石の声を聞いて病気が治るのなら、本当に苦労しないと思う。
昔から語り継がれいたその「チカラ」が本当なら、何故私の夫は死ななければならなかったのだろう。ひどく苦しんで、肉体が腐っていくような、激しい痛みの果てに。
あのとき、夫を亡くしたくない一心で語りかけた石は、最後まで私に何も答えてはくれなかった。
あのとき、夫を亡くしたくない一心で語りかけた石は、最後まで私に何も答えてはくれなかった。
私にわかったことはただひとつ。
石は彼を救えない。
私は彼のような人を二度と見たくない。あんな苦しみを誰にも味合わせたくない。
だからこそ、あらゆる病気の根源を断つこととなる、人類の英知を集めて進められる、遺伝子治療の研究に、人生のすべてを注いでいるのだ。
予言された世界の崩壊など本当は信じてはいない。そんなことを真に受けておびえて祈る時間があったら、ひとりでも多くの病気で苦しむ人々を、現実面で助けたいのだ。
石の声を聞くなんて、はるか遠い神話の世界の出来事なのだから。
昨日もあの女の子が研究所にやってきて、石が世界の崩壊を予言したと言っていた。
満月の翌朝から、東の山に登ってくださいと、研究所の職員たちに言って歩いていた。
研究所の中に彼女の恋人がいるらしいが、彼も困惑している様子だった。
殆どの人が苦笑して見守る中で、意外にも何人かは彼女の話をまじめな顔で聞いていた。
小声で実はぼくも石の声を聞いたのですと答えていた人さえいた。
石は石だ、ニンゲンじゃない。同じ言葉を話すはずもないのに。
そう思っていた。
あの子は頭がどうかしている、かわいそうな子だと思っていた。
突然の轟音とともに建物ごと流され、海に沈んで絶命したはずなのに、 気が付くと意識だけになり、海の上をふわふわ漂っている自分に出会うまでは。
まわりには同じように意識だけになった人たちが、たくさん漂っているのを感じた。
私は石の声を聞かなかった。
だけど、あの子の言うとおり、世界は水浸しになってしまった。
あの子の言うことを聞かず、ここで死んでしまったのに、私はまだこの場所を漂っている。
肉体の痛みから解き放たれた、とても自由な世界の中で。
苦しみや悲しみや後悔はあまり感じなかった。というよりも、私であるという意識が薄らいでいくのをどこか遠くで感じていた。
最初は海の一部となっていた私の意識はさらに拡大していく。私の意識は、海に漂うほかの人たちの意識ともひとつに解けあっていく。
たくさんの人たちの意識を静かに呑み込みながら、それはどんどん拡大していく。
魚たち、沈んだ建物、これから世界を守っていくイルカたち。
すべてが私とひとつになり、やがて私は海そのものとなり、大地や空になった。
意識はどんどん上昇していく。
海から飛び出し、山を越え空を超えて、宇宙にのぼりつめようとしたとき、あの子の姿を見た。
山の上で仲間たちと泣きながら街を見ていた。
彼女たちの向こうに、海と空に解けるような美しいオレンジ色の夕陽も見えた。
ああ、美しい夕陽だ。
やがて私の意識が、太陽の中に解けていった。
やがて私の意識が、太陽の中に解けていった。
私の一部が太陽となり、太陽が私の一部となった。
拡大して拡大して、やがて暖かいすべてに包み込まれていく。
山の上で同じ夕陽を見ていたあの少女たち。
彼らがこれから辿る運命を、 なぜか私は知っていた。
そう、私はすべてを知っていた。
そう、私はすべてを知っていた。
この人生を選んだのは私自身だし、あの場所に残り死を迎えたことも、すべて自分が決めたことだった。
私はここで、魂の神秘のことを忘れて生きることの愚かさを学んだのだ。
でももう2度と忘れないと誓う。
幾度生まれ変わっても、私は魂の神秘をけして忘れずに生きるだろう。
そう。
そのためにこの人生があったのだとしあわせな思いのまま、私は宇宙に呑み込まれていった。
** その3へ(勇気) **
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