最近なんとなく人生を意味ある形で振り返る機会が多くて、あらためて何を目的にどうやって生きていたのかを日々考えています。
その中で「子供の頃の夢」として。小学校の卒業文集に書いてあった言葉をかみしめています。
当時のほんとうの夢は漫画家とか考古学者でしたが、それを書くのが恥ずかしかったので、
「3カ月くらいずつ、世界のいろんな国に住んでみたい」と書いたのです。
でもね今もこの夢は健在です。
いつか実現させようと思っています。
いえ、実現させつつあります(*^_^*)
そしてもうひとつ大きな夢がありました。
こどもを生んで育てて、毎日その子たちと一緒にケーキを作ったり笑ったり遊んだり、キラキラ輝く日々を送ることでした。
これは普通に進んでいけばかなり高い確率で叶えられそうだと思っていました。
ですが、高校2年の夏に突然の腹痛で緊急手術を期に一気に実現が難しくなりました。
その病名は卵巣のう腫。
片方は全摘。もう片方も、ごく一部を残して摘出。
医者から言われたのは
・原因は不明。
・腫瘍の古さなどからおそらく生まれつきあったと思われる。
・こどもができる確率は、残った卵巣がきちんと機能すれば100%、機能しなければ0%
でした。
なんでよおおおおおと泣きました。
風邪をこじらしたとか、不摂生がたたってとか、自己責任であったり、防ぎようがあるものならば納得もいくのですが、
「生まれつき」って、もうわたしにはどうしようもないじゃないか!!
神様なんて大大大きらいいいい!!!!
それが当時のわたしの本心。
悲しくて毎日病院の屋上で泣いていた私は、ある日雨が上がって太陽が空に輝きだした瞬間に、心に言葉が響いてきたのです。
その瞬間まで、彼氏ができたと病室まで報告に来たクラスメートの能天気さに、自分だけがなぜこんな目に遭うのかと悲劇のヒロインだったのに。
小雨の中で泣いていたのに空が突然晴れて、ぱーーっと光が差したのです。
あまりにきれいな光で、悲しんでいたのに見惚れてしまいました。
その時、ふと、この太陽って地球上のすべての人が見ている太陽と同じなんだって思ったのです。
もちろん知識としては知っていたのに、唐突に、同じ太陽を見ていると感じて感動したのです。
まるでヘレンケラーが水(ウォーター)という存在を認識した時のように。
すると、たくさんの国の人たちの様子が頭に浮かび、私の苦しみなんて小さいと思ったのです。
その思いに覆いかぶさるように
「こどもを生めない運命ならば、卵巣は全部摘出することになっていた」
そんな風に誰かに言われた気がしたのです。
更にその声が続けました。
「卵巣がほとんどなくなったから、こどもを生める可能性が減ったと思うのか。
卵巣が一部残っているから、こどもを生める可能性が残ったと思うのか。
同じ出来事でも視点を変えれば、不幸であるともしあわせであるとも感じる。
大事なのは、どちらを選ぶのかだ」
誰かに言われたのではない。
そして、たぶん自分で考えたとも思えないのです。
幼いころから困っていると、それはこれであると教えてくれる不思議な声をよく聞いていました。
幼い私はそのことを誰にも秘密にしていました。
そして密かにその声の主を「神様」と呼んでいました。
宗教のことなど知りません。
祖父が神社や神棚に足を向けてはいけないよ、というレベルの宗教感しか持っていませんでしたが、自分を超えた存在だから、きっと神様だと思ったのです。
だって、おうちにあった名作文学の絵本でもよく神様や女神様が出てきて何かをおしえてくれていましたから。
つまりあれだ、と単純に思っていたのです。
病院の屋上でその声を聞いた私は、
「神様は私に子どもを与えて下さるのだ。だから一部を残してくれたのだ」と感じました。
だって神様が生ませるつもりがなければ、全部を摘出する世界を与えただろうと思ったからです。
その時から、絶対生めると信じていた私は、普通に三人の子どもを産むことができました。
この経験からわたしはすべてにおいて、「いい面から見たらこれってどう表現できるんだろう?」と考える癖がつきました。
今でこそその発想は当たり前かもしれませんが、まだ16歳だった当時のわたしにはすごい発見で、あの体験があったからこそ、人生の荒波を乗り越えてこれたと感じています。
人生の大きな夢の一つ、こどもを生んで楽しく暮らしたい。
楽しく暮らしていたのかはわかりませんが、一応叶ったので、もうひとつの最大の夢、
「3カ月くらいずつ、世界のいろんな国に住んでみたい」
こちらを叶えていくだけだ~って思っています(*^_^*)