昨日は小学校の用事がありまして。
いろんなお母さんたちとお話しをしていて、娘が生まれた時の感動を思い出しました。
そもそも私は、16歳のとき、卵巣嚢腫がみつかり、それが悪化していて手術して、ほとんど摘出してしまったという病歴があります。
お医者さんが言うにはへたすれば生まれつきあったかもしれないとのことで。
当時はまだたった16歳。
素敵な恋をしてケッコンして、こどもを生んで、こどもが帰ってきたらマドレーヌを焼いて、ともだちと遊ぶ姿をうっとりながめて過ごしたいと思っていた私は奈落の底に落ちた気分でした。
なぜわたしがこんな目に合わなくてはならないの??
と屋上で何度も泣いて。
でもお医者さんは言ったのです。
ほんとうなら全部摘出しなきゃいけなかったのをとりあえず一部残した。
(片方は全部摘出した)
それがうまく機能すればこどもは生めるかも知れない。
でも、その一部が機能しなければ100%うめない(というか妊娠しない)
そもそも全部取らなきゃいけないのを残したから、腫瘍が二度と悪さをしないとは言い切れず、またできたら今度こそ全部摘出。
そのため、24時間点滴打ちっぱなしなあげくに、吐き気がしちゃうという超強い薬をうち、それは1回じゃだめで最低3回打たなきゃいけない。
その薬はきついので次に打つまでに最低3週間あけなきゃいけないと。
その結果、高校2年の華やかな夏を私は3カ月病室で過ごしたのです。
テニス部では、辛い時期を超え、3年生が引退して、やっとこれから私たち2年生の天下だ!毎日コートでいっぱい打てる!
最高に青春しようとなるはずだった高校2年の夏の日。
全部病室で過した。
しかも、薬の副作用のため、歩きまわることさえ禁止。
そんな夏。
泣いても泣いても悲しみが消えない日々。
ところがある日、小雨が降る中泣いていて、唐突に晴れてしまった時、太陽が出てきて、ああ、気持ちいいと思ってしまったのです。
その瞬間、太陽に言われました。
「ほんとうに和恵に子どもを産ませる予定なかったら全部摘出しないといけなくなっていた。残ったということは、生めるということだ。
失ったほうを見て嘆いて生きることを選ぶのか。
残ったほうを見て、よかったと感謝して生きることを選ぶのか」
そのとき私は確信したのです。
私は生める。だって、一部残っているのだから!
その日から、出来事には視点があって、どちらを選ぶかで未来が変わる。
すくなくても、今の気持ちは自分で変えられると知ったのです。
大きな代償だったかもしれないけれど、私は悲しい経験をしたから、大きな光を見出すことができたのです。
そして私はその後大人になり、こどもを授かったのです。
でもそれも順風満帆だったわけじゃない。
実はママ友さんに、普通母さんは娘にむかつくって人多いよね、と言われ、娘にむかつくことなんて考えらなくて、それはやはり、授からなかったかもしれないという絶望を乗り越えて授かったものだから、ただただいてくれることに感謝しか出てこないからなのかもしれないと思い出したのでした(*^^*)
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