきっかけになれば」と話している。
見学は予約が必要。問い合わせは同校総務課(046・822・3500、内線6112)。
(読売新聞 2013年10月19日)

▲星田光代の肖像画
(米国名)エステラ・フィンチ Estella Finch (1869 - 1924)
米国の超教派婦人宣教師。