去年1年の旅を振り返りまとめると言う作業を毎日しています。
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今わたしは熱田神宮におります(笑)
そんな中で、「どうしても書きたい物語」があって。
いくつかのシーンは書いたのですが。
物語の核になる「神様殺し」の真相にたどり着くところのパーツが足りなすぎて。
謎はわかる。
なぜそうなった?と言う質問はたくさんおる。
でも謎が出てくるたびに調べなければいけないことが膨大に出てくる。
そうして全体像が大き過ぎて形が見えてこないのです。
シンプルに、あの神様がこうなってこう、と言う結論はあるのです。
でもその詳細が記録にないので、推測でしか補えない。
わたしの場合、資料より実物。
そして実物を見てサイコメトリーするので、資料にない何かしらのシーンが見えて余計混乱する(笑)
あれ、だれ?(笑)
さすがにそんな日々を1ヵ月ほど過ごしていたので、ちょっと落ちてしまいまして。
自分ってダメだなぁとか。
何やってんだろうとか。
意味ないなぁとか。
そもそも学者でもない一市民が何を勘違いしているんだとか。
でもね、知りたいの(笑)
たとえばたまたま本で、
柿本人麻呂は政局(じ○う天皇・藤原ふ○と←伏字にするひつようある?笑)に逆らって殺された。
いろは歌は彼が作ったもので、
「とがなくてしす」は彼の最後のメッセージであり、
みたいなものを読んだ時、そんなことを初めて知ったのに涙が出て、なんなら嗚咽しそうになったの。
なんでだよ!わたし!ってなるでしょ(笑)
だから、世の中に認めてほしいとかじゃなく,わたしが真相を知りたいの。
それだけでやっているんだよね(笑)
そんな感じで、落ち込んでも意味がないので、自分をアップさせようと思い、朝からひたすら「ありがとうございます」と繰り返していました。
すると不意に自分がセッションの時にクライアントさんに伝えている言葉が降りてきました。
「完成されるべき器があまりにも大きすぎると、若い頃はその形が見えません。だってたとえば壁面の一部を何年もかけて作っているのですから。
そのため焦ったり、自分は何をやっているんだろうと虚しくなることがあるでしょう。
でもそれはそもそもの器が大きすぎるから起きることなのです。
小さい器を早いうちから完成させる人生もあります。
けれど途方もなく、大きい器を人生をかけて作る人もいる。
なんなら、何百年にも渡って。
それは人それぞれ持ってきた宿命なのです。
そしてあなたは大きな器を作る運命なのです。
そのためなかなか形が見えてきませんが、どこかで完成する日が来た時にやっと形が見えるので、腐らずに頑張ってください。
ああ、これだったのか。
そりゃそうだ。
今までどれぐらいの人がこの謎に挑んだことか。
そんなの素人の私が数年、ちょっと神社を駆け回った位で解けるはずもない。
でもミホススミの人生を夢で見たように、資料にない何かを見つけていたりするわけで。
だから生涯かけて解いてやる。
それまで小さいもの語りを小出しにしていこうと意識を改めました(笑)