これは、短編小説になっています。
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祈りの朝にその2
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前世療法を受けてから数年がたった。
私は再び人生の迷子になっていて、なぜ自分がこういう環境にいるのかの意味を今の人生に見いだせない気がしていた。もしかしたら前世にヒントがあるかもしれない考えた私は、ふたたび前世療法を受けてみたいと強く思った。
再び前世療法を受けにセラピストのもとへ足を運んだ。今置かれている苦しい環境の原因を探るために受けた前世療法で、かつてペルシャという場所でジプシーとして生きた女性の人生を見た。
彼女は女性として生まれたが、争いにまきこまれて親を失い、ジプシーに拾われた。彼女が属していたジプシーの一団は女性ばかりが集まっていた。わざわざ女性を集めたわけではなく、女性が虐げられる世界の中で、自然に集まった結果が女性ばかりだったのだ。
今の人生における私の母親はそこの団長で、わたしは彼女とは血のつながりのない、砂漠で拾われて育った若い踊り子だった。
当時の私は、ジプシーとして旅をしているにも関わらず、行く先々で暮らす人々が通う教会に行きたいと願う少女だった。
ジプシーの集団の中で宗教心が育ったわけではなさそうだったので、旅の途中で見かけて興味を持ったのか、捨てられる前に住んでいた家の記憶なのかはわからない。でもそこに行けば心が平安でいられると感じていた。
けれど団長は、あのような場所に神はいないとわたしの意見を否定し続けた。私はどうしても神様と対話がしたくて、ある日こっそりと団を抜け出し、どこかの町のとある教会に赴いた。
私は神様にやっと会えると喜び一杯の思いで訪れた教会の扉を開いた。しかしそこに待っていたのは、慈愛に満ちた神様や女神のような人々ではなかった。神様の教えを実践しているはずの、ジプシーよりもすばらしい人種だとわたしが感じていた町の人々は、わたしの姿を見ると石を投げ、けがらわしいから教会に近付くなと足蹴にしたのだ。
異教徒であることは、彼らにとってみれば、悪魔と同じ忌み嫌うものであったことなど知らなかった私は、なぜそのような目に合うのかわからないまま、そこに集う人々に暴力を振るわれ地面に倒れこんでしまった。
結局わたしはその教会に入れてもらえないまま、いわれなき虐待を受けて、ぼろぼろの状態で団に戻った。
団長は私が自分のいいつけを破って抜け出したことには何も言わず、ただ、教会に神様なんていなかっただろう?とだけ言った。
わたしはうなだれるしかなかった。
神様はほんとうにいるのに。
神様の声はほんとうに聞こえるのに。
私は時々神様の声を聞いていた。そのためもっとたくさんの声を聞きたかったし、神様の教えを知りたかっただけなのに。
あの美しい教会の中には神様のことを教えてくださる立派な人たちがいるはずだったのに。
そこにいたのは突然やってきた初対面である私に対して強い憎悪の目を向けて平気で暴力をふるえるような人たちだった。
神様の教えを聞き、しっかり実践しているはずの人格者たちが、なぜこのようないわれなき暴力をわたしに振るうのか?
神様の愛を理解しているはずの人たちが、神様のことなんて考えたこともないジプシーの団の人たちより、ずっとずっと愛のない行動をとることが理解できなかった。
失意の中で過ごしていた私は、仲間たちの看病のもと、やがてけがが治り、元気を取り戻した。そしてある日、仲間たちが奏でる音楽にあわせ、再び裸足で草原に出ると、太陽の下で踊り始めた。
くるくるくるくる。
私は踊る。
仲間たちは笑い、そして歌った。
手を取り合い笑いあう愉快な時間。まばゆいばかりの光が私たちに降り注ぐその一瞬は、私にとって教会の中にいるよりよほど神様を感じられる瞬間のように思えた。
そのとき、わたしは突然理解したのだ。
神さまは教会の中だけじゃなく、この自然の中にもいる。
ジプシーの団のひとたちが笑うこの場所にもいる!
わざわざ教会に行かなくても、わたしには神様の声を聞き、その存在を感じることはできるのだ!
それは、知識や言葉じゃなくて感覚だった。
ただ完全に理解したのだ。
世界のどんな人たちとだって、どんな場所にいたって、世界は、自然は、太陽は、わたしたちが生きているフィールドは、世界中どこでも同じなのだから。
すべては自然の中に、光の中にあるんだ。
神の輝きは、誰にでも平等に降り注がれているんだ。
そんなことを、言葉じゃなく体験で理解したことを思い出した。
前世療法でそんな体験をしたあと、私は自分に自信が持てるようになれた気がした。
幼いときから心の中での対話のなかで聞こえてくるメッセージを実践してきて、その一端を人に伝えたいと思っていた。
しかし、ありのままを伝えると、たいてい頭がおかしいとか、気持ち悪がられてしまった。
なので見えているとは伝えずに、うしろの方が伝えたがっている内容を言葉にして伝えると、偉そうにするなと叱られた。
この声に従いたいのに、どうすれば伝えられるのかわからず、拒絶されることに恐怖を抱いていた。
私はこのメッセージを伝えるために生まれたのだ。
そう納得できたから、そこで終わるのかと思っていた。
しかし、現状を招いた前世はどうやらそれだけではなかったようで、もう一つの記憶が蘇ってきた。
わたしは当時、DV気味の夫と暮らしていて自分の自由な時間をほとんど持てず、とにかく自分の生き方をしたかった。
自立して、こどもをひとりでも育てられる経済力を持ち、リコンしてもしなくても、どっちでもいい。という環境に早くなりたかった。
そして、何より、自分の人生を歩いていると強く実感したかったのだ。
それがいつからはじまるのか?
それとも一生ここから抜け出せないのか。
その答えだけはどうしても知りたかった。
わたしがほんとうにしたかったことができるようになるのはいつ?
その問いかけに答えてくれたのは、思い掛けない存在だった。
その3へ続く
その3
その1
その2
その3
その4
その5
2011年4月18日
満月の朝にて
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