昨日、会社でハロウィンのお菓子をもらいました^ ^
早速はむはむ食べていると、同僚の1人が、「なんでわざわざこんなダサイものを選ぶんだろう」的な感想を言っていました。
私はウキウキでおいしいと思って食べていたので、その言葉に気持ちがちょっと萎えました。
食べ物そのものも、それを作ってくれた人も、商品として売っている人も、私たちに差し入れをしようと思って買ってきてくれた人も、みんなをシュンとさせる言葉だなぁと。
ランチなどで時々、わざわざ「このサラダ、全然おいしくない」とか「普通ー」とか。食事に何かしら文句をつける人がたまにいます。
びっくりするほどお酢がきついとか、皿が汚れていてひどい、とか。
そういうのならまだわかるけど、ある程度のレベルのものであったら、シンプルにおいしいとありがたくいただくべきだと思っています。
私は好き嫌いが多いので、キノコとか魚介とか、そういったもので時々むり!となってしまうことはありますが、これは好き嫌いの問題で、料理を作った人の腕ではないわけで。
その時も私は、食材には申し訳ないなぁと思っています。
好き嫌いがあってさ、嫌ってごめんね、みたいな。
20年ほど前に、いつもどんなお店に行っても、絶対に食べ物にいちゃもんをつける同期がいました。
あまりランチに行ける方ではなくて、行ける時は、わーいとテンションが上がっているのに、運ばれていたら盛り付けや皿に一言。食べたら最初の感想がまず文句。
あら探しというか、どうしてすべての食べ物にいちいちつっかかる?と不思議でした。
彼女の言動を見ていて、「私はもっと高級なところで食べている」または、「私はもっと舌が肥えている」アピールなのか?とか思いました。
どちらにしても、食べ物のあら探しをして、これはちょっと硬いだの、ちょっと酸っぱいだの、いちいち感想述べてくる人が苦手なのです。
食べ物に対するテンションが下がるから、ほんと、やめてほしいなぁと。
たとえとびきり美味しくなかったとしても、おいしいと言う人が好きです。
それは食べ物だから。
食べ物は命です。
野菜とか、肉とか、ありとあらゆるものはもともとは生きていました。
自分の命の最後の状態で、食べてもらう人に、最後に聞く言葉が「まずい」と批判されて命が終わるなんて。
とてもじゃないけど耐えられない。
だから私は、たとえ美味しくなかったとしても、おいしいと言葉に出します。
食べ物に対する敬意です。
クッキーの話ですが、おいしいと喜んでいた気持ちが萎えただけではなく、なんだか傷ついた気持ちがしました。
なぜ傷ついたのかと深掘りすると。
私は自分にセンスがあると思っていない。
そして、人が何を欲しているのか、いまいちわからない。
それは私が縄文が好きだったり、食べ物の好き嫌いが極端だったりと、一般的な人たちの好みと、自分の好みがずれていると思っているからで。
それでも誰かに何かをプレゼントする時、一生懸命考える。
当たり前だけど、受け取ってくれた人が喜んでくれるように考える。
だけどもしかしたら、その人の欲しいものじゃないかもしれない。
なんだこれ?と思われるかもしれない。
でも、一生懸命考えたものに対して、ろくな吟味もせずに、「こんなダサイもの」と言ってくる人がいる。
言う方が実はましで、心の底でそう思っているかもしれない。
それがなんか嫌だなと思いました。
私がその立場だったら。
上司にハロウィンのお菓子を買ってこいと言われ、お金を握り締めてデパ地下に行き、ハロウィンらしいものを探してもなかなかいいのが見つからない。
予算もあるし選ぶ時間も制限があるわけで。
その中で一生懸命選んで買ってきたもの。
みんなに喜んでもらいたいと思う。
でも自分が選んだもので正解なんだろうかと思う。
でも、選んで買ったもの。
それが誰かにこうして「なぜこんなダサイものを選んだんだ」と言われる。
うわーっと思いました。
人は誰かに対して、ものに対して、どういう扱いをすのかで、自分がどんな扱いを受けるかが決まります。
それはセルフイメージとか潜在意識の領域の話なのですが。
勝手に買った人に同調して、一生懸命選んでも批判されるとうっかり落ち込みそうになり(笑)
もっと自分を大事にしよう。
選んだ気持ちは真実だから、それを誇りにしよう(私が選んだわけじゃないけど笑)
と思いました(笑)
食べ物は、絶対粗末にしないこと。
そして、どんなに平凡な味だろうと、ダサい包紙(ハロウィンの柄の何がダサいのさ)だろうと、ありがとうと言える人になろうと思いました^ ^