昨夜の鬼滅の刃は見た方はいらっしゃいますか?
あれは起承転結の起ですから。あれを見た方はぜひ全部見てほしなあと思います。
今回の地上波放送での好きなセリフ。何度見ても刺さる(笑)
鬼滅の刃がジャンプに連載されていた頃、同じように鬼の漫画が人気でした。
おもしろいことに、ほぼ同時に最終回を迎えたのです。
そちらは、鬼が支配する孤児院で餌として育てられていた子供たちが自分たちの境遇に気づいて脱走して世界を変えていく漫画でした。
どちらも、圧倒的に強い鬼が、脆弱な人間を支配しており、その中で過酷な運命に抗い、自らを鍛えて鬼よりも圧倒的に弱い人間たちが、知恵と愛と仲間との信頼で鬼に勝っていく話を同じタイミングでしていたことが興味深かったです。
ブームは、潜在意識の中で多くの人々が共通のエネルギーとして持っているものが具象化されたものです。
そのエネルギーがその時代の流れに合っているからさらに発展し、もともとそのエネルギーを強く持っていない人たちにも伝播していくのでしょう。
鬼滅の刃がこれほど流行るのは、策略もあったと思いますが、それを超えて、多くの人の中にこの漫画に強く共鳴するエネルギーがあったのです。
それが何なのかを考えるのが好きです。
この物語は単に悪である鬼を退治する話ではありません。
例えば今回のアニメの放送の終盤のシーン。
自分の大切な人を鬼は何の痛みも持たず殺しました。
その鬼を滅したあと、主人公は、滅しかけている鬼の手をとって、今度生まれ変わる時は鬼になりませんようにと祈ります。
この部分が私がこの漫画を好きになったテーマです。
悪を絶対悪として描き、ざまーみろ的な退治の仕方をしていない。
罪を憎んで人を憎まずが主人公の中に強くあり、正義感がぶれず、どんな時も弱い者の味方であるなど、見ていて気持ちがいいのです。
長男だからがんばれるって台詞もまた愛らしくて。
鬼になった人たちは、もともと普通に生きていた人間でした。
その中には、鬼になってしまったのが理解できるような、悲しい過去を経験した人たちも多数いました。
鬼になった後の行いは悪かったけれど、鬼が滅せられるときにそんな過去が出てくるので、鬼になった理由に共感してしまい、絶対的悪であるという気持ちにはなりません。
過酷な環境で生きてなお、凛と立っていく存在に憧れるので、同じように辛い生い立ちを持ちながら鬼になるようなことはなく、人間として自分を高めて強くなることで生きてきた柱(鬼を滅する人たちの中でも最強の存在)たちがすごく好きです。
今見えない世界では、そして私たちが知らない世界では、光と闇が戦っているところです。
神々の世界では光が勝つと決まっていると私は信じています。
その分かれ道は311でした。
311の時は本当に闇の方が優勢で、飲み込まれる寸前だったようです。
311の直後に壮大な夢を見ました。
出雲の海岸のような場所に神々が集まっているのを、呆然と見ていたのです。
これからのことは神々でもまだわからない。この話し合いですべてが決まる。
世界(この国)がほんとうに滅ぶのか、それとも復活していくのかを話し合っていると禰宜のような方に教えてもらいました。
帳の向こうで神々が話し合っているのをわたしは海岸で見ていました。
すると、帳がぱーーっと開き、晴れ晴れとした神々が次々と出てきたのです。
そして、日本列島を上から見ているようなシーンに変わりました。
北海道から沖縄まですべての山々の上に、ありとあらゆる神が立ち、もう二度とこの国にこのような危害を加えさせないと神々の会議で決まった。
もしそのようなことをしかける存在があれば、宇宙の神々が一丸となって今度は容赦しない、というようなことを禰宜さんに聞き、ほっとした夢です。
あの夢を見た日から、もう日本は大丈夫。
そのあともいろいろ攻撃は受けるかもしれないけれど、あれだけの神々(ケルトやギリシャ風の、明らかに日本的じゃない神様とか、どう見てもお姫様のような女神までもが、戦う気満々で山々に立っていた)が本気モードで守るのだから、もう安心!と思えるよになりました。
↓そのあとに書いたファンタジー風の短編というかメッセージ
己の眼を開いて立ち上がれと龍さんがわたしに訴えかけてから、来年でもう10年。
ようやく多くの人たちが元気を取り戻せたのかなと思います。
今後は、やってきたことが現実化する時代になると言われています。
よい行いをしてきた人にはご褒美が、悪事を働いてきた人には、カルマの解消が始まっています。
コロナの事、芸能界で起こる数々の事、現実の世界で起こっていること。
それら全て光と闇の戦いの中でも起きていることの現実化であるのかなと思っています。
どんなに辛くても必ず夜明けは来るのです。
自分を磨くことは当然ですが、光にもエール(光)を送っています。
光に光を送るのは当然ですが、実は闇にも光を送っています。
闇に光を送ると言うことと、鬼滅の刃で鬼を滅した後に、慈愛を持って彼らの次の人生がしあわせであることを祈るのに似ています。
鬼を絶対悪として消滅させなければいけない存在ではなく、悪の根源もまたそれぞれ自分の中にあり、だからこそ自分の中の闇を浄化し、光に転嫁していくことが必要だと思うのです。
なので光には光を、闇にも光を送りたいと思うのです。
鬼は外側の悪い奴ではなく、自分の中にもともとあったものだから。