「呼ばれる」と言う現象があるようです。
鞍馬寺の前にいた寅さん
「どこどこに呼ばれて行ってきた」」
などと言っている人をたまに見かけます。
鞍馬寺の前にいた寅さん
「呼ばれる」「呼ばれない』の明確な基準は私もよくわかりませんが。
ただ、唐突に「猛烈に行きたくなる」現象はたまにあります。
私の場合、呼ばれているのかなんなのかわかりませんが。
でも、潜在意識からの指令であり、その奥に集合的無意識があるし、シンクロが強く起きるので、呼ばれているのかもしれない時思ったりします。
どっちやねん(笑)
例えば今回の愛宕山(神社)とか。
(調べたら、今回の旅で唯一結界感がないと思っていたのに。東京じゃないけど、「愛宕山」ってめちゃくちゃ修験者の山でした笑)
全く意識に行きたいーなどと一度ものぼっことがないのに。
(行きたいリストが実際にある)
なぜ、たくさんあるリストの場所より前に愛宕山や増上寺に行くのだ!と自分でも思うんです。
三峯神社はリストにあったからいいんだけど、不思議ーと。
行きたいリストにある場所から行けばいいのにね(笑)
まあ、だからこそ、呼ばれるって何?と突然気になったんだと思います。
そして私にとって「呼ばれたかもしれない」と初めて感じたのは2005年に行った鞍馬山でした。
↓私のホームページで紹介している鞍馬レポート
当時の私はまだ自宅軟禁中で(笑)
1人で京都に行くなんてとても考えられなくて。
それは当時の私にとって、おとぎ話のような世界だと思っていた時期があります。
鞍馬山に登りたいなんて言っても、絶対に許可はおりない。おりるわけがない。
夫と一緒ならギリ行けなくもないけど、間違っても5月の鞍馬山に登るなんてありえない(笑)
DVの人の1つの特徴で、「自由にどこかに1人で行かせない」がありまして。
なので、
「明日友達とランチ行ってくるからー」
などといった一般的な夫婦の会話と思われるものも、私には全く持ってありえないことでした。
そもそも機嫌の良さそうにな時に意を決してそう伝えても
「ダメだ」
以上!
となります。
なんでダメなの?
とか、
どうしてもいかなきゃ行けない理由がてんてんてん。
などど続けようものなら。
その次の瞬間に私は、床に叩きつけられているか、壁に激突しています。
そんなことを繰り返すと、柵の中の羊よろしく、「行きたい」と思ったとしても、フッと微笑んで、なんてねとうそぶいて、願いを口にするとかもなく。
せいぜい日記に
「いつかどこどこに行きたいなぁ」
と書いて終わる。
(知らずに潜在意識にアプローチしている昔の私笑)
仕事していたんなら、自由になったのでは?と思うでしょ(笑)
朝は夫が家を出る8時までは家にいて。
彼が出かけてから、私と子どもが保育園に行くまでの10分の間に、夫から禁止されていたインターネットに繋いでメールをチェックし、返事を速攻で書き送る。
掲示板の書き込みを読む。
で、タイムリミット。
夜は5時まで仕事。
保育園は6時までにお迎えだったので(当時はね)走って迎えに行く。
なんなら私より先に元夫は帰っている。
「なんで遅かった?どこかに寄ってきたのか?」と言われて、ぎよえ!となる(笑)
仕事をずる休みでもしない限りは、自由になれません。
本当に自由だなぁと思うのは、彼が釣りに出かけている日曜日など。
けれど、何かのはずみで勝手に外出したことがバレると、とんでもない目に合わされるので。
結局許されている子どもと公園に散歩や、近所の図書館に行く位が、私の外出できる自由な外出でした。
お買い物に行きたくても、お金の管理も全部彼がしていましたから。
自由になるお金もそもそもありませんでした。
京都に行きたいと高校時代からずっと思っていて、働くようになったら1人で旅行に行くと当然のように思っていたのに。
就職してわずか1年ちょっとで結婚して子供を産んでそのまま家に閉じ込められて。
思い出したら息が苦しくなる(過呼吸的な)
まだトラウマ消えてないんす(苦笑)
それでも自分が何かを書いたり、誰かに伝えるために文章を発表したいと言う思いを何とか形にしようと、インターネットでコツコツホームページを出し始めたわけで。
インターネットで、わずかですが、日本全国のいろんなところにいる人たちと「掲示板」という場所を通してお話をすることができるようになっていました。
私はそこで掲示板に来てくれた人の夢を解析したりする(仕事ではなくて)ようなことをしていました。
2001年の、911が起きることになる朝、私は突然スピリチュアルなことを表に出していこうと決意しで発表しました。
その夜に911が起き,自分の決意は正しかったと感じました。
そのうちその掲示板では、スピ系のことが好きな人や、神社仏閣(当時はパワースポットなんて言葉もありませんでした)が好きな人たちが集まるようになっていました。
そんなある5月の事、私は不思議な夢を見たのです。
「神様がやってくるから片付けなければいけない!」と、天狗というかちょっと不思議な衣装を着た、お面をかぶった人が走り回っていたのです。
そのことを掲示板で伝えると、関西の方が言いました。
「それは鞍馬山の天狗様かもしれない。
なぜなら、今夜、鞍馬山のお祭りがあるから」
鞍馬山と言えば、鞍馬天狗がいて、義経が修行したところ。
だけど、そもそもどこにあるのかもふわっとしか知りませんでした。
なんなら奥州にあるんだっけ?くらいのレベル。
そしてネットで調べて鞍馬山の神秘性やその満月のお祭りのことを知り、めちゃくちゃ行きたい!と思いました。
「夢を見て鞍馬山じゃないかと言われ行きたくなる」
これを「呼ばれている」と表現するのであれば、多分そういうことなんだろうと思います。
まぁ呼ぶ呼ばないにかかわらず、単純に行きたかったんですけどね。
ですが、自分が山に登るなんて、当時の私にしたら、おとぎ話とか、1人で宇宙旅行に行っちゃう位のレベルにあり、最初から諦めていました。
ですが、その翌年の5月に、横浜から潜在意識のマスターたちが私に会いにやってきて、一方的に潜在意識のことをレクチャーして帰りました。
まぁいきさつはいろいろ話しているので、横に置くとして。
その時に私が叶えたい願いとして伝えたのは
「京都に行く」と言うことです。
その時にマスターに言われたことを実行しました。
そしてそれからさらに丸二年。
(ガッチガチでしたから、2年かかったんだと思うけど、2年諦めずに続けたら,実現したのです!)
やっぱり5月に私は仕事で京都に行けたのです!
今でも覚えている。
一人で飛行機に乗り、下に雲を見た時,涙が溢れてしまって、飲み物を持ってきCAさんに驚かれたことを(そりゃそうだ。滂沱の涙流していたんだから笑)
その年は時間がなくて鞍馬山に登れなかったのですが、「京都に行くこと」はできました。
そひてその翌年のやはり5月に、とうとう鞍馬山に登りました。
ていうか、5月って私のホロスコープで運気が上がる時期なんだけど,ほんとびっくり笑
偶然その年に、大河ドラマで「義経」が放送されており。
鞍馬山は、義経がいた舞台ということで、割と賑わっていました。
あれから20年が経ちます。
あの当時、私がホームページで書いた「鞍馬山レポートやは、当時あまりパワースポットを紹介しているサイトがなかったため、たくさんの人がプリントアウトをしてその通りに登ってくれたとメールで感想を送ってくれていました。
パワースポットを紹介することに楽しさを覚えたのはその時です。
誰かが私のレポートを読んでその通りに登って、実際に楽しかったと言ってくれる。
信じられない位素敵なことだと思いました。
そして、どうやら20年ぶりに登ることになりそうです(笑)