昨日は、京都で3年ぶりに行われた五山送り火が、生中継されていまして。
古墳から京都の山を望む
たまたま見たら放送が始まっていたので、そのまま観ました。
実際にどうされているのかイメージできていなかったのですが。
保存会の方々がかなり前から準備をされている様子なども放送され、当日の大変な作業内容も知ることができました。
山によって松明の数とか、火をつける順番などが違うとか。
走り火と言って、鳥居の形の山は、実際松明を持って(20キロくらいあるとのこと)
それを、下の人に見えるように、炎をこちら側に見せながら、45度もある斜面を走って運んでいるとか。
しかも一人が何回も運び、すでに地面に刺してある炎のそばを通るときには、腰をかがめて炎に影響ないように走るとか。
皆様、素晴らしい!と思いました。
昨日は時間になっても雨が上がらず、雨が上がるのを待って、ようやく本当に美しい炎を浮かび上がらせていました。
何故かわからないですが、やがて炎が消えていくのを見ながら、涙が出てきました。
ほんと、なぜなのでしょう笑笑
お盆で戻ってきたご先祖様を送るための送り火。
準備をしていた10代の男の子がインタビューを受けていて、去年の10月に亡くなったおばあちゃんが見てくれると言った時、本当にそういうことなんだなぁと思いました。
霊的なことをどう防げるのかと、たまに相談されるのですが。
いつも私は、こう伝えているのです。
住んでいる世界が今が違っているだけで、もともと同じように、この世界で生きていた方々なんです、と。
だからちゃんと話せば通じるんです。
亡くなった人たちは、みんなかつて誰かの家族でした。
その家族や大切な人たちが、お盆で戻って来た懐かしい人たちを、また静かに見送る美しい行事。
このように実際に現地に行かなくても、生中継で見ることができてなんて!
良い世の中なのかなと思うし、いつか実際にみたいなと思いました。
もしもコロナで良かったことがあるとすれば、こうした伝統行事が途切れてしまうことの意味を、それぞれが考えられたことなのかなと。
1回だけではなくて2回もできなかったこと。
そして3年ぶりにその行事を実行できたこと。
当たり前じゃない。
毎回毎回できることが感謝なんだ。
そういうことを実感させてもらった日々だったのかなと思います。
うまく言えないけれど、あの送り火を見ながら、この3年間がこれで1つの区切りがついたような気がしたのです。
ようやく日常が戻ってくる。
そんな気持ちにさせる美しい炎でした^ ^