アースエンジェルスクールの、課外授業としてのセミナーで、彼女のメッセージを伝えようと、ノートを眺めていた時に降りて来たものです。
2005.5.2 鞍馬山に登る (1998年に開設した遊月のWEBに飛びます)
まさに、1111のエネルギーを昼に一度送り、夜に送るまでの間に受け取りました。
今までも彼女のメッセージをこっそり書いていましたが、彼女の真実と人となりを知ってメッセージを読むとさらに深いので、まずは彼女の真実かな?
前世療法で見た、本などでも読んだことない彼女の生涯をダイジェストで、今月のセミナーで伝えています。
よかったら、セミナー申し込んでくださいね。
2016年11月11日マグダラのマリアよりのメッセージ
私は、目の前にいるのが、たとえ、尊いイエス様であっても、その苦しみを解き放ち、もっと楽になってほしいと祈ります。
救ってあげようなどと、高慢な思いからではなく、それが神の本質であり、私はいかなる時も、誰の前に立つ時も、常に神の本質と一体となりたいと願うからなのです。
ただ愛でいること。
ただ愛を伝えるために言葉を発すること。
ただ愛を伝えるために行いを起こすこと。
私は、愛を体現するために生きるのです。
すべては、神と一体化し、愛に近づくために私は、存在しているのです。
多くの人々は、その視力や己の感覚で愛を図り(謀り)そして判断するものです。
愛を理解できるのは、その人の持つ愛の深さでのみなのです。
つまりは他人はその人の愛の深さでのみ相手の本質をを知ることができるのだということです。
ですから、他人に何を思われるのかを考えるのはもうやめなさい。
あなたが見るべきものは、神の光、神の世界。
あなたが耳を傾けるべきものは、神の声。
神に意識を向けると言う事は、現実から目を背けそむけようと言うことではありません。
現実の中で、どれだけ神の光を見つけられるのか、それがあなたの生きる目的の一つなのです。
愛を理解されないと言って、人に絶望することを目的とせよと言っているのでは無いのです。
もっと分かりやすく言いましょう。
人の中に神を見いだす努力を、生涯続けなさいと言う事です。
しかしそれは、お人好しになれと言う事でもありません。
魂の深い場所で、全てを許しながら、神の子として、命の母として、過ちを犯す人、愛から遠ざかろうとする人、自分を大切にしない人、そのような人を諫めるのです。
過ちは過ちであると、愛を持って諫めるのです。
叱るのではなく、憎むのでもなく、蔑むのでもなく、相手も自分もただ神の光を見いだす修行者の1人として、少しでも多くの光をこの世界にともすことを目的とするのです。
ただそれだけのために、愛を持って伝えるのです。
伝える方法は、好きなやり方で構いません。
あなたのしたいように振る舞なさい。
どうかいつも心の中に神を感じ、世界を微笑の中で見つめ、愛を表現して生きてください。
そして、誰よりもあなたを愛している、神と、私のことをいつも忘れずにいて下さい。
マーレ