出雲神話を巡る旅その3〜2023年5月22日
今回の旅で1番行きたかったのは島根県東端にある美保神社。
【美保神社】
・ 美保神社(恵比寿様の総本社)
・ 美保関と青石畳通り
【出雲国意宇六社ほか】
・ 意宇杜~天平路(客の森)
・ 出雲國総社 六所神社
・ 出雲国府(国庁)跡
・ 出雲國一宮 熊野大社レポート
・ 恋愛運を占える八重垣神社
・ 神魂神社(大庭の大宮)
【遺跡とカフェ】
・ 島根県立八雲立つ風土記の丘
・ 岡田山古墳(1号墳・2号墳)
・ 松江カフェその2~waterworks
片方だけ行くことを「方参り」と呼んでいて、この二つの神社の両方に行って初めて満願成就となるようです。
来たかった理由はそれだけではなくて。
出雲風土記にはしっかり登場しているにもかかわらず、その存在を隠されてしまったミホススミの命
美保神社の末社の地主社に祀られるミホススミ。
ちなみにこの下には、縄文のストーンサークルがあるのです。
もう、太古の神でしょ!
ミホススミが、美保神社のもともとの主祭神で。
なぜ国津神(出雲系)ミホススミの命ではなく、天津神(アマテラス系)の三穂津姫が主祭神に?
どういうこと?と思いました。
美保の名の由来は、このミホツツミであると、「はっきり」出雲風土記に書いてあるのに。
YouTubeやブログでは、現在祭られている、天津神(真逆なのに)の三穂津姫が由来と紹介しているところ結構あって。
うん。わかるけど。
出雲風土記を知らないと、そう思うのかもしれないけど。
スピ系好きならもっと調べてほしいな。
とにかく美保神社はかなり奥が深いので、どうしても来たかった。
これは美保神社のところで、前後編に分けてたっぷり語ろうと思います。
物語になりそう(笑)
美保神社までの道のりはかなり遠くて。
ここに来ることを選ぶということは、
・江原さんが日本でいちばんのパワスポと言った須佐神社
・素戔嗚尊が清々しいからここに住もうと決め、実際に二人で住み始めた場所にある須我神社
そんな人気スポットを差し置いて、絶対絶対行きたいと思ったのがこの美保神社。
なんと、Wさんがわざわざ有給をとってくださり、もう1日付き合ってくれることに!
前回の京都でも、旦那さんの仕事を休ませて車を出して回ってくれた魂の家族Yちゃん。
二人とも2001年ごろからネットで知り合い、かれこれ20年以上ずっと色々とお付き合いくださっている魂の家族のような存在。
ほんとうに感謝です。
神様ありがとうございます。
そして、こうしてWさんと2日一緒に過ごして、なんだか大昔から一緒にいたような気になる。
車内で私が京都で陰陽師をしていた前世の話になり、
「自分もそういう仕事がしたい、というかきっとしていた。そしてその時一緒にいて、何か手伝っていたかもしれない」とWさん。
一緒にいたわ!
となる私(笑)
そうだったらすごく楽しいし、またあえて嬉しい(*^_^*)
美保の港はとても良港で。
遥か昔から、越の国、つまり今回大きな地震があった能登半島や大陸なととも船で交流がありました。
縄文時代から人々は陸ではなく船で移動していたので、港のある場所は栄ていたのです。
ここも大変栄えていて、小樽にもやってきていた北前船が停泊する港でもありました。
↓小樽龍徳寺所有の日本遺産でもある、北前舩の船絵馬
※龍徳寺さんに許可を頂いて撮影したもの※
北前船とは、出雲や大阪や加賀などから出発し、たくさんの荷物を積んでは次の港に向かい、そこの港で荷物を売りその土地で新しい荷物を仕入れてはまた次の港で売る、を繰り返す。
いわば動くデパート。
一回の航海で、今のお金で1億円位の売り上げがあったと言われます。
1人の船乗りが、少しずつ船を大きくしていき、最終的には大富豪になる一攫千金のチャンスがあった凄い時代だったのです。
そんな北前船がたくさん宿泊しており、彼らの常宿としていた場所が美保神社のすぐ横からずっと続いています。
港で荷揚げして、重たい荷物をこの道から運ぶため、簡単に壊れない硬い石を敷き詰めていたようで。
それが雨が降ると青く見えるので、この名になったそうです。
素敵だったーーー
その後色々あって(後日、詳細アップします)美保の岬にある美保関灯台へ。
↓ここは、国譲りの時に事代主が釣りをしていた場所。
その島が見える位置にある鳥居。
色々と考えてしまいます。
さて、美保神社を後にして、「ベタ踏み橋」として知られる(とWさんに教えてもらいました)、高さ45メートルもある、コンクリート製の桁橋としては日本最大の橋を渡り、境港(鳥取県)に行きます。
ここは鳥取
境港の街中を一瞬通り、また橋を渡り、さらには大根島を通り抜け、またまた橋に乗り、松江市へ。
↓見えているのが多分大根島
島根の地図↓
そのあと、松江市の街中を抜けて、まずは出雲大社と同じ一宮の熊野大社へ向かいます。
熊野大社に行く途中で出雲風土記に出てくる国引きの話で盛り上がりました。
出雲市駅の前にある看板(国引き中)
出雲の創造神、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が、国を引っ張って来て出雲を大きくした話なのですが。
八束水臣津野命は最後に「国を引くのが終わった」とおっしゃって、杖をおつきになって「おえ。(おわった)」と言われたので、その地を意宇というようになりました。
というのが、この地区(意宇地区)の名の由来なのです。
杖を地面に突いたことは、私も知っていました。
ところがWさんが、その杖を突いた場所があるけど、見ますか?と言うのです。
ええええええ?
杖を突いた場所が、残っているのおおお(衝撃)
途中にあると言うので、寄ってもらいました。
田んぼの中にポツンと小島のようにあります。
こんな小さな立て看板だけで、見過ごしてしまいそう。
教えてもらわなければ知らないままだったかも。
ここに、まるでイザナギとイザナミの2人のような老夫婦がいらしたのです。
ここに、まるでイザナギとイザナミの2人のような老夫婦がいらしたのです。
なので、ここって国引きの例のあの場所ですよね的に話しかけたところ、
「そうだよ、ほら、そこに祠があるでしょう」
え?祠?
草がぼうぼうでよく見えなかったのですが、奥にしめ縄らしきものが見えました。
「昔はね、ここから渡って、その側まで行けたんだよ」
と指さす場所には、橋的な感じで置かれた平たい石が。
ああ、確かに渡れる。
渡っていたと教えてもらわなければ、創造主が杖を突いたとされる場所に気軽に行こうと思わないわけで。
いつか草ぼうぼうじゃない時に来よう。
なにせ草がすごすぎて、人が立つスペースなかったので(笑)
「六所神社ってその道行けばいいんですか?」とWさんが聞くと、
「そうだよ。俺たちはそこから歩いてきたんだ。六所神社の隣にはコクチョウがあるよ」と。
「コクチョウ(黒鳥が浮かんでいた)って何ですか」と聞くと、
「出雲国庁跡だよ、国府」的なことを教えてくれまして。
国府!!!
府中でも見たあの国府?(都庁とか道庁のこと)
↓府中のことを調べてはじめてじっくり学んだ国府がやたらに登場(笑)
↑これは武蔵国の国府
↓そしてこれが、出雲国の国府!!
すっごく広かったです(後日紹介します)
六所神社。
今回調べて知ったのですが、国府(都知事みたいな感じの人)は、赴任するとまずは領地内の主な神社すべてにお参りにいくことになります。
しかし車があるわけではなく、国中にある神社全てに行くのは大変な労力。
なので、国府(都庁)のすぐ横に、全部の神社を集めた総社作っちゃえと。
詳細はまた後日~
それにしても、なぜ急にこんな国府が浮上するのでしょう。
今回の旅では、札幌から出雲へ直行便がないため、東京と大阪経由にすることになりました。
そこで、東京と京都を一日回るのに、出雲がらみの神社はないかと調べたのです。
そして大國魂神社と出雲大神宮のことを知りました。
どちらもほんとうに同じような流れを汲む出雲系バリバリの、関東と関西両横綱級のパワスポ神社でした。
その大國魂神社が府中にあると知り、「府中」とは「国府所在地」を意味する地名だと知りました。
府中の府は国府の府なのか!!みたいな。
(全国にある府中市は、いってみればかつての県庁所在地だよって意味の地名です)
とはいえ、今回は国府を巡る予定はありませんでした。
時間がないのですから(笑)
ところが府中では、大國魂神社の外に出て、別の神社を探している途中で偶然、国府跡を見つけました。
(しかもそもそもの目的だった神社は、かなり遠いので行くのをあきらめたという)
そして出雲では、イザナギとイザナミ夫婦(的なおふたり)に、そこに国府があるよと言われ、しかも私のいつか行くリストの中に入れていた神社の1つの隣にあると!
すごいですよね。
これから図書館で国府についてめっちゃ調べる予定です(笑)
ああ、
日本全国一宮巡り
日本全国パワスポのそばにある温泉巡り
についで、国府巡りが加わる予感(苦笑)
六所神社を後にして、熊野大社に向かうすごい山道を通りながら、心の中でそと思っていました。
「予定では、私はこの道を自転車で通るつもりだったんだ」と。
いや、とてもじゃないけど、結構な山道ですね(苦笑)
地図で見るのと、実際に通ってみる道では全然違っています。
うん。何かの格言みたい(笑)
さて熊野大社に着きました。
熊野神社はスサノオを祀っています。
和歌山の有名な熊野神社も、もともとは出雲の人たちが移住して建立したと読んだ気がする。
この熊野大社とも関りがあります。
(行事があるんです)
出雲大社と熊野大社は並ぶ存在です。
実は出雲の国は、かつて東と西の王国に分かれていました。そのため大きな神社が東と西に1つずつあるのはおかしい話ではありません。
しかもこの熊野神社は出雲国造の儀式の中で相当重要なのです。
そのことも後ほど。
こちらが熊野神社
この櫛が欲しかった!
娘のお土産無事ゲット。
そしてこの箸も欲しかった。
(蕎麦としてはこの旅3食目、出雲そばとしては2食目)
唐揚げ定食と出雲そばを迷って蕎麦を注文すると、「唐揚げか天ぷらを追加できますよ」と言われて、からあげを!と注文しました(笑)
唐揚げ定食と出雲そばを迷って蕎麦を注文すると、「唐揚げか天ぷらを追加できますよ」と言われて、からあげを!と注文しました(笑)
おいしゅうございました(もう出雲蕎麦もすっかり慣れました)
そのあとはもう時間の許す限り有名どころを行きます。
まずは八重垣神社
櫛稲田姫(ヤマタノオロチに食べられるところだったのをスサノオに櫛に返られて守られ、助けられた)が見守る前で、ご縁がどれほどなのかを占います。
さすが国宝!
すごいの言葉しか出ません!!
もう16時。
逢魔時(おうまがとき)になるため、神社には行けません。
ということで、風土記の丘なる博物館に行きました。
ここには、日本に三体しかない鹿の埴輪のうち、唯一振り返っている
見返り鹿の埴輪が!!!
こんなんでテンション上がる人は珍しいわけですが。
でも、Wさんは上がる人です。
何度もここに来ていると話していました。
さすがっす!
私も博物館、何回も行っちゃう派(同じ展示だけど、何度見てもしあわせになる)
見返り鹿
叫んじゃいましたね。
本物だよ。
日本で鹿の埴輪、3体しか出てないの。
そのうち、唯一振り返っているの。
好き!!
(ぬいぐるみ買おうか少し迷った)
ほかに、この地域の古代のジオラマがあり、説明のビデオが流れるたびに、それぞれの場所がライトアップされます。
最初から最後まで二人並んで被りついて見ました。
私はもちろんですが、久しぶりに来たWさんも収穫があったらしく、近いうちに行ってます!と。
おおおお、うらやましい!
新事実あれば教えてください。
建物の外には、古墳があるわけで
そこに古墳があるのなら見る。
博物館のすぐ横に古墳が二つ。
本物だよ!!
たっぷり古代出雲を満喫しました。
博物館はほんとうに資料の宝庫ですよね(当たり前だけど)
ということで本日のミッション終了。
ラストは松江の映えカフェ、WATER WORKSへ。
いや、すごい映える。
抹茶のパンケーキとラズベリーココア(何!!)
可愛くないですか?
しかもおいしいんですよ。
幸せ!
そして松江の今夜泊まるホテルまで送ってもらいはたと気づく。
あ、ここでお別れなんだ(涙)
なんだろう。すごく悲しい。泣きそうだ。
ああ、きっと昔もこうして一緒に旅していたんだと感じる。
陰陽師時代に会っていたよね。
神話の時代の出雲でも一緒にいたかもね。
また来るからーーううううう(涙)
とお別れしました。
ふう。
しばし休んでから、よし!と気を取り直し、バスに乗って温泉へ。
出雲は温泉がたくさんあるのですが、松江の駅からバスで1番行きやすいのは宍道湖温泉。
そこで日帰り温泉しているところを探していきました。
松江城の横をもう一度通り温泉へ到着。
露天風呂から竹林を見てゆったりしました。
温泉に食べ物屋さんがあるかと思ったのですが、やっていなくて。
今夜もコンビニでお弁当買って帰ります。
(さすがに蕎麦ではなく、普通の幕ノ内風)
食べながら写真やら明日の準備をしまして。
それでは明日も早いしととっとと寝てしまいました(*^_^*)
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遊月の出雲神話を巡る旅 2023|note
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~パワースポットで感じたエネルギーを短編小説にしました~
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